見出し画像

2024年5月後半

20℃の日も28℃の日もあった。
念のためとショールを持つような寒波が戻るとき、
カラッとした暑さに、湿度の気配が増すとき。
下旬は台風1号も接近して低気圧に変化。
5月の台風? 1号から日本に接近?

目まぐるしい天気ほど変化はないが、
これから私の生活は動きが必要とされつつあると感じる。
果たして動けているか?
気になる。
自分なりの生の全う&関係のなかで生まれるものを生きてるか。
母の動向も気になる。
だけど優先順位はまず自分のことでは? 生きて何すんだ?


20240516 Thu.

読書会『精神の生態学<中>』ベイトソン
学習Ⅲについて

なるほどこれが層の違う学びか
悟り、一皮むける、生まれ変わるような変化

学習ゼロ 刺激に対する反応、“反応の特性性“
学習Ⅰ  反応が一つに定まる”定まり方の変化“ 
     ゼロとは異なる反応を所定の選択肢群から選び取られる反応
学習Ⅱ  学習Ⅰの進行プロセス上の変化。選択肢群そのものの変更、
学習Ⅲ  学習Ⅱの進行プロセスに生じる変化。
     系そのものが修正される変化。質問の意味の変化?とか。
学習Ⅳ  学習Ⅲに生じる変化。

ベイトソン『精神の生態学<中>』pp.263-264

学習Ⅲは、

人間といえどもなかなか到達できないレベルの現象

ベイトソン『精神の生態学<中>』p.280

とある。根底的な再編/東洋の禅僧・西洋の神秘家でも言葉ですくいとるのは不可能という。悟りというか、OSの入れ替えというか。

”身にしみついた”前提を引出して問い直し、変革を迫るのが学習Ⅲだといってよい。

ベイトソン『精神の生態学<中>』p.283


学習Ⅳは、
Ⅲがあり、Ⅲを体現する人がごくわずかでもいるのであるから、Ⅳもあるだろう、とは想定されるが、

地球上に生きる(成体の)有機体が、このレベルの変化に行きつくことはないと思われる。

ベイトソン『精神の生態学<中>』p.264

ベイトソンでさえ、こんなふうに書いている。

性格とは

学習の束縛から解放されるということが、“自己”の根本的な組み換えを伴うのは確実である。“私”とは、“性格”と呼ばれる諸特性の集合体である。“私”とは、コンテクストのなかでの行動のしかた、また自分がそのなかで行動するコンテクストの捉え方、形づけ方の「型」である。要するに“私”とは、学習Ⅱの産物の寄せ集めである。
とすれば、Ⅲのレベルに到達し、自分の行動のコンテクストが置かれたより大きなコンテクストに対応しながら行動する術を習得していくにつれて、“自己”そのものに一種の虚しさirrelevanceが漂い始めるのは必然だろう。経験が括られる型をあてがう存在としての“自己”が、そのようなものとしてはもはや「用」がなくなってくるのである。

ベイトソン『精神の生態学<中>』p.284

ここから自分の価値観とか、主義主張というものは、学習Ⅱの一時的結果であり、変わり得るものであると言える。

これが私だと思っている輪郭が変わってくる!


本を買うかどうか迷って青山ブックセンターへ

青山ブックセンターが入るビルの中庭スペース
外が気持ち良い季節
産業廃棄物処理の車らしい
やたら美しいフォルムと色


20240517 Fri.

明日の小田原観光
今日明日の荷物・スケジュール・心づもりをめぐり、心がオロオロ。
そのうえ今日は、リアル初対面の人と長時間二人でお話する。楽しみだけれど相手をガッカリ失望させたら自分がふがいないなぁと、いまから困惑している。ん-、ここで困惑しても無駄なんだけど。

名古屋の知り合いMさんが鎌倉で仕事する機会に食事しましょうと声をかけてくれた。

そのついでに、母がお世話になっている理学療法士さんに届け物。たまたま母が施術をうける時間と重なってしまった。

パワフルな気をもったMさんとリアル初対面で、予約時間までカフェでお話。二人の話が温まったところで鉄平さんのお店へ。

春に来たのは初めて。
山形から送られてくる山菜も加わって、バラエティ豊かでした。
写真のほか、しどけの天ぷら、まぐろの漬け丼。

鉄平さんは魚ラブで自分で釣りもする料理人
いつか「さかなクン」が来てくれたら楽しいね~と話をしてました

このお店は店主がいい人だからか、お客さんもとても感じの良い方が多く、カウンター席5席に並んで毎回何かしらご縁があったりするのが面白い。今日、ご一緒した男性御三方、只者でなかった。今日はご縁の日らしい。
・写真家
・日本中世の歴史家
・陽気なおじさま(実はお一人でいらしていた)

Mさんと写真家の人、これから仕事上で関係が太くなりそう。
鎌倉時代など中世の歴史や埋蔵物に詳しい方、この方はよくお話なさってフレンドリー。でも写真家の人を全面に出して、ご自分の立ち位置は控えにまわっていらした。梶原にある井戸、ちらっと伺ったのだけれど何の話でしょう?


