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2024年4月前半

桜の開花が遅い、遅いというけれど、10年前は4月になってから咲くもので、入社式や入学式に満開を迎えるかどうかが話題になっていた。3月中に満開を迎えるのは温暖化が進んでからの話なのだ。だから遅い、遅いというのはなんだか変な感じがした。

遅い遅いというが、すぐ夏になることは目に見えていて、今度は「いまから暑くて今後どうなるのでしょう」などと報道するのを耳にするのだ。

もうちょっと気の利いたコメントをしてくれると嬉しいなぁ。

桜の咲き加減を気にかけたり、咲いてもいないけれど3月末にお花見をしたり、結果的に長く楽しむことができた。なかなか良き春ではないか。

あ、北海道では現在進行形で桜が開花しつつある。


20240401 Mon.

読書会
『他者の靴を履く』
ブレイディみかこさんは、読み手のなかに「ちくっ」「嫌悪」・・・などを引き起こす。そこにイライラしたり、無用なわからなさを感じたりする。すると、著者が意図していることをダイレクトにつかむ前に、何か読者に対して優越感に浸ろうとしているのか、などと余計なことを思ってしまうことが多発している。これだけのことを言いたいのなら、このことは単に知識のひけらかしではないか、とか、毎度出てくるから著者のこだわりポイントなのだろうなと思うものの、伝えたいことに対して直接的な効果がないように思う。

読書会しながら、そのような本題に入る前のことでウロウロ彷徨うことになり、いいんだか悪いんだか。

少なくとも、新たなことに関心を向け、考えさせる価値ある内容なので、もったいないなという気がしている。でもそれが話題づくりの戦略なのかもしれない。甘いものにちょっと塩が入っているほうが美味しく感じるような、雑味を狙っているのだとしたら、私達がとやかくいう筋合いではない。


入都式っておかしくない? 都に入るのではない。都庁に入る入庁式では?
4月1日らしいニュースとして、都庁の入社式の様子が報道されていた、という違和感を感じた言葉。


うまく進まない時、片付けをしよう!
いまの私にとって大事なのは前へ進む(=行動する)ことなのだけど、そういつも進めないときがある。そんなときは寝る、または片付け。
(笑)そうなると寝ることが多くなるかもしれないけれど、イヤな気持ちや硬直した状況を維持することは止められる。

いまイヤなのは、硬直した状況、頭だけ周って行動していないことだ。

もとから行動が少なく、考えてばかりな私だが、もうそればかりに固執してはいられないはず。急に性格は変わらないけれど、しばらくやってみよう。


お花見、勉強会などでよく顔を合わせるメンバーと。
なぜか私が幹事になった。場所は北の丸公園から千鳥ヶ淵へ。

雷雨があると予報されていた。午後と夕方、2回降ったのでこれで安心と思い花見に向かった。集合していざ出発しようと思ったら大粒の雨がポツポツ。仕方なく近くのスタバで時間稼ぎをして、雨が上がった様子をみて出発した。しかし地下鉄出口に至るまでにまた大粒の雨。足止めをくらい、ついに歩くことを諦め、隣駅まで地下鉄移動することになった。

一時は晴れたのに…

本当は北の丸公園を歩いて、地面と木々・空に囲まれた空間を味わいたかった。隣駅は九段下。私達同様にお花見目当ての人達がそぞろ歩いている。今日は月曜日だし、満開にはまだ遠いので、それほど混雑していない。

千鳥ヶ淵沿いは、千代田区が薄ピンクのライトをつけてお花見気分を演出していた。ライトアップすると、満開でなくともそれなりの雰囲気が出る。まだ空は明るい青で、この時間帯だけの景色が素敵だった。

千鳥ヶ淵

2年前、私は参加していなかったが、ほぼ同じメンバーでお花見をしたときと同じ焼き鳥屋へ行き、すっかり落ち着いて話し込んだ。お花見実質40分、飲み会3時間半。花より団子だ。団子でなく、焼き鳥とお酒。

20240402 Tue.

朝読書会
ラスキー博士の論文を読んでいて唯識の話になった。
そこから展開して、やはり東洋と西洋の考え方を融合する必要があるし、自我の捉え方を類型にわけて捉えることが妥当なのかもしれない。
他者と自己の関わりを、西洋的な自我では切り離している、東洋的な自我では重なり(中動態)をもって連なりを想定している。

たまたまラジオ代わりに聞いていた加藤洋平さんのトークにて唯識や阿頼耶識など、仏教における自己認識や意識についての話をしていた。まさに同じ話題だ。


実家へ到着してから、夕食まで1.5時間ほどハナニラを抜いた。ちょうど花が咲く時期なので、どこにハナニラがあるか花を目印に把握できる。ざっとみて8か所。見えていないものもあるだろう。

とはいえ、一昨年、昨年からしたら大きな前進。ハナニラ花畑が無くなったのだから。

ハナニラは、きれいな花をつけるがその形から「ユダヤの星」という別名もある。一掃するなどと言えば今どき際どい話になる。決して一掃できない、だけど広がりすぎると困るのだ。


静岡県知事の辞職意向との報道
これ異常。
7時頃のニュース前に、地震かと思うような緊急アラームが鳴ってテロップで報道された。地震でもないのになぜ? すぐに7時ニュースが始まるのになぜ?

