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夏の魔法2〜写真集「体温」より〜


「え?島そば食べてないの?」

絶句するような顔で、彼女、ひよりちゃんは俺の顔を見た。
年は俺よりだいぶ下そうなのに、昨日の一件からもう敬語ではなくなり、近所のだらしない親戚の兄を揶揄うように俺に接してきた。

その距離感が俺は心地よく、安心してだらしない親戚の兄として振る舞えた。

島そばを食べさせてくれるお店で三線を弾きながら歌を歌ってくれたおばあさんがいた。
心地よいメロディで、俺は聞き惚れてしまっていた。

「歌詞が全然わからないけど、いい歌だねえ。このお婆さん、歌手かなんかなの?」

「ううん。この家のおばあだよ。時々、こうやって唄をぽろっと歌うの。いい歌だとおもった?」

「うん。歌詞はわからないけど心地よいメロディで、聞いてて心が落ち着いた」

「それならよかった」

そう言って、ひよりちゃんは微笑んだ。
俺は、その微笑みが心にチクリと針が刺すように、何故だか感じていた。

その後は、島をゆっくり歩きながら散策する。
目に入るもの全てが目新しくて、俺は小学生のようにひよりちゃんに質問していた。
昨日まではどんな景色も、一辺倒にしか見えていなかったのに、不思議なもんだな。

道端に咲く、色とりどりの花。
赤い瓦造の屋根。
そして、どう考えても早足で歩く必要のない道路。

全てが色鮮やかに見えて、俺の五感を刺激した。

そんな俺をひよりちゃんは後ろからそっと見守るように付いて歩いてくれた。

「八代さんはどこからきたの?」

「俺?東京だよ。あいつとは、大学の友達でね。仲よかったんだ。でも…俺が仕事忙しくなっちゃってからは全然会ってなくて。今回もものすんごい久しぶりに会ったんだよ。久しぶりに会った友達に幽霊みたいだって言われてちょっとびっくりしたけどね」

「でも、本当に幽霊みたいだったよ」

そう言ってひよりちゃんは笑った。
先程のおばあの話をした時とは違って、いたずらっ子のような笑顔だった。

かわいいな。

素直にそう思った。

ここ数年そんな感情を持つ余裕がなかった俺は、いきなり湧き出てきたこの素直な感情に、戸惑いを隠せず、どう扱っていいかわからなかった。

気がつくと、目の前は海が広がっていて、昨日と同じ場所に来ていた。

「俺また海入るわ」

俺はそう言って走り出す。

「え?また服着たままーー?!」

そんなひよりちゃんの声をかき消すように、俺は海に飛び込んでいた。
海がこの訳のわからない感情を流してくれればいい。
そう思ったけど、桟橋で俺を眺めるひよりちゃんが愛おしくて仕方なくなっていた。

俺はひよりちゃんに助けを求めるように海から手を伸ばす。

「いやだよ。もう騙されないもん。また落とす気でしょう」
「そんなことしないよ。大人だもん」
「ウソ」
「ホント」
そう言って、腕を掴んで引っ張る。
だが、俺の引っ張る力より強く、ひよりちゃんは俺を両手で引っ張り上げていた。

「あれ?」
反動で俺は桟橋に上がってしまっていた。

「やっぱり騙そうとした。嘘は嫌い」

そう言って、ひよりちゃんは俺の手を引っ張り、一緒に海に飛び込んだ。

2人を中心に波が起きる。

「2人一緒なら、やってあげるよ」
そう言ってひよりちゃんは笑った。

俺とひよりちゃんの波。
消えないでくれよ。
そう思ったけど、泡と共に波は一瞬で消えていた。
2人の波が消えた海の中、お互いがお互いの腕をを掴み合うような形になっていた。
正面に見えるひよりちゃんの顔。身体。

抱きしめたい。
そう思ったが、勢いに任せて抱き寄せられるほど、俺は器用ではなかった。

「ぷっ」
ひよりちゃんが笑い出した。

「やだー!もう!急にそんな顔しないでよ。恥ずかしくなっちゃう」

俺の邪な心を吹き飛ばすようにひよりちゃんは笑ってくれた。

「でも良かった。色んな顔をしてくれるようになったね、八代さん。ここに来た時はいつ見ても同じ顔、同じ目をしてたから」

その顔を引き出してくれたのはひよりちゃんだよ。そう思ったが、そんなことを言えるわけもなく、俺は空を仰ぐように浮いた。

空は急激にオレンジを連れてきていて、先ほどまで青かった海を赤く染めていた。

「そうだな…俺、東京では少しでも休むとさ、何かに置いていかれそうな気がして、常にタスクを自分に課して、動いて休まなかった。だから、ここに来てからも当たり前のように仕事してた。
だからかな。ここの風景に何も感じなかったんだよね。心がそうさせてた」

ひよりちゃんは何も言わずにいた。俺は上を向いていたので、ひよりちゃんがどんな顔をしているか、全くわからなかった。

「ここに来て、ひよりちゃんや、島に触れたことで、久しぶりに笑えてるんだよね。この島ってさ、笑顔が吸い込まれるようなんだ。だから、どんどん笑える。不思議だ」

「そうやって、ここに来てみんな、荷物を少しだけ下ろしていくんだね。
でも、羨ましい。私は、ここで暮らしてるから、荷物を下ろす場所がない。ないんだよなあ。島の素晴らしさはわかってるけど、もちろんいやなこともある。良いことばかりじゃないんだよ」

ハッとした。
ハッとして体を起こすと、ひよりちゃんは笑っていたけど、悲しそうだった。
そして、俺のことを見ているようで、遥か向こうを見ているようだった。

「ごめん。八代さんに関係ないことだ。そろそろ帰ろっか。流石に体が冷えちゃう」

悲しそうなひよりちゃんになにか言ってあげたかったけど、俺の身体からは、何も言葉が出なかった。

なにも、何も言えなかった。

俺の下ろした荷物は、海の中に溶けていったけど、ひよりちゃんの荷物は?
そう思うだけで、俺の思考はストップしてしまっていた。

あとがき
前回、松下洸平さんのシングル「体温」からインスピレーションを得て、お話を書きました。
今回は、写真集の「体温」から、発想を得たお話です。
シチュエーションもストーリーも似通ってはいますが、少しずつ違う、ひと夏の恋を感じ取ってもらえれば幸いです。


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