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共感と苦労マウントの境界線

少し前に、仕事を辞めた。退職するにあたって、食事に誘っていただけることもあったし、辞めてからのんびりしている間にも、軽くお茶でもと声をかけてもらえることもあった。そんな中のひとつのお酒の席でのこと。会を主催してくださった女性に「いろいろ大変だったでしょう」と憐憫の眼差しを向けられた。確かに忙しくはしていたけれど、「聞いてくださいよ!」というようなストレスもなく、「そうですね、でも○○さんもいろいろ大変そうじゃないですか」と返した。すると、止まらないのだ、彼女の愚痴が。最初はふむふむと耳を傾けては、えーとか、わぁとか、相槌も打っていた。それだけではなんなので、時に「私もこういう状況ありました、大変なんですよね、あれ」と共感のつもりで自分の経験も話してみた。しかし、加速するのだ、彼女の苦労話が。いわゆる「あるあるネタ」は場を盛り上げたり、連帯感を高めたりする。しかし、場合によって、あるいは人によっては、苦労の競り合いになり、ネガティブな感情を助長させることにもなり得るのだなと、私は私の経験の引き出しをそっと閉じ、傾聴に専念にした。苦労マウントになってはならない。共感て、難しい。


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