川村知事はリニア新幹線に反対していた。前日はリニア新幹線の開通予定が予定通りできないことをJRが発表していた。それと連動して揚げ足を取られるようなリークニュースだったのではないか。と私は思う。本来入庁者への歓迎スピーチなんて、毎年どこの県も取材しているのだろうか? 主旨を取れば全く他の職業を揶揄するものではないことはわかる。県庁に就職した新入職員も同じ思いではなかろうか?

明かに川村知事つぶし、リニア反対派潰し。


イラン、シリア・ダマスカスにあるイラン大使館をイスラエルが攻撃
イスラエルはやりたい放題ではないか。らんぼうものだ。
イランの司令官がひとり亡くなっている。それを狙ったのか。ザヘディ准将や関係者7人。

シリアの外相はすぐに声明を出した。

国連はきちんと非難声明を出せ。

攻撃に報復を重ねる方向へ進んでしまう。
これを阻止しなくては。
彼らの怒りに対して、各国はきちんとケジメを示さなくては。

イスラエルは言い逃れをしている。
領事館でも大使館でもなく、装ったコッズ部隊の作戦組織だという。
ザヘディらを狙っていることは明らか。領事館でも大使館にいるところを狙ったのか。

イスラエルは、自分たちとあまり関係のないところまで戦いを広げようとしているのか。世界中に戦いをしようと仕掛けているのか?


川勝知事の件、文句をいう人達は、文句を言いたいだけか、読解力・理解力が無いのでは?
コミュニケーションは受け取り手が決めるといえば、そうだ。
だから

不適切発言か~

地元では煙たがられているのかな。学者一家の家、と揶揄されている。人の感情の機微がわからないといいたいのだろうか?

クドカンや阿部サダヲはなんと思っているだろう?

昨年の「再度不適切発言したら、辞職する」といった言葉がデータベースの底から引っ張り出してきて攻撃され問題視されている。

外国ならこの程度の地域意識のバトルはあるんじゃないだろうか。

街頭インタビューで「こんなのはおかしい、不適切だ」と人々に言わせる報道。
同時にリニア新幹線の開業延期に追い詰めた静岡県の着工許可を出さない知事としての決断がある。これが無縁であるとは思えない。

大きな決断、それも体制に異を唱える立場を取っていたわけで、肝を据えないと出来ないことだ。静岡県が関わる距離は、他の県と比較すればとても短い25kmだが、山中であり、そこから流れ出る大井川周辺への影響を考慮した反対なのだ。

20240403 Wed.

台湾で大きな地震
台中の東側、花蓮が最も深刻。台北もかなり揺れモノが散乱している様子。

津波が沖縄にも。

友人が沖縄に住んている。お嬢さんと犬と一緒に高台へ避難したそうだ。
別な友人のお嬢さんは4月から沖縄へ行ったばかり。初の一人暮らしを始めるときに、地震と津波で驚いたことだろう。友人も非常に動揺していた。


法務局で登記手続き。わりとあっさり受理された。問題がなければ、後日登記証を受け取れる。
私が法務局へ行く日はなぜか雨が降る。


図書館を出るとき、外国人の夫婦がそれぞれ一台づつ乳母車を前に、出入口で立ち尽くしてた
2人の間を通るか、端へ回るか、どうやって通り抜けようかと思いながら見やると、駅まで行きたいがどの道を通ったらよいか?と尋ねられた。バギーが2台あると、混雑した道は確かに通りにくい。どこも混んでいて歩けないという。

原宿の駅まで、人通りが少ない道を案内することになった。
インド系のアメリカ在住者。どこから来たのかという尋ねるとインドだというので、「インドには行ったことがない。でもぜひ行ってみたい」と話してみたら、「いやいや、あんなゴチャゴチャしたところは・・・」という反応。そして「いまアメリカに住んでいる」とのこと。そうか、小柄な旦那さんは白人みたい。

「渋谷はなぜあんなに混んでいるのか?」
「夜、いつまでも若者がいるのはなぜか?」

渋谷の混雑ぶりにとても驚いているようだった。
明日はディズニーランドへ行き、そのあとアメリカへ帰り仕事に戻るらしい。約1か月。いいなあ。

原宿駅は、竹下口にはエレベーターがないので、明治神宮側まで回った。
最後、奥さんとハグして別れた。

20240404 Thu.

朝読書会。
夕べ遅くまで寝付けなくて、頭が動いていない。大したコメントも出てこない。


このところふと思うことをメモしておこう。
欺瞞。
みんなが優しくしてくれて、この年齢だから当然持っているものをすごいと言ってくれることに甘えていては欺瞞。
言葉をありがたく受け取る。一方で学びの途上として、教えてもらう。やってみて出来ない、出来るようになるまでやってみる、そんなことがセットで必要。


