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ワタクシ流☆絵解き館その227 青木繁の絵に感化され生まれた詩を読む。

■ 伊良子清白の詩「淡路にて」ー青木繁「海の幸」(1904年発表 )からの触発

伊良子 清白(いらこ せいはく) は、詩集「孔雀船」( 1906年(明治39年)刊 これが清白唯一の詩集 ) を持つ明治、大正時代の詩人。本業は医師。蒲原有明に並ぶ明治の象徴派詩人。

青木繁 「海の幸」1904年 明治37年 油彩 重要文化財 アーティゾン美術館蔵
初出 明治38年(1905年)九月発行『文庫』所収
※『文庫』は明治28年(1895年)九月から同43年八月まで刊行された文芸雑誌

上に挙げた文語詩を、口語体で書き直して意をとれば、下記のようになるだろう。

原典 伊良子 清白の詩「淡路にて」  口語訳・瀬戸風 凪

下に挙げた蒲原有明の詩「海の幸」は、白馬会で発表された青木繁の絵画「海の幸」を観た感銘から、展覧会直後に作られている。伊良子清白の「淡路にて」の方は、先行する蒲原有明のその詩に影響を受けている。
よって最終連 (「鳴門の子海の幸」以下 ) は、青木の「海の幸」の画面を彷彿させる表現だ。蒲原有明の表現「魚 ( な ) の腹碧き光を背に負ひつつ」を、清白は「魚 ( な ) の腹を胸肉 ( むなじし )におしあてゝ」と表現を変えてはいるが。

「海の幸」 (青木繁氏作品)            蒲原有明

あらぶる巨獸の牙 ( き )の、角のひびき、――
( 色今音にたちぬ。)否、潮の
あふるるちからの羽ぶり、――はた、さながら
自然の不壞にうまれしもののきほひ。
すなどり人びとらが勁 (つよ ) き肩たゆまず、
胸肉 ( むなじし ) 張りて足たらへる聲ぞ、
ほこり、よろこびなるや、たまたまその姿は
天なる爐を出でそめし星に似たり。

かれらが海はとこしへ瑠璃聖殿
わたづみ境を領 ( し ) らす。さればこの日
手に手にくはし銛とる神の眷屬 (うから )
丈にもあまる大鮫ひるがへるや
魚 ( な ) の腹碧き光を背に負ひつつ、
上るはいづこ、劫初 ( ごふしょ ) の砂子 ( いさご ) 濱べ?

蒲原有明 明治三十八年五月本郷書院刊「春鳥集」より  初出は文芸雑誌「明星」明治三十八年

■ 作詞家 島田磬也 ( しまだきんや ) の詩「黄金の鐘」ー青木繁「わだつみのいろこの宮」(1907年発表 )からの触発

青木繁 「わだつみのいろこの宮」 油彩 重要文化財 1907年 アーティゾン美術館蔵

島田磬也 ( しまだきんや ) は明治42年生まれ。日本音楽著作権協会評議員で「闘魂」「詩祭船」などの詩集がある。 
「裏町人生」、「上海ブルース」、「夜霧のブルース」や軍国歌謡などの歌謡作詞者として知られる。

島田磬也 (しまだきんや ) 南北出版サービスセンター 1966年「弧情の詩旗」より 下に続く
島田磬也 ( しまだきんや ) 南北出版サービスセンター 1966年「弧情の詩旗」より 上より続く

青木の絵からの触発された詩ではないが、島田磬也の詩を一部抜粋して紹介する。浪漫主義へのあこがれを持った詩人であるのがうかがわれる。

   春の抒情詩      島田 磬也

   ある日ふと
   眠っていた記憶が目を覚ます
   記憶がむくむくと起き上がって両掌を伸ばす
   あくびをする
   雲とはそのやうなものである

   はげしい日々にもあをぞらの真澄のなかに
   無限の夢はあった
                                      ( 以下 略 )                

作家社 1952年7月刊 雑誌「作家/47号」より



                 令和5年2月     瀬戸風 凪                            setokaze nagi

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