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2023/9/3 上映会

上映会から少し時間が経った。
忘れないうちに上映会の日のことについて書いておく。といってもあまりに一瞬の出来事で、(寝不足もあいまって)夢をみていたような、まだ終わっていないような気がしている。

16:00 友達を迎えに北本駅へ

設営と運営を手伝ってくれる友達2人を迎えに、車で駅へ向かう。台風の影響で天気予報が二転三転したが、なんとか雨は降らずにすみそう。

16:30 お祭り広場で設営開始

早速設営を開始する。ジャズ喫茶中庭や団地の倉庫からお借りして、ベンチや椅子を並べる。Amazonで買った150インチのスクリーンを立ててみる。思いのほか風が強く、すぐに倒れてしまう。唯野がペグを打ってくれるがあまり効果はない。支持体がないと立たなさそうなので、広場の端にある藤棚の柱に括りつけることにした。事前にスクリーンを立てるテストをしなかったことが悔やまれる。
藤棚にスクリーンを移動してみると、高さ、幅がぴったりで、ちょうどよい感じになった。柱にスクリーンを括り付ければ風で倒れる心配もなさそうだ。一安心。椅子やベンチもスクリーンの周りに配置しなおす。

18:00 出店準備も開始

会場でドリンクとお菓子を出店してくれる北本の友人たちが合流。出店の準備を始める。同時進行で上映機材と受付の準備を始める。準備することが多くて私の指示が追い付かないが、唯野がいろいろカバーしてくれる。

18:30 受付開始

受付開始時間になんとか会場が整った。が、すでに見に来た人が会場にちらほら。挨拶をしながら、受付や椅子に案内する。駅から出ている団地行のバスから、どっと人が降りて会場に入ってくる。北本団地のバス停からあんなに多くの人が歩いて来るのを見たのは初めてだ。大学の友人たち、先生方、北本のひと、団地のひと、アーティストグループ目の手伝いをしているチーム、インタビュー協力してくれた方々、いろんな人が来てくださる。
来てくれた人からいろいろ差し入れをいただく。ありがたい。挨拶をしたり、足りない上映機材を探したりバタバタしていてはっきりした記憶がないのだが、挨拶できていない人も沢山いる気がする。
B夫妻から電話がかかってくる。団地についたけど、場所がわからないとのこと。近くにいたAさんにお願いして、夫妻を広場まで連れてきてもらった。
みなさん出店もみてくださり、買い物をしてくれる。上映開始予定時刻の19時になったが出店ゾーンが混雑していたので、上映開始を5分程遅らせることにした。
想定していたより来場者が多く、椅子が足りなくなってしまった。追加で椅子を出す余裕もなく、20人ほど立ち見で見てくれていた。

19:05 上映

会場が落ち着いてきたので上映開始。上映前に簡単な挨拶をする。自己紹介と、映画を作り始めた経緯を話した。では上映をはじめます、とお辞儀をすると拍手がきた。

映像を流す

あわい光。雲間から星が見える。
広場に面した団地の窓があき、こちらをのぞいている人がいる。ちょっと音が大きかっただろうか。子供が団地の部屋から階段を駆け下りてくる。広場の入り口付近でうろうろしていたが、声を掛けたら帰ってしまった。

風が吹く。

風にあおられたスクリーンがゆらゆらとはためき、そこに投影された映像もグニャグニャとゆがむ。字幕は読みづらいが、なんだか独特な味のある効果が生まれた。まさに「北本ビタミン」のつかみどころのなさを体現しているような…。

上映中はとても不思議な気持ちだった。本当に夢をみているかのような、ふわふわした感覚。それは疲れのせいかもしれないけど、いつも北本で会う人と、北本でない場所で会う人が同じ空間にいたり、そんな人々をスクリーンのあわい光が照らしていたり、ゆらめくスクリーンが映像に写ったものをゆらしていたり、夢っぽいシチュエーションが色々重なったことと、もう二度とこんな空間を立ち上げるのは難しいだろうなと思うような一過性の強さ、儚さが作用しているんだと思う。強い夢。お祭り広場で幻のように立ち現れた夢は、私がみた夢なのか、北本市がみた夢か、はたまた「北本ビタミン」がみた夢か。

唯野が上映会の様子を映像で記録撮影してくれる。私はスチル撮影を行う。が、暗くてカメラにはよく写らないし、ブレる…。

写真を撮影しながら、改めて来てくれたお客さんたちを眺める。
6月ごろ、団地で撮影中に声をかけてくれたおばさまが、お友達をつれて3人くらいで見に来てくれている。まさか、本当に来てくれるとは思わなかった。B夫妻や、先日たまたまB夫妻のお宅でお会いしたご近所さんもいらしゃっている。大学院の同期や先輩後輩たち、京都から駆けつけてくれた学部時代の友達もいる。
団地自治会のメンバーも見に来てくださる。挨拶をすると「はじめだけちょっと見て帰るね」と言われた。後ろの方で立ち見してくださっていたのだが、なんだかんだ半分以上見てくださっていた。リビングルームのチャプターを眺めるその横顔を撮影した。