坂本龍一『TIME』
Dancer 田中泯 宮田まゆみ 石原淋

初台 新国立劇場 中ホールにて

雨音で始まる 最後も雨音? いや金属の音、小さな鐘のような。

ホールの中に自然があるような舞台
舞台のなかで夢を見る そして夢のなかで50年経ち、人生とは夢のようなものだと主人公は思う
主人公は水にまみれて、最後波の一滴になったように見える果て方をする

私はどう果てるだろう

前半は母がどう亡くなるだろうという想像がつきまとった
主人公が見送った女性がいたからだ

音と映像と人と水が織りなす世界。ホールから出ると、さっきまで夢の中にいたような没入感。

パフォーマンスはシンプルなようで、含意が深いようで、あとからも味わうものなのかもしれない。舞台づくりはとても高度で複雑。どうやってこの演出をしているの?と気を取られるくらいだった。

カーテンコール、高谷さんだけが立つ。なぜ? 私は田中泯に、宮田なつみに拍手をしたかった。彼らこそ土の香り、音の響きがあったから。高谷さん、論理、手触り感のない人が乗っかっているようでちょっと気持ち悪かった。15,000円のチケット代は、どこにどのように配分されるのだろう。

あとでわかったことだが、同じ公演を知り合い2組が観ていた。でもすれ違いもせず、見かけもしなかった。なんだか別空間に生きている証明のような気がして、少々悲しいような微妙な気分。会ったらどうだということもないが、会いたかったなぁ。


『TIME』を観るために、本来ならJRや地下鉄を乗り継いで初台まで行くのだが、時間ギリギリになったことと、毎度新宿で乗換に手間取る傾向があるため、今日は思い切って渋谷駅からタクシーに乗って会場まで行った。渋谷から初台まで約2000円。

高いが、焦っていくよりマシだと思ってのこと。

15-20分くらいかかる。感じの良さそうな運転手さんだったので、普段気になっていることを伺ってみた

「交差点10mを越えたところでないと駐停車してはいけないとされているが、タクシーの乗り降りに交差点近辺で行うことが散見される。昔(30年くらい前)は、もう少しタクシーの運転手さんに主導権があり、交差点で手を挙げると、もう少し先まで行くようにジェスチャーで促された。いまは、お客さんの力が強くなり、正しい停車が出来ないのだろうか?」

運転手さんは、ルールに変更はないが確かにそうですねと。さらに渋谷近辺は旅行者を載せた観光バスが左車線に駐停車していて、乗り降りに困るのですという話をしてくれた。これが銀座ならば、タクシー乗り場が決まっていて、その場所以外では違反になるため、お客さんもタクシー乗り場まで行っている。そのルールがある場所は限られるそうだ。

ふたつめの質問
「救急車が通るとき、都会では車がほとんど反応しないように見える。もちろん交差点では停まっているが、走行しているときに路肩へ除けるということを、都会ではほとんど見ない。地方都市へ行くと、すぐさま路肩に寄って救急車に道を開けている。このルール運用はどうなっているの?」

運転手さんいわく、都会では路肩に寄るか、3車線などの場合はどのラインにスペースを作るのか、救急車から声をかけることがよくあるとのこと。その指示に従い、臨機応変に路肩へ寄ったり、真ん中の車線を空けたりしているそうだ。運転手さんからみたら、救急車が通るにも関わらず、横断歩道を渡る歩行者や自転車のことの方が信じられないらしい。まぁどっちもまずい対応。このような場合も、路肩に駐車している車があると、支障が大きいとのこと。

そんなことを話しているうちに、初台についた。たまたま歩行者が赤信号のタイミングだったからだが、横断歩道に真上で降車した。私の利便のためでもあるが、こうして申し訳ないことをしているんだなという気になった。

ちょうど15分前に到着してゆったり会場入りできた。教えてもらったこともあり、いい勉強になった。


本日東京で桜満開宣言
2017年以来、4月になったとのこと。開花3/28から6日で満開。
「今年は例年より遅い」そうだ。例年ってなんだ?

ここ数年、卒業式に桜が咲くというのは随分早いなと思っていた。
桜はむしろ4月1日入社式、あるいは、4月5日入学式でしょ。


紅麹 小林製薬が叩かれている。
・健康食品の既定の問題では?
・小林製薬たたきの背景は?
・紅麹はそもそも、毒性があるものではない。

問題は健康食品の規制というか、しくみそのものなのではないか。
平成の形ばかりで中身が緩い規制の形が、問題を起こすシステムとなっているのでは?
なぜ小林製薬が叩かれるのだろう?

