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自転車ユーザーの人権は軽んじられているのでは?

こんにちは!postBJです。
本日もお読みいただきありがとうございます^^¥

今回のテーマは、実は私が中学生のころからずっと抱き続けていた疑念というか、ある意味では社会に対する不信です。

私は現在も通勤や研究室のある大学までの移動を主に自転車で行っております。現在の愛車はGiant TCR Advanced 2(現在は販売終了のようでした。。)です、人生初のロードバイクでとても気に入っています。お店の駐輪場に駐めたときでも、車体と車輪をロックするだけではなく、必ず車体と車輪と固定物を止める、いわゆる「地球ロック」を行っています。かつて、職場の駐輪場で自転車ごと盗難に遭ったこともあり、自転車盗難には皆さんもくれぐれも気をつけてください。
さて、私の疑念はタイトルの通り、「自転車ユーザーの人権はかろんじられていないでしょうか?」です。
道路交通法では、自転車は「軽車輌」という扱いであり、れっきとした「車」です。そして、自転車は「車道の左側」を走行することが原則とされています。一方で、あくまで「歩行者優先として歩道を走行する」ことが例外的に認められています。国土が狭く、また過密地域となっている都市部では特に道路も狭いため、このような措置が取られているのだろうと推測します。
しかしながら、自転車ユーザーとしてはっきりと申し上げたい。
自転車ユーザーの人権が、完全に軽んじられているとしか思えません。

その理由を以下に挙げていきます。

①一定の割合で、左側通行を遵守している自転車ユーザーに脅威を与える自動車運転者がいる(煽る、ぎりぎり横を走行する、クラクションを鳴らす、自転車の直前で強引に停車する)。
自転車ユーザー歴約30年の1人として、この実感は確実に感じます。
LGBTQXやジェンダーフリー、バリアフリーが社会のなかで市民権を得つつある2024年現在にあって、街中でその存在と活動を軽視されているのが自転車ユーザーだと考えます。
自転車ユーザーはヘルメットや手袋などのわずかの防具のみで、肉弾をもって原動機のついた1トン以上の自動車と同じ車道を走ることを余儀なくされています。自転車は原動機をもたないか、または電動自転車のようにわずかな原動機のみを付ける、いわば車道上の「相対的弱者」です。公共スペースにおいて、例えば駅の構内で歩くスピードがゆっくりな高齢者や何らかの障害をもった方が歩いていたら、皆さんはぶつからないように、そして彼らが安全に歩けるように気遣いをして歩こうとするでしょう。まさか、「どけ!」と大声で叫んだり、彼らの横ぎりぎりを駆け抜けたり、彼らの歩く前で突然左折して立ち止まったりする人はいないでしょう。ところが、なぜか車道においてはこれに似た行動が公然と行われています。あたかも、車道を走る自転車は社会の邪魔者、お荷物だから、そこをどけ、目の前から消えろとでもいわんばかりの扱いです。

自転車専用レーン内への駐車および「やむを得ない事情ではない」停車が常態化している。
私の住む横浜にも、車道の左端におよそ約1m幅のブルーのラインである自転車専用レーンがある区画があります。しかし残念ながら、みなとみらい地区など、道路が広く見通しのよい道路に限られており、土地や道路に余裕のある区画を過ぎればブルーのラインもすぐに終了となります。
とはいえ、ブルーラインがある区画は自転車ユーザーにとってはそうでない区画に比べれば、走行時の快適性や心理的安全性が確実に高くなります。
また、道路交通法には、自転車専用レーンでの駐車は禁止されており、またやむを得ない事情での一時的な停車のみが例外的に認められていますが、実態としては駐車されているレーンが多く、パトロール中の警察官も素通りするところを何度も見てきています。自転車専用レーンに駐車されたら、当然自転車はレーンをはみ出して車道の中央側を走らざるをえません。当然、後方からの自動車からの脅威に曝されることになります。これでは、一体なんのための専用レーンなのか、と呆れてしまいます。

③主要な駅や地点の駐輪場のキャパシティが極めて少なく、また改善もされない。
最後に、横浜駅などの主要な駅にあるあるなことですが、無料の一時的駐輪場のキャパシティ(駐輪可能台数)が需要量に対して圧倒的に少ないことです。確かに公式の駐輪場が設けられていることは評価すべきことですが、駐輪場の周囲には必ずといって良いほど駐輪できなくて「致し方なく」枠外に駐めざるを得なかった自転車があります。
自転車は利便性が高く、ランニングコストが低い(空気を入れることくらい)、おまけに燃料を要さないためカーボンニュートラルの点でも環境負荷が低い、さらにはユーザーの運動不足解消にもなるため、現代社会を生きる人々、特に貧困な家庭や若者にとっては救世主といっても過言ではない移動手段です。したがって、市町村の為政者が自転車ユーザーの利用環境を整備することは多数の問題解決にとって有益なものと考えます。
しかしながら、需要量を満たすほどの駐輪場を増設することはしない、そればかりかはみ出た自転車は「違法駐輪、放置自転車」と扱って強制移動などの執行措置を取られてしまいます。
邪推ですが、恐らく自転車のランニングコストが低いからこそ、市町村は整備することを怠る動機があるのではないか。つまり、バスや電車などの公共交通機関を使用させて利用料を支払わせる方が、市町村の当座の収入が上がるという側面があるからです。
自転車で主要な駅周辺の商業施設、多くのビルには駐輪場がありませんので、自転車で訪れようとしても近くの駐輪場に空きがない。やむを得ずその近くに自転車を置けば、放置自転車として扱われ、状況によってはその駅から遠く離れた放置自転車一時留置場にまで取りに行かなければならなくなります。
かたや、駅前には定期駐輪場という有料の施設が設置されていることが大半ですが、自転車を利用する方から使用料を徴収する合理性は一体どこにあるのでしょうか?自転車という、先程述べたような環境負荷、健康の面において社会問題の解決の糸口ともなりうる便利な移動手段に対して、その利用をむしろ妨げるような施策を行うことは、市町村が自ら根本的な社会問題から目を背けて、短期的な目の前の収入に飛びついていることを公明正大に公表している証左にしか私には受け取れません。
私が住む横浜市においても、安くない住民税を支払っているひとりの納税者として、非常に片腹痛い思いであります。

長々と(普段はあまりネガティブなことを申し上げない人間ながら)社会に対する疑念を述べて参りましたが、自転車ユーザーが日頃から感じている脅威、理解されない悲しさ、悔しさといったものが社会のなかで共有されることを願い、この記事を書くことにしました。
近年、歩道を疾走する自転車、赤信号や横断歩道を突っ切っていく自転車、スマホやイヤフォンなどのながら運転をする自転車など、非常に危険な存在となる自転車が注目され、厳罰化の議論がされ2025年には規制強化が決定されるようになりました。個人的には厳罰化に大いに賛成ではありますが、一方で上記のような自転車に対する非人道的な扱いが車道などで行われ、結果として歩道に逃げ込まざるを得なくなったユーザーがいるという事実も忘れてはならないと思います。
表面的な問題だけに拘泥して取り締まるのではなく、「そもそも自転車ユーザーはどのような環境に曝されているのか?」といった本質的な議論が展開されることを願っています。
最後までお読みいただきありがとうございました!
Enjoy process =b




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