石丸氏 東京都知事選に立候補する予定と。
浅はかな……でも変化をもたらすかもしれない。東京都はどうしてこんなにパフォーマンス重視タレント政治家が食指を動かすのだろう。誰が知事になっても東京は混乱するだろう。かといって保守に傾き、小池再選となると困る。

20240518 Sat.

朝7時小田原駅集合という体育会系のノリで、3人集まり小田原城へ

小田原駅で一気に降りた、100kmウォークと登山の人々

昨年10月に私も出たTOKYO EXTREAM 100km Walkが、本日小田原出発で開催される。一緒に出て完歩した3人、リタイアした2人、さらに新しいメンバー5人、計10人が出場するので、その応援に来た。

出場メンバーと一緒に写真を撮り、7時半頃からのスタートに備える。
前回は8:40頃スタートして第3チェックポイント21:30という制限があったけれど、今回は1時間早いスタートで、第3チェックポイント22:00が関門時間となっている。余裕で通過できるでしょう。

選手を見送ってから小田原城を、そぞろ歩き。
小田原の北条氏は、鎌倉幕府執権の北条家とは別な家柄なんだと教えてもらった。へぇ~知らなかったよ。

快晴・無風でお堀はピカピカ
菖蒲の花が咲き始めている


新しくできた駅の観光施設 ミナカ小田原を見学。ここで3人が2人になり、お茶してもまだ10時。
とはいえ、この友人は以前同じ職場にいて密に仕事をした相手で、コロナ依頼のご対面、話始めると色々と話題は尽きない。

そして小田原は時間的な距離と地図上の距離はだいぶ異なるのだと知った。地図上で近い場所(江の浦観測所)へ行きたいと思うと、駅からかなり歩かなくてはならなかった。反対に箱根に近い地球博物館は、箱根登山鉄道と歩きで15分ほどだった。

神奈川県立生命の星・地球博物館は、恐竜・アンモナイトなどの古生代生物・植物の化石、地層・岩石を中心とした展示で見ごたえがあった。改めて面白いなと思ったのは、恐竜・鳥・ナウマンゾウ・猿・人間、進化上の系統は違うのに、関節の構造は同じということ。脊椎動物の関節は基本的に同じ構造をしているといえば、そうなのだけれど、実際に自分の上半身より大きな恐竜の踵や膝関節が、自分の肘関節と同じ構造をしているのをみると、なんだかすごいことだなと思ってしまった。
その奥にはDNAが共通しているわけで、それもすごいことなんだけどね。

お喋りしながら歩いて、仕事、家族、やっぱり仕事、地域。。。話は続く。
小田原駅に戻り、かまぼこ道で揚げたてかまぼこを食べた。確かに海岸近くにあり、海から上がってきた魚をここまで運んでかまぼこを作ったのだなぁ。美味しい。小田原在住の人達は、ごひいきにしているマイかまぼこ屋があるらしい。なんて贅沢。

かまぼこ屋さん

街の区割りは、江戸時代に出来上がったようだ。小田原城が攻められて落城したのち、街が再構成されたのかもしれない。

つい数日前、石工とはいうけれど、木を扱うのに大工とはどういうことだろう?と思っていた。その答えがここに。
小田原の古い町名を示した石碑。大工町。鋳物師・左官・加治工などの諸職をまとめる職人頭を大工といったそうだ。確かに家を建てるとは、多くの専門職のプロジェクトだ。

駅へ戻り大雄山鉄道のレトロカフェ。
実際に以前使っていた事務所をカフェに転用している。運転機材や駅長デスクなどが活用されていて興味深い。料理も美味しかった。老若男女楽しめる。

1日付き合ってくれた友人と別れて、戸塚へ移動。

100kmウォークのコースは、ちょうど駅周辺に沿っている。どの場所が良いか、つらつら見て回ったら、駅直前の建物前に石のベンチを設置してある場所があった。ここなら直線で歩いてい来る人が良く見えるし良さそう。
差し入れは、駅ビルスーパーで見繕い、ミニトマト・いちごに決定。結構疲れる場所なので赤いものがいいだろう。一個づつ取ってもらうだけで十分だろう。さすがに洗面所を探して洗った。