20240405 Fri.


読響定期演奏会にバイオリン奏者の金川真弓さんが出るというので、久々読響を聴きに行った。
噂のカンブルラン指揮も楽しみ。

金川真弓さんは、技術レベルが高い、頭も良さそうな賢い人。
そういう印象が強く残る演奏だった。きっと難しくてあまり知られていない曲を、これからも聴衆に聞かせてくれるだろう。
今日はバルトークのヴァイオリン協奏曲。

マルティヌー:リディツェへの追悼 H. 296
バルトーク : ヴァイオリン協奏曲第2番 BB 117
メシアン:キリストの昇天

2024年度の定期演奏会、最初のプログラムはマルティヌー:リディツェへの追悼からスタート。マルティヌという作曲家を初めて知った。チェコのリディツェという町が、ロシアの侵略を受けてそこから立ち上がることを願う音楽。いまに相応しい選曲。

メシアンの曲は、初めて聞くわけではないが、今日ほどメシアンらしさを味わえたことはないのではないか?と思うくらい、素晴らしい演奏だった。「キリストの昇天」のプログラムノートが秀逸だったのかもしれない。メシアンについて知見の薄い私のような人にもわかりやすい曲解説があったからかもしれないが、メシアンらしい不協和音のなりたちが解説されていて、読んだうえで演奏をきくと、カンブルランの指揮ぶりが絶妙だと感じる、そんな流れになっていた。

カンブルラン、噂にきいていたが、明るく、軽めで、色彩豊かな音楽。自由でありつつまとまりを持った演奏だった。読響は、たぶん小学生のころ聞いて以来なのではないか。つまりほとんど初めて聞いたようなものだ。管楽器、打楽器、そして木管ソロが良かった。

今日一番の収穫は、カンブルランによるメシアンだな。


台湾の早い災害対応が目立つ
日本の被災地への対応は「不親切にもほどがある」では?

花蓮の位置と能登の位置はかなり異なることは承知だが、花蓮の対応が都市部や地方都市で出来るかというと、そうではないだろう。となると、やはり備えが足りないと言えるのではないか。

防衛装備品も必要悪だろうが、その兵站と災害対応部分は重なる部分が大きい

避難所について

エネルギッシュな救助隊


20240406 Sat.


能登鉄道、全線開通3ヵ月ぶり
朝市、3ヵ月ぶり地元で開催。仮説住宅の前などで販売し、馴染みの顏に笑いと元気で良かったと。


川勝静岡県知事。もう手の付けようがないくらいの恣意的な流れ。嫌味な性格で変な人がリニアに反対していてその人が県知事退任するから反対する人はいなくなり、障害は無くなったのでリニア新幹線はここから進むぞ、という流れになっている。

リニア新幹線そのものの是非、工事することの是非を議論することなしに、変な知事が反対していたがその人が退任するから反対派が居なくなる、という筋書きに矮小化されている。


ガザ地区の人権状況における採決
事務総長が演説
賛成    28か国
反対した国 武器を輸出している国(アメリカ、ドイツなど)
棄権した国 日本

国民の一人として恥ずかしい。ガザの人達を前にどうして棄権できるのだろう?


気付けば2024年、21世紀も四半世紀となるのか。
ちょっと驚く。


すごいなあ。『千と千尋の神隠し Sprited away』というタイトルでロンドンで3ヵ月公演。


20240407 Sun.

100kmウォークの仲間が、5月に本番を迎える。そのための練習として小田原から江ノ島まで、35kmくらいを歩く。私も小田原や大磯あたりを歩いてみたくて参加させてもらった。

全員で9人。途中でもう1人加わる予定。
出発地点、小田原城は桜が美しかった。ちょうど見ごろ。

小田原城のお堀の桜

今回のメンバーはレベルが高い。
私のような一度歩けたらいいや、という投げやりな感じではなく、もともと体力がある人達と、二度目のチャレンジの人達。ペースが速くて体力もある。練習にさいしての目的意識もはっきりしている。私達の経験を踏まえた事前情報をうまく活用している。さらに、9人のチームワークがある。

私達が23-25時間で歩いたのと比較して、2-3時間早まるのではないだろうか?

途中合流する人と、遅れてタクシーでワープした人と、順調に歩いた人達が、平塚で一度に会えたという偶然も、何かこのチームが“持ってる”感を現わしているような気がする。

海岸沿いは単調な道 だけど波の音がして気持ち良い
東に江ノ島、西はもう夕方


実家へ今晩は泊まる。
だけどお腹が空きすぎて、藤沢で古久家へ寄って焼きそばを食べて帰った。

20240408 Mon.

昨日歩いた疲労感がまだ残っている。痛くもないが、ぼんやりした疲労。
一緒に歩いた人達の多くは、今日仕事。ずいぶん私は楽しているなぁ。
洗濯して、脚をマッサージして、無理なく過ごしている。


母は外出中。
雨の合間に、ハナニラに取り組む。

ハナニラは周囲の環境に敏感に反応し、繁殖方法を選択しているのだろうか?

