手の感触
名古屋への帰り道。
特急に揺られながら、八郎は昨日の出来事を思い出していた。
何年ぶりだろう、喜美子と食卓を囲んだのは。
川原家の食卓は変わりがなかった。
でも、食器の配置などは変わっていた。喜美子も歳をとっていた。そこに年月を感じざるを得なかった。
「でも、綺麗やったな」
そっとつぶやいてみた。
以前あった、針に刺されるような感覚が少しずつ薄くなっているのは感じていた。
やはり、自分の中の喜美子への愛情は変わりがなかった。
陶芸家として成功している喜美子と顔を合わせるのはどんな気分だろうと、自分の中で予測はしていたつもりだったが、いざ会ってみたら『川原喜美子』としての喜美子が自分の中に飛び込んできたのが嬉しかった。
昨日、アンリは、最愛の夫の親指の付け根のぷにぷにした所が大好きだった、と言っていた。
喜美子と八郎にも手にまつわる思い出があった。
「ふふふ。ここ、焼き鳥みたいに美味しいわ~」
「こらこら、人の手を食べ物に例えるんじゃないよ」
八郎の小指の付け根を触りながら、八郎と喜美子はそう言ってじゃれ合うことがあった。
喜美子に言わせると、絶妙な感触で、美味しいのだと言う。
特に八郎に甘えたい時は、喜美子はそこを甘噛みした。それが合図のようになっていた。
そんな甘い記憶を思い出す余裕が八郎の中に出来ていた。
今までは、喜美子のことを思うと針に刺されるような感覚が前面に出てしまい、甘い記憶まで辿り着くことがなかった。
喜美子に会いたいという気持ちは今までも常にあった。
「何を今更、都合の良い」
そんな自分への囁きが、会いたいと思う次の瞬間背中で聞こえ、月日が経つにつれてその声は大きくなり、足は遠のき、針山を抱えるだけになっていた。
今回、信作の強引な計らいによって喜美子に会うことが出来た。
だが、座る姿、喋る時の癖、お箸の持ち方、全てが昨日の続きのように自分の中での喜美子が繋がっていた。
違うのは、自分を見つめる顔。
戸惑いが多く、目を合わせることもあまりなかった。
だが、2人とも笑顔だった。笑っていた。
なんて贅沢な時間だったんだろう。
そんな事を考えながら、帰路についていた。
それから数日後、電話が鳴った。
「お父ちゃん?武志や。この間信楽来たんやってな。んで、お母ちゃんにも会うたんやって?なんやねん、俺1人気を使ってお父ちゃんにあまり会わんようにしてたのに。やられたわー。
だからな、あんな、お願いがあるんやけど…」
八郎の新人賞のお皿を見せて欲しい、そう言った内容だった。
「わかった、また、信楽にいくな」
今までだったら、信楽に行く事、武志に会うことに躊躇してしまっていただろうが、素直な気持ちで、信楽に行く事を約束していた。
信楽で武志に会える。そう思うとなんとも言えない気持ちになった。
しかも、喜美子の家で。喜美子にも、また会えるのだ。
八郎は自分の手のひらを眺めた。
歳を重ねた今の喜美子が、自分の小指の付け根を触ったらなんて言うのだろう。焼き鳥みたい、そう言ってくれるのだろうか。
触らせてみたい。欲望にも似た感覚が蘇ってきた。
「何を考えてんねん」
ふふふと笑いながら、針山が一つ消えるのを感じていた。
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