寒くなりそうで久々KFCでお腹を満たす。お店二階の席から歩いていく人がよく見える。

メンバーがLINEでお互いの位置を知らせ合っているのを見て、そこから何キロあるか、所要時間を計算し、そろそろという時間を見計らって道路脇で待った。

地味に歩いている
ゼッケンをつけているので、集団でいればわかりやすいけれど
単独で歩いていれば、街を行き交う人のなかに溶け込んでいる

ここは48キロ地点だと思ったけれど、あ、去年の地図上のカウントだった。今年はスタート地点が違うんだった…今年の地図をダウンロードしてみるとここは49.5キロ地点。ここで待っているよとLINEしておく。

夕方になり、薄日になると逆行でみんなの顏が良く見えない。焦るなぁ。

結局、先頭を歩いていた人は見過ごしてしまった。この人かなぁ?と思いつつ自信がなくて声を掛けられず。だって調子よく歩いているのに止めることになってしまう。

次に1人。気づいてくれた。歩きながらトマトと苺を取ってもらい頑張ってね、と伝える。

次に2人。気づいてくれた。歩きながらトマトと苺を取ってもらい頑張ってね、と伝える。

次に5人。気づいてくれた。歩きながらトマトと苺を取ってもらい頑張ってね、と伝える。ヘタを植え込みに捨てていた。そうそう、そうしてもらいたい。

今日は日中28℃まで上がり、平塚から江ノ島までの海岸線を歩く頃が最も辛い時間帯だった。みんなよく歩いたなぁ。偉いよ。

最後の1人。少し間が空きそうで、すでに暗くなって寒いからスタバに入っていたら、目算を誤ったようで通過してしまった。しばらく道路脇で待っていたけれど来ない、その後いま✖✖地点、と戸塚の先から報告が入った。あー、ごめん。最後の1人は、一番応援しがいがあったかもしれないのに。1人歩きは辛いから、私とでもちょっと会話すれば刺激になったかもしれない。

最初と最後、逃しちゃったなぁと思いつつ、明日のゴール時間を気にしつつ帰宅。

20240519 Sun.

先発メンバーは9時にはゴールするだろうか?
4時半頃から目が覚めてしまい、彼らのLINEを追った。
神宮外苑のゴール地点9時前を目指し、到着を待つ。

外周道路を入ってすぐにゴール
歩いてくる人達の表情が一気にかわる瞬間

神宮外苑外周を歩いていて、どこがゴールかなと思うと、外周道路から曲がってすぐがゴール。みな一気に表情が変わる。
待っている間、そんな皆を見ていると、自分が参加していたときとはまた異なる印象を持った。

・かなり年配の人が多い。70代夫婦。70-60代男性グループ。70代単独。
・女子一人も案外多い。
・男女ペアで歩いているのは、どちらも相手に合わせているんだろうな。
・ゴールと知り、一気に表情が変わる
・大会スタッフがテンション高く応援し続けている。(2-3時間…)
・つい声をかけた人が、自分は最高齢らしいです。83歳とおっしゃる。ということは? 友人が昨日昼間茅ヶ崎で一緒に写真を撮っていた人だ。ビックリ!
・昨年もう1歩も歩きたくないと私は思ったけれど、ここから駅まで800mくらいある。みんな大丈夫なのだろうか? たまにタクシー呼ぶ人がいるけれど。

9時半過ぎ 2人ゴール
10時過ぎ 2人ゴール
10時半過ぎ 4人ゴール

11時過ぎに解散。3名が1台のタクシーで表参道駅へ。
1名は自力で千駄ヶ谷駅へ。
5名も自力で外苑駅へ。

すごいなぁ。

・・・

私が応援にいくこと、too muchだったのかな。
「待たせてゴメン」とか“感謝”された。

単に「わー、完歩うれしい」とか「疲れたー」とか、それだけでよかったんだけどな。

同じチームだとは思っていない、歩いていないんだから。
仲間を侵害するつもりもない。
だけど出しゃばりすぎている、とか、
小さい子がいつまでもくっついて来て困る小学生お兄さん・お姉さんのような?
お母さんがいつまでもくっついて来て困る小学生お兄さん・お姉さんのような?
私はいつまでもくっついてくる小さな子・あるいはお母さんみたいな人?