取り去ったと思っていた場所に、うわっと細いハナニラが群生しているのだ。ハナニラは沢山種をまくし(1つの花から4つの種)、散らばった種は時間が経ってから発芽するようだし、発芽しないで種が越年するようだし、株の形で土中で育っているようである。だから見た目に生えていなくても、何もないとは思ってはいない。しかし、先週まで何もないように見えたところに若くて細い葉っぱが群生している。だから冒頭、周囲のハナニラが減ると、途端に一斉に発芽するのか?と思えてくる。

先日まで何もなかった?
いま柔らかい葉が束になっている。抜いてみると小さな株が集まってすくすく育っている

芝生の普通の雑草も抜きたいし抜くのだが、ハナニラも気になって抜く。どちらも片付けないとならない。うわー、身を引き裂かれる気分だわ。


夕方17時に母親と待ち合わせして鎌倉駅みどりの窓口で翌週の広島行きのチケットを購入。

JR鎌倉駅は窓口端末を1台しか稼働させていなくて、定期券購入のための長蛇の列が出来ていた。中学校の入学式が本日あったらしい。待ち合わせした母は、早めに来ていたものの、改札口にびったり張り付いて本を読んでいた。まわりをみるよりも、本への集中力が勝ったらしい。

駅員さん達は自販機で対応できるケースは順次自販機へ案内し、窓口でなければならないケースのみ列に残るよう個別対応していた。約1時間ほど待って、窓口でチケットを購入。

というのは、母親が持つ65歳以上のジパングクラブでの乗車券割引(3割)を受けるため。正規で買う私と7000円くらい違う。

ジパングクラブの入会規定がこの4月から変わり、これまでの60歳以上から65歳以上加入へと条件変更があった。私は今年加入できることを楽しみにしていたけれど、条件変更したためにしばらくこの恩恵を受けられない。一緒に行く友人はすでに60歳を越えてこの対象となっているので、数千円の差がでることになる。ブチブチいってもしょうがないが愚痴りたくなる。コロナの間も会員を辞めずにいたのに。JR東日本、いけずなことをする。

あまりに疲れたので、近くにあるサイゼリアで夕飯を食べることにした。
わりと満足。二人でこれだけ食べた。ちょっと「一杯のかけそば」的な雰囲気が漂ったかもしれない・・・(笑)

サイゼリア
グリーンピース+温泉卵、シュリンプサラダ、ラムのサイコロステーキ

母とは、今度日曜に新幹線で会う予定。

20240409 Tue.

明治生まれの人はいなくなりました。大正生まれの人が最年長。とのラジオニュース。
そうなんだ!
祖父は明治45年生まれ、祖母は大正2年生まれた。
二人とも亡くなって20年以上経っている。


私が法務局へ行く日はなぜか雨が降る。このところ3回行き、3回ともだ。

今日は法務局へ入る前は小雨、出るときは大雨だった。
大雨のなか、歩くもののどこかで雨宿りをしたいと思っていた。そういえば美味しいパン屋はどうだろう? ランチ時間なので、飲み物とパンというわけに行かないかもしれないが、雨宿りできるなら。たどり着くと、お店はやっているが、ビストロは定休日だった。残念。仕方ないので、パンだけ買って帰ろうとみると、ついにクロワッサンが500円になっていた。ここは美味しいし、大きさも変わらないで380円から430円とかに上がった記憶がある。ついに500円かー。

ついにクロワッサン1個500円
Viron クロワッサンとパン・オ・ショコラ
これまで同じ大きさだったけれど、ここへ来て小さくなったような?!

後ほど食べた時、ちょっと小さくなり、ちょっとバターの濃厚さ薄れたような気がした。もうここに拘らないほうがいいのかもしれない。


YeLLセッション5人目さん
この方は内Fなのかな。こちらが言葉にすると、そうだとかこの辺が違うとかおっしゃってくださる。


米国で皆既月食
曇ってしまい、見えた・見えないは悲喜こもごもだったらしい。
米国でその前に起きたのは2017年。

この日、私は元夫と一緒に皆既月食を観にいった。
すでにうまく行っていない感を持ちつつ、何か体験を重ねることで変わるかもしれないとか、このときは、ここへ行くのに他の人は考えられないと思っていた。行かないというかと思ったら案外あっさり行くとの返事。

実際観にいってよかったし、彼もいっしょにいった価値は感じているみたいだった。少し持ち直す部分もあったけれど、相いれないところもあった旅行。

ちょうど私の誕生日8月21日が皆既月食だったのですよね。そこから様々なイベントも、心理的葛藤も、仕事の山も、色々あって、今ここ。

ちょっとは気になるのだけれど、
もう連絡を取ることはないだろう。隔世の感を感じる。


久々の映画。1月半ばにPerfect Daysを観て以来。
『Past Lives』

丁寧に使われる言葉
心のひだをやさしくなぞる。

人と人が関わっていくって、一人の人を愛するってどういうことか。全てを説明するわけでないが、誰かと出会って一緒に人生を共にするとは、何か確固たる後ろ盾があるわけでなく、どこかに偶然が入り込んだ出会いから始まる。

いい映画を観た。


課題文。
今週も没。
後半はいいが、導入がダメとの講評。
だんだん合格レベルが上がっているのかな。


今日は、must項目を果たし、それ以外は臨機応変に行っていき、結果的にまぁまぁうまく運んだ一日。
昼前に法務局の申請書アドバイスを受けに行き、そのとき大雨に降られて、寄り道したパン屋でクロワッサンが1個500円になっていることを知り(買ったけれど)、大雨でいつもの行列が短かったI’m donuts? に並び、妹のために4個購入、短い行列で30分。それでも午後のセッションに丁度いいぐあいに準備できて結果オーライ。思いついて映画を観にいき満足。法務局のアドバイスを思い出しながら、改めて書類作成と整理を行った。


I am donut?


