ヨハネの福音書15:12-14

 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。 人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。 わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。」

神を愛するものであるならば、同じく神を愛する信仰の仲間である兄弟姉妹を愛するべきです。
この戒めを行うことができるなら、あなたはイエスの友なのです。
そして自己中心的な生き方でなく、他の人のために自分を捧げて生きる、言うならば自己犠牲の生き方をし、その人の益となる生き方をすること、これより大きな愛は誰も持っていません。

僕は元々コミュニケーション能力が低い、いわゆる「コミュ障」だと思う。昔は、社交不安症の病名もつけられ、薬も飲み、カウンセリングも受けていた。
でも、簡単に考えてしまえば、緊張しても何しても、「話す」ことを止めなければ、コミュニケーション能力は上がることはあっても、下がることはないだろう。現状維持は確実だ。
なので、昔に比べれば、僕は、話し続けることによってコミュニケーションのレベルを若干上げて、いまは現状維持できている。

教会に行くと兄弟姉妹は、みな初めての出会う人であって、話すのに緊張する。
牧師先生に話すのも緊張する。
それでも、コミュニケーションを図る。
気を使って精神的に疲れる。

しかし、兄弟姉妹を愛するためになにか行動に起こすことのほうがコミュニケーションより簡単かもしれない。
例えば、作業を率先して手伝うとか、家事手伝いを進んでするとか。
「口下手だけどよく手伝ってくれる」人を目指したい。

日常生活、社会のなかのほうが、コミュニケーションを要求される事が多いので難易度が高いかもしれない。コミュニケーションを伴わない行動のみでは、他者の理解を得られないかもしれない。だから話し続けようと思う。「口下手だけど自己犠牲、他人の益となるように生きる、行動する」ことはできるだろう。

「いのちを捨てること」までは出来ないにしても、自己犠牲の生き方、行動は、思ったその日からできる。他者のために生きたいと思う。

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