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鳴釜神事

 鳴釜神事とは、吉備津神社にて行われている、一風変わった神事だ。祈願したことが叶うかどうかを、釜のなる音で占う、というものである。

 吉備津神社の主神は大吉備津彦命だが、この鳴釜神事で託宣を下すのは、この主神に討伐された鬼、「温羅うら」である。
 大吉備津彦命の神話は、桃太郎伝説の原型として、最有力候補に挙がっている。温羅退治の伝説と、鳴釜神事については、吉備津神社のホームページに詳しい。ここでは神事の概略のみ記す。詳細は、下記のリンクから確認していただきたい。


 鳴釜神事のおこりは、温羅退治が終わったところから始まる。

 吉備津彦(大吉備津彦命)により退治された悪鬼、温羅は、首を刎ねられてもなお、日夜唸り声を上げて人々を悩ませた。吉備津彦は、温羅のくびを犬に喰わせて髑髏にしたが、唸りはまだ止まない。ついには地中深く、御竈殿の釜の下に埋めてしまうが、それでもなお温羅は唸り続けた。

 苦心していたある夜、吉備津彦の夢枕に、その温羅が立った。温羅は語り始める。

「吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛あぞめをしてミコトの竈殿の御饌を炊がめよ。もし世の中に事あれば竃の前に参り給はば幸有れば裕に鳴り禍有れば荒らかに鳴ろう。ミコトは世を捨てて後は霊神と現れ給え。われは一の使者となって四民に賞罰を加えん」

吉備津神社ホームページ 鳴釜神事

 吉備津彦が温羅の言う通りにすると、唸り声は止み、釜は吉凶を占うようになった。これが、鳴釜神事の由来であると言われている。

 今日でも、鳴釜神事を執り行うのは、神官と「阿曽女あぞめ」と呼ばれる巫女である。

 吉備津神社では、申し込めば誰でも鳴釜神事を体験することができる。温羅のお告げ通りならば、「幸有れば裕に鳴り禍有れば荒らかに鳴」るとのことだが、現在では神官も阿曽女も、釜の鳴音から吉凶を占うことはない。全ては自身の解釈にゆだねられている。

 吉備津神社の神事は古来より名高く、上田秋成の『雨月物語』でも「吉備津の釜」として登場している。
 吉備津神社のホームページによれば、他の神社でも同様の神事は存在したようだが、最も有名なのは、現代まで続くこの神事であろう。


 さて。「鳴釜」という名前で、江戸時代が誇る妖怪絵師、鳥山石燕の絵を思い浮かべる方もいるだろう。
 この絵は、百鬼夜行絵巻に描かれる釜の怪異を原型にしているが、吉備津神社の鳴釜神事も、おそらくイメージされている。

鳥山石燕『百鬼徒然袋 下』「鳴釜」
国立国会図書館デジタルコレクションより(見やすいよう加工済み)

 百鬼徒然袋では、この怪異についての簡単な説明もある。書き下してみると、

鳴釜
白澤避怪図はくたくひかいのづ曰く
飯甑はんそう声を斂女れんじょづく
此怪このかい有るときの名を呼べバ其怪そのかいたちまち自づから滅す

となる。何点か補足しよう。
 ここでいう白澤避怪図とは、戸隠神社に関連する宗教者が配布していた絵図である。様々な怪異を退ける、守り札のようなものと言える。
 「こしき」という語はあまり身近ではないが、米や豆を蒸すための器具のことを指す。現在で言う蒸籠せいろとほぼ同じものと思っていいだろう。

 要約すれば、「甑が鳴動する怪異の原因は、斂女という鬼である。この鬼の名を呼べば、怪異はたちまち落ち着く。」という内容が書かれている。

 「甑」が鳴るのであって「釜」じゃないじゃないか、と思われるかもしれないが、どうやら「甑」「釜」「竈」という語は、当時はセットとして扱われていたふしがある。全て炊飯時に使う道具なので、ざっくり同じようなもの、として扱われていたようだ。

 そもそも、釜が鳴動する原因を「女の鬼」に求めるのは、かなり根が深い民間信仰である。その起源は、古代中国に求められる。


 ……と、本当はひとつの記事に纏めるつもりだったのだが、かなり長くなってしまった。一度ここで区切り、古代中国と日本における「釜が鳴動する怪異」に関しては、「釜鳴」としてまとめることにする。



参考文献
吉備津神社ホームページ(閲覧日 2022/10/22)
国立国会図書館デジタルコレクション(閲覧日 2022/10/22)
佐々木聡 2017『釜鳴をめぐる怪異観の展開とその社會受容』 「人文学論集」35巻1-18頁 (→大阪公立大学 学術情報リポジトリよりダウンロード)



この記事は、筆者の知的好奇心を刺激してやまない世界中の各事象について、備忘録的にまとめているマガジン『奇怪なる百科事典』の一項である。他の項も覗いてみたいという物好きな御仁は、下記のリンクより目次をご参照いただきたい。


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