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週一投稿だって頑張ってるんだよ!!!――副題:とある遅筆な物書きの嘆き

 自分で言うのも何だが、私は多忙な人間である。
 やることが多すぎて時間が足りないので、一時期は、一週間が八日間である前提に基づいて生活していた。要するに、七日間で八日分のタスクをこなしていた。休日の概念はなかった。
 案の定、体を壊しかけたので、もうやらないと心に決めている。

 時間が足りないので、執筆に回す時間もなかなか確保できず、noteを始めた当初は、本当に不定期の更新だった。
 具体的には、時間がとれる月に二、三記事を投稿しては、数ヶ月失踪する、といった具合である。

 当然、このような更新頻度では記事に見向きもされず、一ヵ月に一桁台という、驚異的なアクセス数を叩き出したこともある。むしろ、どなたが見てくださったのか、不思議でさえある。

 

 そんなとき、一念発起というほどでもないが、ちゃんと定期的に記事を更新してみよう、という気になった。自分でも、なぜそんなことを思いついたのか、とんと記憶にないのだが、兎に角「何でもいいからnoteに上げる」ことを目標にすることにした。

 では、どのくらいの頻度にするか……と考えたのだが、先述の通りなかなか多忙な生活をしているため、毎日の更新は絶対にできない自信がある。
 かといって、月一回の更新は、あまりにも志が低いだろう。というわけで、週一回の記事投稿を目標に、こっそりと頑張り始めた。だいたい、三ヶ月ほど前の話である。


 ところで、noteで何を発表すればいいのか、というのは私にとっては永遠の命題である。
 いや、自由に何でもやればいいのだろう。しかし、縦書き・明朝体の小説を至高とする私としては、noteは自分の小説を発表する場としては、不適なのだ。
 画像と文章をまとめて発表できたり、見出しなどの設定の自由度が高かったりと、noteというプラットフォーム自体はとても好きなのだが……運営さんが縦書き機能を実装してはくれないだろうか、とぼんやり考えている。

 それならば、とエッセイの練習のつもりでnoteの記事を書いているのだが、果たしてどのような記事に需要があるのか、全くわからない。
 そもそも、需要と供給の理屈に基づいて、記事が書けるほど器用な物書きでもない。己の興味の赴くままに、どこに需要があるのかもわからない記事を垂れ流すのみである。

 とはいえ、思考の整理としてnoteの記事を書く、というのは中々有意義だ。
 noteのネタ、、にすべく、聞きかじりの知識もより深く調べるようになった。自分の手帳に書きつける分には、ソースが多少曖昧でも構わないが、公共のネットワークに乗せるとなれば、それなりの根拠が必要であろう。お陰様で、うっかり根深い民間信仰について詳しくなってしまったりもしたが、それもまた一興……と思うことにしよう。


 一週間に一本の投稿ペースにすることで、良いこともあった。一本一本の記事に、十分な下準備ができることだ。

 例えば、私がひとりで連載して遊んでいる「奇怪なる百科事典」などは、数本の論文を読み、公式ホームページを行脚し、著作権が切れた古文書の画像を漁ってやっと、一~二本の記事が出来上がる。我ながらよくやるものだ、と感心する。誰か褒めて欲しい。

 そう、私が比較的遅筆な物書きである原因の一つは、ここにある。すなわち、執拗なまでに下調べをし、構想を練らなければ、執筆に移ることができないのである。
 これは最早性分であるので、どうにもできないところではあるが、何となく損な気質であるような気もする。


 何はともあれ、もう三ヶ月ほども一週間に一本、毒にも薬にもならぬ記事を吐き出すことができている。継続は力なりとはよく言ったもので、ここ最近は、ちょっとずつ記事を見てくださる方も増えている。
 極限の自己満足のような記事しか書いていないので、はじめから評価はあまり期待していないのだが、それでもだいぶ嬉しいものだ。

 この記事は、三ヶ月間頑張れた証として、こっそりと書き記してみた。次は半年を目標に、また一週間に一本、需要などない記事を書こうかと思っている。

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