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「ワークライフバランス」の本質

こんにちは、大江仁です。

ここ10年くらいで当たり前の言葉になった「ワークライフバランス」。
仕事とプライベートのバランスをしっかり取ろうというもの。
日本人の場合は仕事ばかりでなく、プライベートの時間もちゃんと確保しよう、という方が正しいでしょうか。

僕自身は「ワークライフバランス」は当然そうだなと思います。
ただ、現在の自分で事業を成そうという僕は「ワークライフバランス」は考えていません。なぜなら、いち早く成果を作っていくためには、自分の出来うる限りの時間を、自分の結果を作っていくために注ぐ必要があるからです。「ワークライフバランス」という考え方が一般的になってきていますが、勘違いしてはいけないのは「ワークライフバランス」が誰にとっても「最善」であるか、ということなのです。今日はこのあたりの話をしていきたいと思っています。

前回の記事で「SDGs」についてご説明しました。
労働という面においてもサスティナブルである必要があることから「ワークライフバランス」というのは大事だと思っています。

そもそもなぜ「ワークライフバランス」が提唱されているのか。
まず内閣府の「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」を見ていきましょう。

我が国の社会は、人々の働き方に関する意識や環境が社会経済構造の変化に必ずしも適応しきれず、仕事と生活が両立しにくい現実に直面している。

誰もがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たす一方で、子育て・介護の時間や、家庭、地域、自己啓発等にかかる個人の時間を持てる健康で豊かな生活ができるよう、今こそ、社会全体で仕事と生活の双方の調和の実現を希求していかなければならない。

仕事と生活の調和と経済成長は車の両輪であり、若者が経済的に自立し、性や年齢などに関わらず誰もが意欲と能力を発揮して労働市場に参加することは、我が国の活力と成長力を高め、ひいては、少子化の流れを変え、持続可能な社会の実現にも資することとなる。

そのような社会の実現に向けて、国民一人ひとりが積極的に取り組めるよう、ここに、仕事と生活の調和の必要性、目指すべき社会の姿を示し、新たな決意の下、官民一体となって取り組んでいくため、政労使の合意により本憲章を策定する。

仕事の責任を果たしていくことと、子育て・育児は別に今に始まったことではなく、昔から存在していることです。

ではどのように対応していたのか。

日本の社会構造が大きく変わったのは1945年の敗戦がやはり一番大きかったと思います。それまでの家父長制的な家族制度が根本的に変化をきたす契機となったのは、日本が大日本帝国から日本国へと変わり、大日本帝国憲法から日本国憲法に代わって、民主主義国家となって、個人の自由が重んじられるようになったことにあります。

日本という国は戦後、経済的に大きく飛躍しました。
特に大きかったのは岸信介政権での1960年の安保闘争で、吉田茂が結んだ米軍に日本の駐留を認めるというだけの日米安全保障条約から日米が共に軍事防衛行動を行う新安保条約への改定を進めたことをきっかけに、戦争への強い忌避感から世論が反発、闘争が起こりました。

この激しい安保闘争から国民の戦争への強い忌避感を感じた続く池田勇人政権は「所得倍増計画」を掲げて、日本の軍事的、復古主義的な政策から舵を切り、経済成長に重点を置いていきます。ここから高度経済成長が始まります。

日本の経済成長を大きく支えたのは、日本特有のメカニズムとも言える「企業社会」です。企業が日本人のライフスタイルを支える、もはや日本人の生活・人生=企業での人生に等しいレベルだったと言えるかと思います。

キーワードは「新卒一括採用」「年功序列賃金」「終身雇用制度」。

今となっては何の意味があるのか、古い考え方だと批判されそうなものですが、でも現在でも残っている企業は多いと思います。なぜならこれらのキーワードは企業社会を支える意味で重要な役割を果たしていたからです。

日本の社会人のライフスタイルを全て担っていたと言っても過言ではないのが日本企業でした。高校もしくは大学を卒業したら、一斉に就職活動を始め、就職をする。そして、一度入った会社で生涯を過ごし、定年して退職金と年金で余生を送る。これが当たり前だったのです。

会社に入社した後、しっかり働いてさえいれば賃金も上がりました。今でこそ実力主義で賃金が生まれるべきだというのが広く流布していますが、一億総中流というみんなが豊かな社会を生み出したのは、この年功序列賃金も大きいのです。年功序列というと、年を取れば賃金が上がる、シンプルに言えばそうです。そして、(当時の常識で)一般的には歳を取れば取るほど支出も増えます。結婚→出産→教育→マイホームとライフステージが変わるごとに支出は増大していくのです。それに合わせて賃金が伸びていくのが「年功序列賃金」です。つまり上記のライフスタイルをほとんどの日本人が過ごすという前提であれば「理にかなっている」制度なのです。そして、子供も巣立ち、終末期に入ろうとするところで定年退職を迎える。退職金と年金で余生を送る。これが日本の多くの人の一生でした。

この前提において、日本のビジネスマンが会社にある意味、忠誠を誓うことは理にかなっていました。働けば働くほど豊かになることがわかっていたし、将来の絵姿が見えていたからです。この前提があったからこそ、日本人は必死に働きました。バブル期のCMで「24時間戦えますか」というリゲインのCMがありましたが、それも頷けます。会社での地位はライフスタイルの豊かさに直結していたからです。

社会構造が大きな転換期を迎えるのは米ソ冷戦の終結です。
ソ連の崩壊によって、資本主義VS社会主義という構造が終わりを迎え、インターネットの普及などによって市場が世界規模に拡張していくと、今度はグローバル化の時代に突入していきます。日本の経済も頭打ちにあい、かつ世界規模の安価な労働力との競争に巻き込まれていくと、それまでの企業社会の構造では通用しなくなりました。頑張っても給料は伸びない、やりがいを感じられない、さらには寿命は伸びていく一方で、少子化も加速して年金制度も崩壊しつつあり、老後の不安は拡大、この状態で会社に忠誠を誓う意味を見出せなくなっているという側面が生まれてきています。

自分の未来を担保してくれる会社がそうではなくなり、会社に自分の全時間を注いだとしても、サービス残業になり、企業に搾取されるという構造が生まれてきました。そもそもホワイト企業・ブラック企業なんていう言い方は高度成長期にはなかったはずです。なぜなら、働けばそれだけの恩恵が受けられたからです。会社から労働者に与えられるものが減った昨今で生まれたのが「ワークライフバランス」です。僕個人の考えとしては今の時代の会社に合った「等価交換」だと思います。そして、この等価交換が崩れている状態が「ブラック企業」なのです。

会社と労働者の関係は、労働力の分に対して、賃金を払うという基本的な考え方です。今は会社で一生懸命に粉骨砕身で働いても、安定した地位を得るのはかつてに比べたら難しいものとなっています。だからこそ程々に働いて、程々に休む「ワークライフバランス」の時代なのです。

ですが、僕は自分で事業を立ち上げていこうといういわばビジネスにおけるアスリートのようなものなので、この生き方はしていません。スポーツ界のトップアスリートがいい成績を出すために、「ワークライフバランスで・・」とか言ってられないのと同じように、僕自身もいち早く実績を作り、結果を築くために、自分の持ちうるほとんどの時間を自分の仕事のために割きます。なぜなら得たい成果が大きいからです。

世の中の多くの方が「ワークライフバランス」で程々に働き、程々に休む中で、僕は全力で働き、全力で遊ぶために、持ちうる時間の最大限を自分の仕事に注ぎます。まさに自分のために「24時間働けますか」を実践していく生き方、僕はそれが面白いと思っています。

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