読書メモ(1)成島柳北『柳橋新誌』

 汝聞く、米国に共和の政有り、極めて公、極めて明、極めて正、極めて大、唐虞の治と雖も過ぐる能はず焉。公等宜しく古人の粕糟を棄て両ながら郡県封建の説を廃して徇ふべし焉。且つ夫れ遊びは最も共和して楽しむを要ふる、今公等既に酒楼に在り、酒肉を置いて食はず管弦を擲って奏せず、空論妄言、妾等をして隅に向つて唾を催さしぬ之を共和して楽しむと謂ふべきか。公等真に遊を知らざる者、汝将に大統領と為り此の衰頽の勢を一振せんとす。請う先ずこの罰盃を吸へと。是に於いて二客大に慙ぢて両首並肯して謝して曰く、謹んで女王陛下の令を奉ぜんと/柳橋新誌二編(『柳橋新誌』岩波文庫)
 (酒楼にて食事に構わず議論を続ける武士に対して、芸者は)「私はこう聞いております。アメリカには共和政治というのがあって、極めて公明正大であって、尭・舜の政治であっても及ばないそうです。あなた様方はもう古人が議論尽くしたカスなんか捨ててしまって、郡県だの封建だのという説を両方とも止めてしまって、共和制度のよさを言うべきですよ。遊びというものは、共和して〔共に仲良くして〕楽しむのが一番大切なことですよ。今あなた様方は酒楼にいます。酒や肉を置いても食べず、管弦があっても打ち捨てて演奏もできません。空論妄言ばっかりで私たちを片隅にほったらかしにして、眠たくさせています。これを共和して楽しむと言えましょうか。あなた様方は、本当に遊びを知らない人達ですね。私が大統領になって、この理屈に走った状況を建て直そうと思います。どうぞまず最初にこの罰杯を飲みなさい」と。するとこの二人の客は大いに恥入って、二人一緒に首をうなずかせて、謝って、「謹んで女王陛下の仰せを承ります」と言ったのである。/佐藤明 『柳橋新誌二編』訳
 『柳橋新誌』は東京柳橋花街の風俗及びその推移隆替を描いたものである。〈略〉
 由来人情の反覆、世代の交替の激しきこと、花街に如くものはなく、且つ又維新の大変動を受け、落花狼藉の地たらしめられた処、この柳橋に如くものはなきが故に、彼の詩情は此処に奔り、ここに流難の精神を発見して、一篇の風俗詩を点描し得るに至ったを認むべきである。さういふ風に見て来ると本書は、柳橋といふ狭斜の巷を通じて、新文明の成長的な野蛮さと新時代の破壊的伝統主義とを哭している保守主義者の、一種の「スケッチブック」であると認められるのである。
 革新者には、つはものどもが夢のあとを哭する余裕はない。新時代の為に蹂躙された廃墟にたって新時代の遺珠を拾ふは、時代から置きざられたものの有する感傷ではあらうけれど、さういふ感傷の中に、作者柳北は流石に江戸子らしく、新しき者も持つ暴力に都会人的な反発を感じて之に揶揄を加へるのである。そこに本書の過渡時代文学たる所以のものが存するのである。/解題 塩田良平(『柳橋新誌』岩波文庫)

出典
原文
成島柳北著,塩田良平校訂(1940)『柳橋新誌』岩波文庫

現代語訳
佐藤明.『柳橋新誌二編』訳.1996.34.1-24.大分県立芸術文化短期大学研究紀要. https://geitan.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1151&file_id=18&file_no=1 , https://geitan.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1151&item_no=1&page_id=13&block_id=35(参照2021-10-19)


※『柳橋新誌』岩波文庫は適宜新字体に改めた。
※『柳橋新誌二編』訳の引用の冒頭の括弧は私が挿入した。


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