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皆、なぜフィジカルに拘るのか. | #考えること

<NFT> <メタバース>  最近のデジタルと関係の深い言葉だ. (言葉の意味が分からなければクリックかググって) コロナ禍に企業や教育のリモート化が言われるようになった. しかし、今は忘れ去られフィジカルなものへと戻ってきている. いかにも日本らしい… もっと身体から自由になれよと思う今日この頃.
VRだのARだの、メタバースだの言われているこの時代になぜフィジカルにこだわるのか. デジタルに完全に移行しろと言いたいわけではない. そもそも、現実・物体だとか、デジタル・仮想現実だとか言っている時点で何も分かっていない. リモートワークはコミュニケーションが取りづらい? 君はSNS使ってないのかと問いたくなる. 皆が使っているであろう、twitterやTikTok、Facebook. これらもラグの多いメタバースだ. 私たちの周りには既に多くの現実から切り離されたコミュニケーションを現実世界で行っている. その時、"あー別世界だ"とかいちいち考えるだろうか. 

| 私が考える理想
例えば、森で木々の揺れる音、鳥の鳴き声を隠したスピーカーから流したとする. そこに訪れたとしたら、それらの音が偽物かどうか疑うだろうか. 私の考えるデジタル化はこういったことである. ネットやSNSといった別世界に現実世界があっていいし、現実世界にデジタルがあってもいいし、これが私たちの目指すべきデジタル化である. つまり、別世界(ネット、仮想世界) or 現実(フィジカル・物質)と”一元的な考えになっている”これがデジタル化が進まない原因であり、フィジカルに戻りたがる原因だろう.
数ヶ月前に描いた絵がある. デスク前に置かれたメガネの中でベタという魚を飼っている. 私にリアルな絵が描けるほどの腕あれば、メガネの中で魚を飼っていても違和感ないであろう. 現実であるはずのないものでも本物に等しい(ピクセル)明瞭なものであればそれはホンモノであり、これが溶け込んだ未来では本物orホンモノなのかという議論など必要なくなる. ↓使わなくなったiPadに映して絵を飾る. エセNFTで遊んでみた画像だ.

昔描いた絵を飾ってみた

| 現実?非現実?を考える必要はない
AirPodsは音楽を聴きながら、電話でつながりながら周辺の音を聞き取ることができる. ARであれば、デバイスを通して現実の風景を見ることで物体を召喚することができる. 召喚された物質が明瞭になった時、ホンモノなのか・現実なのかという議論がいかに無駄であったかが分かるだろう.
逆も然りだ. あなたはVRで入った仮想世界でレンダリングされた渋谷を歩いている. そこに何らかの物質を召喚する. 仮想世界に入っているはずなのにARメガネから覗いていた現実と誤差はあるだろうか. 街の風景の明瞭差以外誤差は存在していないだろう. つまり、現実に仮想(2D)を持ってくることと、仮想(2D)に現実を持ってくることには大差ないのだ. 
ただ、ここの両者に質量は存在していない. 仮想、データで表現したものをデバイスを通して見たり、聞いたり、触れることは可能であり、そこに現実との大差はない. しかし、質量は感じようがないし再現は不可能である. つまり、物質とデータの差は質量でしかないのである. ”デジタルに質量をどう持たせるか”これが最大の課題である. 

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