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愛車と私① ホンダ・シビックフェリオ─顔が好きだった最初の愛車は少年時代からの家族

先日、クルマを買い替えて初の車検がありました。
何となくそんな気はしましたが、購入時点で6年落ち・6万km走行済みであれば、それなりにガタはあったようで、思わぬ出費になりました。とほほ。

現在の愛車の話はそのうちするとして、これはあくまでも持論なんですが、当たり前に自家用車を所有する地域の人間にとって、クルマって人生なんじゃないか?と思っています。

3年で乗り換えることを前提にリセールバリューでクルマを選ぶ人もいますし、欲しいクルマがあっても先立つものがないから、手の届くところで済ませる人もいますし、とりあえず道具として使えりゃいいって人も。
とは言え、それなりの資金を掛けて買うものですから、今晩食べる食材のように気軽には選べず、自身の趣味やライフスタイルにもっとも適した選択をしたいものです。そうしていくと、おのずと愛車遍歴って、自身の人生を表してたりしないかな?と思うわけです。

そんなわけで本題。

私が初めて自分のクルマというのを持ってから、20年が経過しました。
その間に乗った愛車は今の愛車を含めて5台。どれもこれも私とともに人生を共にした戦友ですから、その思い出は筆舌に尽くしがたく。
1台ずつ紹介していこうというのがこの記事です。

ということで、最初に愛車となったのは(自転車や原付バイクを除けば)ホンダ・シビックフェリオ

今ではめっきり見なくなった2桁ナンバー。

5代目シビック(スポーツシビック)で、それまでのセダンモデルから派生してフェリオの名を冠したのが、このシビックフェリオ。スポーツシビックの若者になじみやすい端整な顔立ちを持ちながら、セダンとして居住性を高めた、いいとこどりのモデルと言えます。
この代は「EGシビック」なんて言いますが、私が乗っていたのは後期に出たEXiという上級グレードで、型式はE-EJ3。EJというとシビッククーペのEJ1を連想しますが、どちらかというとモデル後期という意味合いだったのかもしれません。

で、このEXiの豪華なところが、この時代には珍しく電動シート。電動でリクライニングするのに興奮したのを覚えていますが、実のところゆっくりしか倒れないので、横になりたいときはちょっと退屈でした。
走行性能としても、SiRのようなB型エンジンこそ搭載しないものの、1.6LのZCで最大出力130psと、5ナンバーのセダンとしてはなかなか余裕のある出力でした。

このクルマは私が選んだわけではなく、父のお下がり。
父が知り合いのホンダディーラーで試乗車だったか展示車だったかのこれを買ったのが1992年頃。それを私が就職祝いに譲り受けたのが2003年の夏。
そして詳しくは後述しますが、廃車になったのが2005年の春。
私が愛車として乗ったのは実に1年半くらいでしたが、家にこのクルマがあった期間は実に13年弱。途中3年ほど父が単身赴任先に持ち出した期間もありましたが、ずっと我が家の移動手段として在り続けた、家族のような存在でした。

それを如実に表すエピソードとして、次の愛車を探す際に「これ以上カッコいいクルマは最早スポーツカーしかないのでは」と感じ、中古車探しのカタログとしてグランツーリスモ4を買ったというもの。当時はクルマにまったく興味がなかったにもかかわらず、小さい頃から見ていたこのクルマが「カッコいいクルマの基準」になっていたのです。
特に、ヘッドライトの間にフロントグリルを持たないシンプルな顔立ちが、当時は気に入っていて、これに匹敵するカッコよさを持つクルマをグランツーリスモ4で探しながら、ゲームにのめり込んでいった結果、急激にクルマに興味を持ち始めて・・・といった具合に、私というクルマオタクが醸成されていったのでした。

そういう意味では、もしも父が買ったクルマがシビックフェリオじゃなかったら、私の人生はだいぶ違うものになっていたかもしれません。少なくともホンダ党じゃなかったはず。

先述の通り、父から譲り受けた時点で12年落ち。その間に平日は父の通勤に、休日は家族の外出にとフル稼働し、父の単身赴任に際しては宮城~広島間を往復したわけですから、車体はだいぶガタがきていました。
結果として、譲り受けてから二度目の春に冷却系か何かのトラブルを起こし、修理費用の高額のため、惜しみつつも廃車にすることに。

その頃(2005年春)にはすっかりホンダ党になっており、グランツーリスモで知った「インテグラ」がとてもカッコ良く、これのノーマルグレードなら中古で手が届きそうだという事で、次の愛車に乗り換えたのでした。
次回はそんなインテグラの話。

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