20240410 Wed.

昨晩は本を読もうと思ったら寝落ちして、深い睡眠をとって日曜の身体の疲れがすっかり抜けた。今日はもう少し申請書準備を完璧にしよう。

・申請書準備
・一連の書類整理、課題洗い出し
・プログレッション
・writing 歩く、坂道のコツを記載
・風呂→夕方外出
・Googleドライブのメモリスペースづくり
・捨てるもの出し


夏に亡くなった友人の形見分けでいただいた白ワイン、暖かくなってきたので、冷蔵庫のなかへ新聞紙に包んで入れておこうと思った。ぞわっ、そうかもしれないと思ったけれど、何枚か無造作に取ってあった新聞紙、2022年8月15日だった。8月15日は友人の誕生日。亡くなったのは昨年8月21日、なんとか誕生日を迎えた後だった。

何か彼女からのメッセージだ。

忘れてない?
忘れないで!
……ということか
出会い直すって言ってたけど、やってる? ちゃんと生きてる?
……ってことか。


神宮外苑再開発関連。に関する提案を聴きに行った。建築家の立場からの提案。
・ラグビー場の建物自体は、建築後47年というまだまだ使える構造物
・シンプルな構造なので、現在求められる設備を拡充させることが可能

20240411 Thu.

夜、國分功一郎さんと斉藤幸平さんの対談を聴きに、会場へ。

その前に友人達にお会いする。1年ぶりだったり、
これまでにたぶん3回だけお会いしているけれど、憶えてくださった方とまたお話できて嬉しい。

斉藤幸平さんはパーマをかけた!
なんでだろう? 少し髪の毛が薄くなってきたのかな~ 男性でそうする人が多いけれど、むしろパーマで髪の毛が痛むんだよ。

2人は先輩後輩でもあるとともに、現在東大の教授として同僚でもある。今日は同じ会議に出ていて、一緒に会場まで来たそうだ。

今日のテーマは「危機の時代にあって哲学はどう役立てるか」
最初にそこからスタートし、題材として日本全国とくに東京、地方都市で行われている再開発について盛りこみ、最終的に哲学は役立つという着地点を目指した。

20240412 Fri.


朝読書会。
本題に入る前に、チェックインとして自身の近況、思うことを話すだけで30分かかってしまった。1時間の予定を20分延長して中身50分。


予約していたメガネづくりのため、眼鏡院へ。

重度の外斜視だという。
よく身体をぶつけませんでしたか? 空間認知がずれてますが、車の運転、苦手じゃないんですか? 立体感がわからないんですよ。

調整したメガネをかけてお店の中から街をみると、確かにどこもかしこもピントが合う。すべてが一度にくっきり見える感じがする。これまでは焦点が合っているところは一部で、周辺は視点を合わせに行く感覚が、いま比較してみるとあったのだと知る。

レンズだけで9万円から14万円の幅。すごいな。

このお店は2人の男性が開いているようだ。おそらく似た性格の人?!
これがいいんです、と若干押し付ける感じがするんだよね。

出してくれたメガネフレームも、ずいぶん高いものと比較的したらお安いものと格差がある。購入する側が選ぶというよりも、出してもらえたものの中から選ぶという、売り手優先の商売の仕方。眼鏡院としての目の計測が売りなら、もう少しフレーム選びには幅を持たせてくれたらいいのに。この部分で儲けますよという魂胆がゴツゴツしていて辛い。目の計測結果に意味があればあるほど、その魂胆に反することが出来なくなるような構造。彼らはサドか。

調整した結果のメガネは、眼科で計測してもらった結果よりも、ずっとクリアに見える。おそらく疲れ方も違うのだろう。

出来上がりが楽しみだ。
眼鏡フレームは大事に使おう、たいていのことは修理してもらおう。


友人たちが100kmウォークの事前練習として、今晩から明日明け方まで、夜間ウォークをする。藤沢~横浜~どこまで行けるか。この区間は、ところどころJR駅と近い場所にあり、コンビニやファミレスも適度にあり安心だ。

前回参加したメンバーのなかで、当日何もしていないのは私だけ。2人は軽井沢で開催されるマラソンへ、他の人達は100kmウォーク参加。すごいね~2回もやるとは。他に新しいメンバーが加わっている。

当日応援に徹するのは私だけ。ギャラリーが少ないから誰か応援の応援を頼みたい。

20240413 Sat.

イランに対して「止めろ」とアメリカが言うのではなく、「世界のためを考え、人々のことを考え、この世の将来を考え、このような戦いはお互い止めよう」というべきなのでは?

