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近代短歌(5.2)正岡子規(1867-1902)

緑先に玉巻く芭蕉玉解けて五尺約1.5mのみどり手火鉢をおお

緑先に玉巻く芭蕉玉解けて五尺のみどり手鉢を掩ふ

【玉巻く芭蕉】たままくばしょう
「玉巻く芭蕉」は夏の季語になっている。芭蕉の新芽は巻かれた状態でまっすぐに萌え、初夏になると2mにもなる大きな葉を開く。茎に見える部分は葉の根もとで葉鞘ようしょうであり、高さは2~5mほどにもなる。芭蕉の花は画像を参照いただきたいが、この黄色い花穂の周りに十数個の花が二列に並んで開く。☆を二つ重ねたような形で鮮烈、一見して忘れがたい。
「青芭蕉(葉が開いた状態の芭蕉)【画像】」「芭蕉の花」ともに夏の季語である。

風音のたかく玉巻く芭蕉かな  吉田冬葉
  二朝けふた|あさけ(←あさあけ)大霜ふりて芭蕉葉はのこらず折れぬさ青真っ青ながらにのままで  古泉千樫

 カラー図説 日本大歳時記 夏/短歌その日その日


うつせみここでは単に「人」ひつぎを送る人絶へて谷中やなかの森に日は傾きぬ

うつせみの柩を送る人絶へて谷中の森に日は傾きぬ

【谷中】やなか
東京都台東区北西部の地名であり、上野と駒込の間にある谷という意でこう呼ばれるようになったという。ここでは谷中霊園を指す。谷中霊園は1874(明治7)年に開園した都立霊園で、数多くの著名人が埋葬されている。上田敏(文学者)、佐々木信綱(歌人)、渋沢栄一(実業家)、徳川慶喜(江戸幕府第15代将軍)、横山大観(画家)など。


冬ごもる病の床のガラス戸の曇りぬぐへば足袋干せる見ゆ

冬ごもる病の床のガラス戸の曇りぬぐへば足袋干せる見ゆ

【足袋】たび
「足袋」は冬の季語になっている。『カラー図説 日本大歳時記』において、岡本眸は次のように述べる。

足袋は汚れやすいので、まめに洗わなければならないが、底が厚地のため、冬の薄日では乾きにくく、二、三日干しっ放しにすることがある。取りこみ忘れた干足袋が夕風に吹かれているさまはいかにも寒々とした景である。

カラー図説 日本大歳時記 冬

歌としては分かりやすいが、こうした情報を知ることで読みが深まるだろう。また、この歌や「緑先に玉巻く芭蕉……」の歌で重要なのは、子規自身が提唱した写実が貫かれていることだ。「冬ごもる」は冬の間家にこもっていることを言う。

子の母よいく旅結ぶ足袋の紐  召波
足袋をはく後姿の暗がりに着かれて小さき汝と思ふよ  千代国一

カラー図説 日本大歳時記 冬/「鳥の棲む樹」


夕顔の棚つくらんと思へども秋待ちがてぬ秋を待つことができない我いのちかも 詠嘆

夕顔の棚つくらんと思へども秋待ちがてぬ我いのちかも

【夕顔】ゆうがお
干瓢かんぴょうをご存じだろうか。巻き寿司の具や昆布巻きの紐になっているあれのことだ。干瓢は夕顔の実から作られている。夕顔はウリ科の植物で、果実は瓢箪ひょうたんに似ているが水風船のような形をしており、全長80cmほどの細長い形になることもあれば直径30cmほどのスイカ形になることもある。「夕顔の実」は秋の季語になっている。
「夕顔」は夏の季語で、夕顔の五裂した白い花を指す。夕顔は心臓形の葉をもつ。つるは長大で10mほどにもなり、板などに這わせて棚をつくることがある。「夕顔棚」も夏の季語だ。
「西瓜」と言えばその果実を指すが、「夕顔」と言えばその花を指すのは面白い違いだ。

夕顔に雑炊あつき藁屋かな  越人
驚くや夕顔実のこと落ちし夜半の音  正岡子規
声をあげて泣いてみたいね夕顔の白い白い花が咲いてる  山崎方代

カラー図説 日本大歳時記 夏・秋/こおろぎ

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