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2022/12/2 編集、研究動機を練る

13:00 post 着

午前中自宅で映像編集作業をした後、post に向かう。部屋のふすまを開けたとき「ただいま」が口をついて出てきたことに自分で驚く。帰る場所になりつつあるのか。改装から数えるともう8ヶ月も通っている。
そういえば、北本団地で《リビングルーム》というプロジェクトを進めていた北澤潤さんの日誌にも、似たようなことが書いてあったなと思い出す。

14:00 撮影

お昼を済ませ、北本市内の風景の撮影へ。自転車に乗って駅前へ向かう。
先日映像編集の第2稿を脱稿し、今は第3稿に取り掛かっている。ようやくそれらしい形になってきたおかげか、必要な映像素材のあたりがなんとなくつくようになってきた。
いくつか風景と木枯らしなどを撮って post に戻る。途中、Aさんの事務所に寄り先月分の post の家賃を払う。そのまま少し立ち話をした。

16:00 post で作業

来週に迫ったゼミ発表にむけてレジュメ用の文章を書く。思うがままに研究動機をだらだら書く。整えつつ、悩みつつ、果たしてこれで伝わるのだろうか…

研究動機
私が活動を停止したアートプロジェクトに関心を寄せるのには、2つの経験が影響している。
一つめは2017年に訪れた沖縄県コザ地域の商店街、「銀天街」を訪れたことだ。がらんとしたシャッター街で、私は一人の地元の男性に話を聞いた。
「銀天街」は2002年~2013年ごろにかけて、アーティストの林僚児が中心となりアートプロジェクトを展開していた場所だ。林は2005年に沖縄に移住し「スタジオ解放区」という拠点を立ち上げ、シャッター街だった「銀天街」を舞台にさまざまな企画を行った。数は少ないかもしれないが商店街の人たちも触発され林さんの活動に参加したり、銀天大学、銀天タワーなどプロジェクトの拠点も開いたという。
一時期このプロジェクトはアートプロジェクト界隈から注目を集め、その活動は伝説的なものとなっている。しかし林が沖縄を離れてしまう。林がほぼ一人で回していたアートプロジェクトも必然的に途絶えた。
私が訪れた2017年には商店街はすっかりシャッター街に戻り、開いている店は2~3店舗ほどだったと記憶している。「アートプロジェクトはまちを元気にするもの」だとぼんやり思い込んでいた私は、アートプロジェクトも終わるのだという当たりまえ事実と、思い描いていた「元気なまち」とは程遠い光景に大きな衝撃を受けた。
話をしてくれた男性は、林が沖縄を離れたあともその活動を引き継ぎ、ひとりでできる範囲でプロジェクトを続けていると言った。どうしようもなく終わりに向かっていく銀天街。その衰退に歯止めをかけることはできないかもしれない。しかしその様子を嘆くのではなく「ここは絶望的前衛だから」と言ってのけ、愛で、面白がっている姿が印象的だった。

もう一つは2019年3月、私が所属していた学部のギャラリー「ARTZONE」のクローズ展を担当したことだ。
ARTZONEは2004年に京都市三条河原町にオープンしたギャラリーで、京都造形芸術大学アートプロデュース学科がその運営を担っていた。私は学部1年生から3年間ARTZONEの運営に携わった。様々なアーティストや美術に関わる人たちと出会った場所であり、同期や先輩、後輩たちと長い時間語りあった場所だ。当時の私にとってARTZONEはたまり場であり学びの場だった。
2018年3月、ARTZONEが大学の予算の都合により、2018年度をもってクローズすることが知らされた。一方的な通達に納得いくはずがない。決定に異議を唱える間もなく、クローズ展の企画へと話が流れた。企画は難航した。何か月も教授たちと話し合い、ぶつかり、泣いた。
14年間続いてきた活動、ここに集っていた学生たち、そこで話し合われたであろう未来…そんな厚みのある記憶をどう展示に落とし込むのか悩んだ。最終的には、1階で藤浩志さんの展示と誰でも使える工房の開設、2階はARTZONEで開催された展覧会や受け継がれてきた資料をまとめた資料室という形の展覧会にまとめた。エントランスに展示した藤さんの作品が人目を引き、来場者数は過去最高に近かったと記憶している。展示としてオープンできたことに達成感はあったが、15年の歴史締めくくる最後の企画としてふさわしいものだったのかは今でもわからない。
展覧会終了後はARTZONEの看板を外し、中にあった資材や工具、資料などを整理し大半を破棄した。空っぽになったARTZONE跡地には現在MEDIASHOPという店が入っている。

クローズが決まっていること、衰退に歯止めがきかないかもしれないこと、そうした有限性を自覚しながらも活動を愛したことはARTZONEも銀天街も同じだ。しかしARTZONEは物理的な場所が閉じ、銀天街は林が去った後も活動が引き継がれた。場所は終わればそれまでだが、活動は引き継がれる可能性がある。そんな気づきから活動を停止したアートプロジェクトのその後が気になるようになった。

17:30 編集のフィードバックをもらう

このプロジェクトを手伝ってくれている唯野に、編集第2稿のフィードバックを電話でもらう。前半は映像のリズムが生まれていて見やすくなったが、後半は考えもの。映像とはいえ、エンディングは今までのリサーチの結論と言える。現段階で私が納得するエンディングでも、第3者がみると「まあそうだよね」という感じらしい。あと4,5ヶ月くらい経てばまた違うエンディングになるのだろう。
細かいディテールも含め、編集についてあれこれ1時間ほど話す。やりたいことも、やらなきゃいけないことも、山積みだ。手を動かしながらできることをはじめていくしかない。できることしかできないのだ、という諦めが大事なのかもしれない。

18:30 東京へ


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