自分は正しいという立場を貫くのは無理がある。

このあたりお互いがお互いに影響し合っている、というベン図の重なりを意識したコミュニケーションをとるべきではないだろうか。相手と自分の〇が離れた場所から投げる言葉は攻撃にしかならない。


水原が100%悪くて、大谷は100%無実。それはそうなのかもしれない。ここにベン図の重なりがあるとしたら何なのだろう?

自民党が100%悪くて、さらにそのなかで懲罰対象になる安倍派中心に決めて懲罰して、それで決着をつける。そのとき逃れている人は誰か。逃れて先々に続く慣習は何なのだろか?

パレスチナとイスラエルの戦いも、100%正しい・間違っている論争をしている。

地球上では、そして宇宙まで範囲を広げたとしても、その影響はお互い及ぶわけだ。そのとき完全に悪、完全に善があるはずない。


そういえば『悪は存在しない』という滝口さん監督の映画が4月下旬から始まる。この関連で、『プリズン・サークル』『根っからの悪人っているの?』『怪物』などが見えない線上に並んでいるように思う。


夕方、DEATH フェス
414というと、「良い市」と書いて市政に注目を集めるイベントもあるようだが、今回は「良い死」の方。明るく、死にまつわる話題を話そう、というイベント。

1980年代、アルフォンス・デーケンさんが上智大学で、死生学を提唱されたり、柳田邦男が書いたり、臨死体験ということを立花隆が書いたりした。

1990年代、そういうことより景気動向にみんなの意識が向いた。

2000年代、どうだっただろう? 医療技術が進み脳死が話題になったかな。

2020年、多死世代。コロナを経て、その前から高齢化による死が増加し、良くも悪くも身近になった。

414カードを手に入れたのは、2019年か2020年だったような気がする。表裏に言葉が書いてある20-30枚のカードだ。死に対するイメージ、どのように死を迎えたいか、カードを観ながら浮かんでくるものがあり、一人で眺めても、数人でカードをきっかけに話をすることもできる。

そんなイベントで、このところ1年ほど、オンラインだけでお会いしていた方と対面! イベントの前夜祭と称してカクテルを出すお店になっている。


明日は広島で母方親戚の法事。
久々に会う人達、そしてそのなかの半分くらいは、きっとお会いするのも最後になるのだろう。

20240414 Sun.

10時過ぎの新幹線で14時過ぎに広島着。
スタンプ目当てにスタバへ寄り道して、親戚の法事会場へ。

すごいことだ。100回忌、33回忌、13回忌、お三方の法要
お寺関係の方が多くて、お経を唱える声が朗々として迷いなく、よい響き。

お経の本を配ってくださったのだが、前半はどこを読んでいるかわからない。中盤からやっと追いついた。

一通り終わると、バスに乗ってホテルへ。上層階の会場でディナー。円卓が7つくらいあり、それぞれに近い親戚が着席するスタイル。私達はいくばくかをお包みしているが、その費用には見合わない。地方都市の一族ってすごいなぁ。

久々にお会いする方とのご挨拶や、初めてお会いして、親戚関係を確認することの繰り返し。私は33回忌、13回忌を迎えたお二人との思い出があるものの遠い記憶だ。祖父母の話が出てきたりして、頭を懐かしい方向へ切替ながら情報把握する時間になった。

お料理は美味しくて・・・。親戚が美味しいもの好きでよかったな、と現世御利益的なことを内心思う私でありました。

20240415 Mon.

午前中は法事のメンバーの方々と半日の瀬戸内海クルーズ
7:30ホテルロビー集合、タクシーで港へ行き、8:30出航、広島から瀬戸内海を愛媛県の方へ向かって進み、しまなみ海道の島々をかすって、最後は広島県三原市へ上陸。ランチをして解散。

クルーザーは、ツアー客や個人客などとの乗り合い。昨年のサミットで首相らが乗った船だという。へぇ~っ!


サミットが開催されたプリンスホテルにも停泊してお客さんが乗船した


島々が重なってみえる瀬戸内の景色
どこが島の切れ目なのか、実はよくわからない
Google地図を見ながら、島の形を確認するのも楽しい


呉の港に何隻も艦船が停泊中
横須賀に次ぐ規模の軍港だそうだ
横須賀とちがって米軍はいなくて自衛隊だけなのかもしれない
停泊している潜水艦 動いていた潜水艦

艦船や潜水艦、カッコいいという面もあるし、
自衛隊の人達が、私達に手を振ってくれると嬉しいような気もする。
ここは八重山諸島や沖縄の島々での軍備強化と連動しているんだろうなとも思う。日本の軍備の最前線に近いところを観ているのだ。

