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美しいと思う気持ちとは

美しいと思う気持ちを考える

美しさとは何か。
写真も芸術のひとつであるから、たまには美について考えることも必要だ。

ただ今回は、主観的な美を考える。
美しいと思う時、人はどんな気持ちになるのか。
そして、その気持ちに写真はどう寄り添えるのか。

守りたい気持ち

美しいと思う気持ちは、何かを守りたいと思う確信のようなものだと思う。
昔過ごした街の風景や、一目惚れした景色も、ずっとそこにあって欲しいと願う気持ちがそれだ。

美しいと感じるものが壊されそうとなった時、悲しみだけでなく怒りが湧くのは守りたいと思うからだろう。
自然破壊、計画性の感じられない開発、地域経済の多様性が失われた時、この気持ちを再確認できるはずだ。

だから写真家は守りたい対象を写真に残し、他者に伝えるのだろう。

宝物に思う気持ち

美しいと思うものは宝物のように、物理的にも心理的にも近くに置きたいと思うものだ。
積極的に何度も見に行ったり、それに関することを調べたり、絵画や写真を飾ったり、その対象を思う時間を増やしたくなる。

美しいと思う時、それは自分自身にとって宝物以外の何物でもない。
自分だけの物にしたい所有欲をそそられた時、対象を美しいと感じているはずだ。

写真はそれを簡単に叶えてくれる。
だから思い出を写真に残したくなるのだろう。

変わらないで欲しいという気持ち

変わらないで欲しい対象は思い出の中だけではない。
住み慣れた町も、大好きなアーティストの作風、ファンになった企業の姿勢。
これらが変わった時にはひどく憤りを感じるものだ。

美しいと思う時、その精神に惚れこむことがある。
だからその惚れた精神を捨て去るような行動をした時、裏切られたと感じて熱も冷める。

写真に残した絵は変わらない。
写真は美しく、優し過ぎるのだと思う。

美しいと感じるのは『感性』ではなく『知識』

ここまで見てきたように、美しいと感じるのは自分の感性ではなく、大部分が知識や経験である。
どれだけ感性を高めたとしても、美しいと思う対象に出会えなければ一生気付くことはない。

だから写真家は積極的にフィールドに出て撮影し、インターネットや美術館で作品を読み込む必要があると思っている。
これは感性を育てると同時に、美しいと思う対象を増やすことに意味がある。

また図書館に行けば一生かかっても学びきれない量の知識が溢れている。
それだけ世の中には、主観的な未知で溢れている。
これは写真家にとって希望でもある。
なぜなら、まだ気が付けていないシャッターチャンスは無限にあると言えるからだ。

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