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思うことすべては抱えきれない

「我おもう故に我あり」という言葉がある。僕に哲学の素養があればデカルトの格好良い言葉もすらっと引用して頭良い感じの記事を書けるのかな、なんて思う。いつもnoteとかTwitterに書くのはたいていとるに足らない日常のことだ。

お仕事が定時に終わったので少しお買い物をしようと思った。まずは自転車で古本屋へ行き、ドラゴン桜と参考書を物色。ひとしきり満足すると、何を探すでもなく文庫のコーナーへ向かう。

ついつい岩波とか新潮あたりを見て当初の予定にない本を衝動買いしてしまい、結果的に本棚の肥やしにしてしまうというのがいつもの流れで、今回も例に漏れず買ってしまった。

夢野久作の『ドグラ・マグラ』。TLで何度か見たことのある本で、けっこう気になっていた(おかげさまで古本屋に行くと何かしらそんな本があります)。

本を買ったらマックに行って100円のコーヒー(モバイルオーダーだと安い)を買って1時間ほど読むというのがルーティン。まぁそのせいで100ページ以下で栞を挟まれた本が増えているのだけど。

本の感想はまた話すとして、かなり引き込まれて読んでいると、外では典型的な夕立がザッバァーと。これはまずいなと、無免許自転車ヘビーユーザーの私はこの後の予定のことを思い、マックを出ることを決心。

というのも、今日のメインイベントは教習(それも技能)の一発目でしかも雨具の装備はなし。つまり1100円の教習キャンセルか、雨の中を非武装で行くか、途中で割高なカッパor傘を買うしか選択肢はなかった。

あいにく雨は止みそうにないし、雨足は強まるばかりである。もう行くしかねぇ。そう心に決め、またもクーポンで割安のトリプルチーズバーガー(確かそんな名前)を爆速で頬張り外に出る。

だがしかし、自転車に乗るまでの数秒で戦意を喪失してしまい、敢えなくコンビニへ。この時点でキャンセルと非武装進軍の選択肢は完全に消えていた。もう行かないという手はないし、かと言って濡れる気もない。賽は投げられたのである

傘のコーナーを見ると長い傘と折り畳み傘、雨ガッパの3つが目に入った。ううむ、どうするか。傘さし運転は道交法違反である。かといって雨ガッパは高いということで、折り畳みの傘を買って自転車を押して教習所まで行くことにした。

まぁ、折り畳み傘の方がカッパより高かったのだが、かねてより欲しかったということもあり、勢いで購入してしまった。

押して行こうとしたのだが、この私もそこまで良い子ちゃんではない。傘をさしたまま走り抜ける自転車に抜かれること3回。馬鹿馬鹿しくなってしまいつい傘をさしながら運転してしまった。が、強風を前に一瞬にして裏返り傘が少し壊れるという天罰を喰らい、覚悟した。

もう腹を括ってカッパも買うしかない。いや全速で走り抜けよとも思ったが、教習車をぐしょ濡れにするわけにもいかんなと思い、ファミマで500円のカッパを購入した。このご時世にも関わらずイートインを占拠したおっさん二人がこちらを見て笑ったような気がして、腹が立った。

この時点でもうぐしょ濡れである。どうして天気予報を見なかったんだと、数時間前の自分を責めつつがむしゃらに漕ぐと教習所が見えた。エントランスには同じような災難に見舞われた若い男女が2、3人。

「ああ貴方もですか」なんて同情的な目線を横目で感じつつ、「あと2分で配車終了」の文字を写すモニターを見てあっぶねぇなんて思いながら待機スペースへ。「雨最悪〜!今日初めて車に乗ったんですよ!!」と教官に言う教習生を見ながらヒヤつく。雨足は強くなる一方である。

一限目はAT車で周回するルートのみ。が、ブレーキとアクセルの配置すら分からない予習不足の僕にとってはそれすら難しい。ブレーキを踏みスタートのボタンを押すとエンジンがかかった。

うぉぉ!!すげぇ!と、子供のような反応をする私に教官は冷静だった。「まずはブレーキを離してみましょう」たしかクリープ現象と言ったか。AT車はブレーキを離すと勝手に進んでしまう性質がある。速度にしては10キロもないが、それでもビビる。初心者メンタルである。

5周ほど右回りでコースを周回した後、左回りへ。この辺になるとだいぶ余裕が出てきて、教官と雑談するまでになった。過去の破天荒教習生の話を聞きつつ慣れないハンドル操作でなんとか周りきり、その日は終了。

「雨具代がキャンセル料より高かったんですよ〜」的なオチで上手いことトークを組み立てればそこそこ形になるのではという算段で、駐輪場で雨音混じりの音声ツイートを録るも、未だ反応は来ず。

この録音と芸人の深夜ラジオを比較して「面白い話の構成とは」みたいな記事を書きたいなと思うい、でもその前に今日の出来事を日記調で記事にしようかなと思ったら、今時点で2000文字近くも書いてしまい、時間も22時半に。

もう僕の拙いエピソードトークと芸人の深夜ラジオ(ここではオードリーのオールナイトニッポンを想定している)を対比した記事を書く気力はない。一人称は安定しないし、そもそも2000文字くらいで気力が潰えてしまうのがお決まりのパターンなのだ。

今日一日色んなことを思っただろう。その中には、未来の自分の糧になるような考えもあったかもしれない。でも、それは考えなくて良いのだと思う。その人にはその人のキャパシティがあって、それを超えて抱えようとすると溢れ落ちてしまうような気がするから。

思ったことを何かに残せとか、次に活かせと言うつもりはない。記事を書くこと、誰かに話すこと、一人だけの秘密にしておくこと。そのすべてが「我おもう」であり、とりあえず「故に我あり!」と胸を張るべきだと僕は思う。

たぶんデカルトはこんな人間肯定的なニュアンスでこれを言っていないと思うのだけど、まぁ許してほしい。哲学を抽象化して都合よく引っ張るのは私のような哲学被れにありがちな行動だ。

なんにせよ、思ったこと全てを留めておくのは無理だ。せっかく浮かんだ良いアイデアが忘却の彼方へなんてよくある話。もっと悲惨なのは良い記事が書けたと思ったら保存されていなくて初めからやり直しと言うパターンである。

あぁなんて自分は小さいんだなんて思いつつ、そんなネガティブな考えすら、自分を形作る大切な思いであることに気づいてくる。だったらいっそ大きな夢を描いてみようやぁなんて。いや、そんなガラじゃないか。

この辺で終わらせようかと思い、ざっと全部読み返してみたが、全般的に卑屈な文章である。なるほどこれが我おもうか。「こんなんじゃお前はもっと狭量な男になるぞ」なんてデカルトの声が聞こえた気がした。

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