他人の言葉を借りなければ、今、自らのことばがなくなってしまうのではないかという不安がある。 好きな人の言葉にボギャブラリー水槽というものがある。人にはことばの浮き沈みする水槽があって、ことばとは、空な言葉に思いを詰めたもの、密度があり重さがあるもの、だそうだ。毎日ことばが放り込まれ、消えていく。 ことばが水槽に放り込まれる、ことばに触れる。人と話す、本を読む、SNSを見る。どのような手段だってあるだろう。ただ、これらを日々にしていないとしたら、ただことばは消えるまま
ポエムすら書けない!
今年も例のごとく五月病になり学校に行ったり行かなかったりの日々を繰り返しているわけだけど、その分疲れ果てた脳で鬱屈とした自問自答をする夜が減り、文章や対話での内面性への干渉が増えてきた。その内のひとつとしてこのnoteという媒体があって、最近気になっている人の記事を読んでいると毎日投稿のタグにふと目がいった。 文章を書くものとして僕はよくTwitterを活用している(よくない)のだけれど、noteや某小説サイトでは毎日投稿が推されているのに対しツイートは特に意識せずに毎日呟