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【脱マスク難航😷】なぜ子どもたちはマスクを外せないのか?【徹底解説】

新型コロナウイルスが、5類感染症に移行して、早くも5ヶ月が過ぎた。

5類に移行した後は、マスクをつけるかどうかは「個人の主体的な選択を尊重し、着用は個人の判断に委ねることを基本とする。」と厚生労働省は言っている。

ようやくコロナ禍以前の生活が戻ってくる!
マスク生活ともおさらばだと思ったが、
実際の教育現場で子ども達の様子はどうなのだろうか。

私は、現在私立中高一貫校で勤務しているが、かなり多くの生徒がマスクをつけている。

夏になる前はほぼ全員、夏以降は7〜8割がつけているという体感だ。

普通、「着用を個人の判断に任せている」ならば、このような割合になることはおかしい。明らかに「推奨」や「努力義務」、「強制」のレベル感でマスクをつけている。

一方で、教員たちはというと、ほとんどマスクをつけていない。
体感的には1割、多くても2割程度だ。
基本的に授業中に最も喋る人間は「教員」のため、本来この生徒と教員のマスク着用率は逆転していてもおかしくない。

それにも関わらず、
なぜ、これほどまでにマスクをつけている子どもが多いのだろうか。
「何が」子どもたちにマスクをつけさせているのだろうか。

本日はその原因について紐解いていく。

以下が私のプロフィールです。

・一浪して「国立難関大」に進学
・大学院の研究科を主席で修了し、奨学金211万の全額免除をもらう。
・毎年倍率15倍の教員採用試験を一発合格
・公立高校の正規教員
・現在、偏差値70越えの私立中高教員
・英検準一級保有(専門は英語ではないです。)

1. 子ども達がマスクを外せない原因その①「同調圧力」

まず、圧倒的に根幹となる理由が「同調圧力」である。
日本人は、最も「同調圧力」に支配されている種族と言っても過言ではないだろう。

・部落差別
・戦争時の国への異様な信仰
・学校内でのいじめ、集団行動
・コロナ禍での異常なマスク着用率、マスク警察

全て同調圧力の象徴的な産物である。
それが、5類に移行した後も、まだ尚継続しているのである。
事実、学校現場でも、「周りの目を気にする子」ほどマスクの着用率が高い。
一方で、あまり周囲に関心がなく、自分の損得勘定で行動している生徒(特に発達障害グレーゾーンの子たち)はマスクはしていない。
それはそうだ。
「周りの目」を気にしないのであれば、あのような息苦しいものは外した方が自分にとって都合が良いに決まっている。

無論、5類に移行するやいなや外した。というか、すでに外していた。

逆にマスクをつけている人たちは、5類移行後もずっとつけ続けている。

コンタクトの酸素透過率には普段口うるさく言う割に、肝心の口や鼻からの酸素は遮断するというやや不可思議な現象である。

この「同調圧力」の文化が、子ども達がマスクを外せない大きな理由の一つである。

2. 思春期ならではの「恥ずかしさ」

2つ目の理由が、思春期ならではの「恥ずかしさ」である。
特に中学生、高校生によく見られる現象であるが、男女どちらも「よく見られたい」のだ。

男子は「カッコいい」と思われたいし、
女子は「可愛い・綺麗だ」と思われたい。

これは自身が中学生だった時のことを思い出せば、ある程度は理解できるはず。

思春期というのは、感性が非常に鋭くなる時期だからこそ、これは普通の現象と言っても良いだろう。

さて、では質問だが、「マスクをつけた顔」と「マスクをつけていない顔」どちらがより「かっこいい・可愛い」だろうか??

答えは、99%の中学生については「マスクをつけている顔」の方がより良く見えるのである。

大概の子どもは、自分の顔にコンプレックスの1つや2つ持っている。いや、5個以上持っている子だってざらだ。

「一重だ」「おでこが広い」「鼻が低い」「ニキビが多い」「顎が出ている」「顔が丸い」「顔がでかい」「ほくろがある」「髭が濃い」「唇が分厚い」「歯並びが悪い」

あげればキリがない。
高校生から大学生、そして大人になるにつれて、「まあこれも自分だし仕方ないか」と、いい意味で自分を受け入れるようになるのだが、思春期の子どもがこの境地に達することはかなり難しい。

そんなところに、顔の半分以上を隠せる「マスク」の登場である。

確かに、頼りたくなる気持ちはわかる。
自分が中学生の時は、今よりもずっとカッコよく見られたかった。
マスクをすれば、自分の嫌なところは結構隠れる。

これはつけずにはいられないだろう。

しかも、厄介なことがある。
他人がマスクをしている人のマスクの下の顔を想像する時、決まって「バランスの整った理想的な」顔を想像してしまうのである。

つまり、ほとんどの人がマスクを外した時に「ガッカリさせてしまう」のである。

自分自身としても外したくないし、
「他人からガッカリされるかも」という恐怖が上乗せされるのである。

これはもう外せない。

一時期流行った、「顔パンツ」の誕生である。

この点については、早く外せた子どもほど楽だろう。
みんながマスクを外した顔を覚えてくれるからだ。
そこに変な補正はかからない。

しかし、全く外してこなかった子はどうだろう。
外すのを躊躇すればするほど、外さない期間が長引けば長引くほど、周りが勝手に補正した顔が、その子の顔の当たり前になるのである。
マスク姿が当たり前になればなるほど外しにくくなる闇ループに陥る。

全国の少年少女たちよ。
一刻も早く、マスクジレンマから抜け出せることを願う。

3. マスクを外すには、やはり◯◯が重要

さて、いろいろと話してきたが、やはり最終的に重要になるのは、「自己肯定感」ではないかと思う。

全く周囲を気にしない子は除くが、
それ以外の子が「えいやっ!」とマスクを外すには、自己肯定感があるかどうかがカギになると思うのである。

自分のことがある程度好きだったり、自分の存在を前向きに捉えられる子であれば、自分の素顔を晒すことに多少の抵抗はあれど、乗り越えられる。

「きっと本当の自分を周りの人は認めてくれる」と思えるのである。

一方で、自分に自信が持てない子ほど、本当の自分をさらけ出すことに臆病になってしまうだろう。

「自分なんかの本当の姿を晒したら、きっとがっかりされる。それは絶対に嫌だ。」と思ってしまうのである。

このマスク問題でも、自己肯定感が大切になってくるのだ。

そういう意味では、やはり教育過程で子どもたちの自己肯定感を育ててあげることは、あらゆる場面で本当に意味があるのだろう。

我々教師は、日々の生活の中で彼らと時間を共有し、少しずつではあっても自己を認められる子供たちを育んでいかなければならない。

そのためには、
・結果だけでなく過程を見る。
・大きな目標と同時に、通過点となる小さな目標を設定して、達成感を感じてもらう。
・出来たことは褒めるし、取り組んだことは認める。
・アガペー(無償の愛)を与える。

こう言ったことを一つ一つ丁寧に向き合っていくことで、思春期を終えた時に彼らが自立していく様子を、安心して見守れるのではないだろうか。

さぁ少年少女よ、大志を抱いてマスクを外してくれ。
かつてないほどの量の酸素が君たちを待っている。

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