没頭について

好きなことだからこそ没頭できるのか、それとも没頭できたことが好きなことなのか、等ということを考えることがある。

好きなことに関わるのが楽しくて気づいたら没頭していた…というような経験が自分にはあまりない。

好きなことやら、その時はどうでもいいと思っていたことやらで悔しさを味わうと、それを晴らしたいという気持ちから没頭していくような気がする。

当初の問題に戻り、自分の経験で前者に当てはまるのは、曲作りをしたいが全然できなくて、悔しさからコード進行について学び始め、それに対してのメロディの動きも音符で捉えて関係性を知る、ということをやっていた。元々好きな分野だったので常に悔しさで動いていたわけではなく、楽しさに支えてもらっていた部分もあると思う。曲作りを始めて曲ができるまでは3年かかった。悔しさも積み上がると何かになるのだなと思った。

そして後者にあてはまりそうなのは、ITエンジニアになるまでの学習機関である。ネットサーフィンくらいでしか使わないPC、コンピュータについて学び、ネットワーク、DB、プログラミング…
興味はないが聞いたことのある単語だらけだったので、それぞれ知見は僕のへーそうなんだを超えてなんとか頭に入ってきた。
プログラミングの学習を始めて3ヶ月目くらいに、ドラゴンクエストの戦闘システムが作れるような気がして休みの日の朝から取り掛かり始めた。夜にはHTMLやCSSを組み合わせて、モンスターと戦えるゲームができていた。

音楽もプログラミングも好きで没頭できるものだが、そこに至るまでの経緯は違っていた。ゲーム作成に入るまでは楽しさもなくやっていたことを思い出す。

没頭しているときの、相対するものから得られる情報というのは凄まじい。音楽やプログラミングとコミュニケーションを取っているような感覚になる。音楽とプログラミングと友達になったんだ。

今興味がないものでも、そんな風に自分が没頭できる要素がどこかにある気がするので、残りの人生でどれだけ見つけられるか。

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