#321 隣り合わせの暴力と言葉
「こいつが殴ってきた!」
「いや、お前が先だった!」
そんな会話は小学生のけんかでよく聞かれる。けんかを仲裁しようと、先生が話を聞きにやってくる。そして、「暴力はダメだ。」と諭す。先生の言うことはもっともだ。
子ども同士のけんかはたいてい口喧嘩から始まる。最初は子供の投げ合いだったのに、言い負かされた方が先に手を出して殴り合いになる。
きっと言い負かされた方は、反論の言葉が見つからなかったのだろう。言い返したいのにそれができないイライラで、暴力に頼るしかなくなってしまったんだ。
私には今でも忘れられないことがある。
小学一年生の確か夏休み明け。夏休みの工作の宿題で、紙皿でと折り紙で首からかけるメダルのようなもの作った。それぞれの作品を紹介する時間に、突然教室の前の方から女の子が言い合う声がした。なんて言っていたのか、もう10年以上前のことだから忘れてしまったが、いつも仲良しの二人だったため、これはただ事じゃないという緊張感が教室の中に流れていた。先生は二人のことをしばらく見ていた。当事者同士で解決するのを待ってたのだろう。しかし、次の瞬間、片方の女の子がもう一人の作品に手をかけて思いっきり引っ張った。
ビリッ!!!
数秒の沈黙の後、自分の作品を壊された女の子は泣きだした。片方の女の子は固まっている。すかさず先生が二人のもとに駆け寄る。
傍観者だった私は、その後どうなったのかは覚えていない。
今思えば、相手の作品を壊してしまった子は、壊してやろうと思って、作品に手をかけたのではなっかたのではないか。言い合いの中で、自分の感情を相手に伝える言葉が分からず、言葉の代わりに手が出てしまったのだろう。
そう考えると、その子にとっては、暴力によって反論し、コミュニケーションを継続していると捉えることができる。コミュニケーションのかたちが言葉ではなく、暴力になってしまっただけで、その子は相手に自分の気持ちを伝えようとしていたことに変わりはない。もしも、その子がもっとたくさんの言葉を知っていたら、もっと語彙力や表現力があったら、手は出さずに済んだはずだ。
このように、暴力と言葉は隣り合わせだ。
語彙力、表現力を身に付けるといったコミュニケーション能力を向上させることは、暴力に頼らず相手に自分の意思を伝える力を養っているのだと思う。これは子供が発達に限った話ではなく、大人同士のコミュニケーションにおいても同じではないか。自分の言いたいことが相手に伝わらず、イライラするとすぐに暴力をしてしまう大人は少ない。
しかし、伝わらないもどかしさは自分の中にたまり、ストレスとなって自分自身を傷つけたり、相手に冷たい態度を取ってしまうことにつながる。
だからこそ、年齢にかかわらず、私たちは言葉の力を養っていくべきなのではないか。
参考文献:「風俗の社会学」井上俊
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