その近くで、立ち見をしていた北本の蕎麦屋「阿き津」の女将さんが、私と同世代の北本の友人に話しかけながら映像を見ている。そこに混ぜてもらう。私は昨年、LPACK.のお二人が北本を訪れた際に「阿き津」でお昼をご一緒したことがあった。なので「阿き津」のご主人と女将さんはアトリエハウスをよく知る方々なのかなと思っていたが、話を聞いているとアトリエハウスが始まる前の活動も(明後日朝顔やかえっこバザール、タワー)知っているようだった。タワーのチャプターでは「タワーが学生運動みたいな雰囲気だった」という映像内の言葉に反応して「本当にそうだったのよ、怪しくてね」とこぼす。リビングルームのことはあまり知らないようだったが、アトリエハウスのことはやはり詳しいようだ。「最初本当に大変だったのよ。アライグマが住んでいてね」といった小話がつきない。映画の最後のまとめ、「何かは残って伝播している」というモノローグにも共感してくれたようで、「そう、何か、何かがのこったのよ」と口にしていた。

(あー、上映中の描写が終わってしまう、どうしよう…)



LPACK.の息子さんが動き回る。寝そべったり、肩車をされたり、ちょっと退屈な映像だっただろうか。団地のギャルカップルが通りかかる。出店に興味があるようで、メニューをしばらく眺めていたが行ってしまった。立ち止まる人がいて、通り過ぎる人がいる。とても自然な光景だった。

あっという間にエンドクレジットに差し掛かる。
映像が終わり、黒い画面になると拍手がわく。ありがたい。
お辞儀をして、このあとジャズ喫茶中庭でおしゃべりできる場を設けてあることや、配布物についてアナウンスをする。最後にインタビューや上映会準備など、様々に協力してくれた方々へのお礼を述べてしめる。温かい拍手。
すぐに北千住から見に来てくださった知り合いが「やぎさん、労作だねこれは」と声をかけてくださる。
片づけをしつつ、その場にいる人たちとおしゃべり。大学の友人と北本の友人を繋いだり、感想を聞いたり。出店したカフェのインスタをみて参加してくれた人もいた。すごい。
京都から来てくれた学部の友人(映画を作っている)からは、文字が多くて親切じゃないよねとアドバイスをもらう。
北本の人からは「謎がとけた!」といった言葉をもらう。てとのメンバーが褒めてくれる。小学生の娘さんも、最後まで飽きずに見てくれたようだ。

教授からはエンドクレジットを大きくすること、大学院のロゴを入れることと、特定課題研究の文言を入れることとのご指摘をもらう。先生方も楽しんでくれたようで、スクリーンのゆらめきが実験映像みたいで面白かったと言ってくれた。論文も楽しみにしているよ、とか言われる。プレッシャーだ。
教授がAさんに「いろいろ屋宜がお世話になっているみたいで。これからもよろしくね」とあいさつをしていた。

中庭に移動してもらうようアナウンスしつつ、片づけ。みにきてくれた方々が手伝ってくださり早く片付いた。

中庭に入る。すでに盛り上がっていた。輪に入れてもらい、かつてリビングルームに通っていた大学生の子たちと私がどうやってつながったのかを話す。その話の流れで、リビングルームについてさらに話を聞く。リビングルームに参加していた地元の人たちは北澤さんに会いにいっていたのだ、という映画内の語りに大学生の子たちも共感していた。「潤に会いに行っていたから、いないときは開いててもあんまり行かなかった気がする」と言う。リビングルーム当時の日誌、業務日報を読んでいると「子供が、じゅーんって呼びに来た」みたいな記述があるのだが、本当にみんな北澤さんのことを「じゅん」って呼んでいたんだなとプチ感動。今度、北澤さんが来日するタイミングで、3人で会いに行こうねと約束をした。

22:30ごろ

東京からみにきてくれた人たちが帰る。帰り際、「インタビュー協力してくれたひとをAさん、Cさんとかにする研究が多いけど、今回の映像はみんな実名で出ていて、それがすごい屋宜ちゃんぽいと思ったよ」と感想をもらう。映像を撮った以上、実名で出てもらうのは北本のサイズ感だと仕方がない(匿名にしたとてバレる)のだが、実名で出てもらうために発言や映像のつなぎ方、肩書、名前の確認を事前に全員に行ったこと、その過程でカットになった発言もたくさんあることなどを伝える。「その過程は大変だし、面倒くさいから他の研究者はやらないんだね」と返ってくる。そうかもしれない。でも北本の場合は「北本ビタミン」のトラウマを少しでも払拭するために、丁寧な関係の構築や定期的に通い続けること、試写などのフィードバックをこまめにするなど、かなり気を使ったつもりだ(このnoteもフィードバックの1つであるし)。実際どうみえているのかはわからないが…。