一気に雰囲気がかわって大久野島。夜間は人が不在な島に、小学生が放した兎が繁殖して、昨年からうさぎの島として有名になったということだ。

地面を掘って、そこに座って落ち着きたい兎@大久野島
かわいい

ここから下蒲刈島、順番としては大久野島の前に通ったところ。
朝鮮通信使が天皇に対して定期的に来ていたとき、対馬藩から始まって各藩が接待をしながら京都まで旅をした。その停泊地のひとつ。

町がこぎれいでさっぱりしていた。多くの家が彩り豊かな花を育てていた。

島の風景@下蒲刈島
朝鮮通信使を迎えた港。立派な石灯籠。
朝鮮通信使の船
大きな商家だった建物に、朝鮮通信使の資料が展示されている

瀬戸内海は、本当に波がなく穏やかだった。曇りだったので写真がくすんでいることが残念。

多々羅大橋がうっすら写っている
現役で鉛生成を行っている島

クルーズ船の終着地は広島県三原市。タコと言えば明石だと思っていたが、三原はタコが有名だと今回知った。ランチはタコ尽くし。お刺身、煮物、天ぷら、炊き込みご飯等々。美味しかった。街にもタコが沢山デザインされている。

三原の駅前通りの車止め、3つか4つにひとつ(?)はこのような飾りがついている
三原駅前

その後、私達は在来線で岡山まで。乗換時にスタバでスタンプゲットして、新幹線で京都。そして琵琶湖線で近江八幡。

そのはずが、席に座って車窓をみていた母が「琵琶湖が右側にあるような気がするんだけど」と。私は混雑した電車のなかで立って、スマホで文章を書くことにすっかり集中していた。琵琶湖の東側にある野洲にまだ達していないから近江八幡はまだだろうと思っていたのだが、どうやら、琵琶湖の西側にいるみたい。電車のなかはだんだん人が少なくなってきて私も座っている。

琵琶湖線に乗ったはずが、湖西線に乗っているみたいなのだ。

この電車は米原行きなので、このまま乗って米原まで琵琶湖を一周して、その先近江八幡へ行く手もないわけでないが、すでに18時。その日のうちに着けるか心配になる。それに夜は景色が見えない。
和邇という駅で降りて、お手洗いへ行き、反対側の列車に乗ることにした。

無人駅ではないかと思いつつ、ホームから降りていくと改札脇に駅員さんがいる。母がトイレに行っている間、改札の近くで佇んでいることになり、改札を通過するわけでもない私はちょっと怪しい存在になっている。

そこで、駅員さんに事情を話し、近江八幡へ行くには戻って乗り換えればいいですよね、ということを尋ねた。山科まで戻り、そこで乗り換えて近江八幡へ行けるという。どこで間違ったんだろうという話を伺う。琵琶湖線と書いてあるホームで列車に乗ったのに。2番線と3番線が並んだホーム。米原行きにのった。

しかしそのホームからは、琵琶湖線と湖西線が発着しているのだそうだ。基本、2番から湖西線、3番から琵琶湖線。でも時間帯によって、入れ替わることもある。だからどちらの線なのかを区別して乗る必要があったみたいだ。

もしかして永原と米原を見間違えていたのかもしれない
これは山科駅の電光掲示板。京都でも同じような表示だった可能性あり

山科でも同じように、同じホームの島に、両方の路線が入ってくる。かならず琵琶湖線に乗るよう教えてくれた。親切にも、紙に打ち出した時刻入りの伝票を渡してくれた。これがあって、迷いなく動くことができた。

おかげで無事に近江八幡駅について、ホテル送迎をしてもらい寝床についた。

そんなこんなでバタついているなか、課題文を辛うじて提出。
スタッフの方に無理をお願いして、スマホで作った文を提出することとした。文字数をちゃんとカウントできていないが、概ね大丈夫だろう。今回は以前ボツになったものを書き直すという、省エネにした。とはいえ、かなり変更したので、ちゃんと体裁が整えられているか不安でもある。でも今回は提出することに意義があるということにした。

明日は、ここ近江八幡を回って午後新幹線で東京方面へ帰宅する。
母は連日早起きして動き出しているので、少々疲れている様子。
ホテルの広いお風呂でサッパリして、ぐっすり眠れますように。



3日の台湾の地震がかなり前に思える。
本当にこのところの時間の速さはなんなのだろう。

ここに書かないと、過去の自分がバラバラに散らばってしまうような感覚にさえなる。書いても、これだけ遠く感じってことは一体私はどうなっているのだろう? 誰もがこのような感覚になっているのだろうか?

まとまった気になるのは気のせいであって、
別にまとめる必要はなく
そのとき、そのときを生きていく、ということなのかもしれない

ところで4月17日に二度目の課題文合格が出ました。なのでフライングしてこちらへ掲載させていただきます。ゼロから書いたのはなく、一度ボツになったものを見直し削って再構成したもの。

気付くと、前回と同じく「幸せ」シリーズになった。

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