東京帰宅組を見送り中庭に戻ると、出店してくれたカフェの店長が「俺らが北本ビタミンCをしなきゃいけねー」と言っていた。なにそれ興味深い。
Aさんも混じり、「北本ビタミン」の活動が停止に追い込まれていった経緯を、店長に向けて順を追って説明したり、リビングルームに通っていた大学生Qさんの話を聞いたりする。
Qさんは先月インタビューをしたばかりの子で、インタビューで「リビングがあったから団地は面白いことをしてもいい場所だって思えている」と語ってくれた。その言葉の通りQさんは今、団地で駄菓子屋をひらく計画を企てているのだ。それはジャズ喫茶中庭の中で開くのか、移動式で団地をめぐる形になるのかまだわからないが、話を聞きながらその場にいる人たちで色々アイディアを出す。駄菓子屋、ぜひ実現してほしい。Qさんの企ても、きっと「北本ビタミン」がのこした「何か」から派生したもののはずだ。実現した暁には絶対撮影に行く。

その後、Aさんと映画に音楽をつけてくださったPさんから映画について意見をもらう。Aさんは7月末の試写もみてくださっているのだが、その時の映像と比べると「若さ」が軽減されていたそうだ。映像内の私のモノローグが客観的になったと感じるらしい。
7月末の編集版からモノローグを変更したのは確かだ。映像内最後のインタビューでLPACK.が発する「ア(アート)はなくていいんじゃない」という言葉が結論になるようにモノローグを書き換えたり、アの代わりにのこったものは何かを考察するようなまとめに変更した。
ただ、残ったものはすぐに答えが出ず、現段階の答えを入れてみてもあまりしっくりこなかったので、あえてモノローグでは結論を書かず「のこった何かの正体は何なんだろう?」と鑑賞者に問いかける形で終わることにしたのだった。
Pさんからは、この終わり方について厳しい意見をもらった。私の主張が最後ハッキリしないのは、音楽をつけた身としては作り甲斐がない、と。でもこうした議論を生み出すために選んだ終わり方なら、それは大成功だねと付け足してくださる。ごもっともな意見だ。
2人に向けて、現段階で私が考える「アの代わりに残ったもの」は混沌だと思う、という話をする。『荘子』の「渾沌に目鼻を空ける」という言葉をひきながら、混沌として成立していたものに自分たちの尺度で意味や秩序をつけようとすると、成立していた混沌がぱっと消えてなくなってしまう、「北本ビタミン」はまさにそんなように思えた。今北本にのこっているものもそうした混沌で、名付けたり、輪郭を与えようとすると、その豊かさが失われる気がするのだ。
そんな話をしているとAさんから、今の北本で起こっていること、ジャズ喫茶中庭やケルン、てと、マーケットを、もっと北本ビタミンと繋がっているようにみせたらいいのでは、という言葉が返ってくる。この言葉には驚いた。なぜならAさんは映像内で「今北本で起こっていることがアートプロジェクトの成果みたいに言えるじゃん、それってどうなの」という語りがあるように、出会ったはじめのころから今の北本と「北本ビタミン」を繋げて語ることに強い違和感を感じると主張していた人だからだ。だから映像内でも「北本ビタミン」の延長線として今の活動がある、と言い切らないように気を付けていた。
Aさんの思わぬ反応にびっくりしたが、なんだか嬉しい。きっと2度の試写に参加してくださったり、一緒に post の改装をしたり、今まで話をしてきた長い時間や、上映会の空間に立ち会って、少しずつ腑に落ちたことや考えることがあったんだろうなと思う。

今の活動がわかりやすく見えるためにはどうしたらよいか、3人で考える。映像の冒頭に今の北本の映像を足す?最後はちょっと違うよなー、といった話。こういう編集の話が北本の人とできるとは思っていなかった。

とはいえ、今回の映像で扱うのは過去のことだけと決めて編集をしているので、おそらく現在の北本の様子をこれ以上入れ込むのは難しい。できるとしたら、続編を作るか、冊子に入れ込むか。今後上映する際は冊子に「現在の北本で起こっていること」というページを追加しても良いかもしれない。

そんなこんなであっという間に12時を回る。片づけをして、てとに移動。中庭のオーナー恒例の、フレディ・マーキュリーごっこが始まる。賑やかで、明るい夜だった。

2年間、自力で進めてきた活動に区切りがついた。明日からはやること/目指すことが一つ減る。それが少し寂しい。
この日記も、9/7(木)になってやっと書き始めた。書くと、上映会が過去になってしまう、自分の手で終わらせるような感じがして、日記を書くのが嫌だったのだ。でも、忘れないうちに過去を言葉にして捕まえておかないと、消えてしまうのはあまりにもったいない。
(あー、ちゃんと書き切った。9/11になっちゃったけど…)


72分間、つたない映像でしたが北本まで見に来てくれたみなさま、本当にありがとうございました。そしてインタビューや撮影、上映会のために協力してくださったみなさまにも改めてここでお礼を。
本当にありがとうございました。


この note は今後も気ままに更新しようと思います。よければお付き合いくださいませ。


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