ああ、そう思われているなら離れた方がいいなぁ。

そんなつもりはないのだけど、つもりは私の言い分なだけだよね。

前回はさー、家族が来ていたり、リタイアした人達がゴールに来てくれた。
今回は誰もそういう人がいなさそう。(実際は参加者の旦那さんが一人来てくれていた。だからその人の邪魔をしたことにもなるのかもしれない)
応援されても、歩くことには変わりがない。だから応援ていってもどうだっていいんだけど。

とはいえ写真や動画があったり、応援する人がいるといいんじゃないの? 
タクシー呼びたければ呼ぶよ、とか、駅までの距離感覚とか、方向とか。

友達と会うことにしたりして、100kmのために無理くり合わせたように思われているのかな?

実は私は歩きたいのに、その気持ちを抑え込んでいるのか?(笑)
歩く彼らと仲良くするために、無理しているのか?(non)

私は無理しているわけでないし、応援があったほうが気分のうえでプラスになると思ったからやったこと。
それを相手がどう思うかは別問題で、もしかしたら今回は結局のところ求められていないのかもしれない。
自分たちのチームで歩いたということのほうが大事。(私が応援したからってそれは変わらない)
これ以上、入っていかないほうが良さそう。出しゃばることになる。
ということなのかな?

人間未熟で、こういった機微がわからない。いい塩梅を自然とつかめるひとが羨ましい。

はは、まさに自分劇場展開中!


母に言われてしまった。「私が小笠原学園で教え始めたのは60歳のときだった。あなたもじきにそうなる」
これはつまり「何かしたらどうか。能力を発揮せよ」という意味。

20240520 Mon.

朝読書会
『新版 縄文聖地巡礼』
疑問を呈す人がいる、その人のこだわる鋭敏なポイントが私にはわからない。
わたしはぼやっと捉えている。

そもそも書いている中沢新一のことがよくわからないし、この人は複雑で深くて、一筋縄ではない。理解しようと思ったり、正しいと思う必要はなく、そう考えているんだなでいいと思う。どうしてそう捉えているのか、まで推論できたら、この人が大事だと思っているポイントがわかって、自分のぼんやり加減にコントラストがつくかもしれない。


学生時代の友人と会う。

新宿伊勢丹のレストラン街にて待ち合わせ。
ひとりは来られたが、ひとりは反対方向の電車に乗ってしまい遅刻。

静かそうなレストランへ入り、3人でコース料理を頼んだ。4,400円。ちょっと高いが、結局はそのお店の中ではお得なチョイスになる。

右からスタート デザート撮り忘れました

沖縄から実家へ来ている1人、横浜が職場で、今日は四谷に来ていた1人、そして私。
この3人は2020年3月、コロナによる県境をまたぐ移動原則自粛の直前に、沖縄で会っている。美ら海水族館は閉鎖していた時期。

さらに広島から1人、兵庫から1人。スマホからZoomでつないで5人でお話。ちょっと聞き取りにくいこともあるが、辛うじてレストランで迷惑になることなく、歓談している体で食事しながらのミニ同窓会を行うことができた。

スマホの通信量を結構使い込んだが、そもそも100kmウォークの応援で使い込んでいたので、今月は追加課金を許容するしかない。


台湾 頼新総統 就任のニュース

かなり明瞭に台湾の独立性を言葉にした演説で、台湾の人には喜ばれたようだが、中国からはネガティブな反応が出ている。

台湾が難しい立ち位置でありつつも、中国に飲み込まれず、一定の距離を置いて存在しつづけてほしい。


100kmWalkの今回の仲間ではない(前回の仲間)。
で、そこで踏み込みすぎたり?、もう離れようと思ったりしている。傷をイジイジ悪化させている。

皆に以前の情報を伝えたりしようとすることが、悪いことなのか? そうではないし皆もそうしていた。踏み込み過ぎて、誰かのリーダーシップを邪魔しているのか? そんなことない。たぶん客観的にもそうではない。 今回参加しないが、この場のつながりを創始した人から多分遠ざけられている。そこに皆が反応しているのかな?

こういう立ち位置で、周囲から喜ばれる人もいるだろうに。
なんでそうはならないのだろう。
表現の仕方なのか?

本当はうまく彼らと馴染んで、やりたかったら参加・そうでないときは参加せずに、彼らと関係をつなげて行けたらなと願っている。

色々考えた結果を踏まえて、
シンプルな言動をできることを自分に期待する。

20240521 Tue.

人との感情的なこと、
それに囚われることがいやだ。
シンプルにせよ!

思えば2019年9月に退職して、何にもない自分を自覚した。それが0歳。
年齢的に0歳ってこともあるし、才能もなんもないというゼロ才能という感じもある。
そうおもって、やり直しだと思ってやってきた。

自分の状態、自分の好きなこと、自分に安らぐことをやってきて、自分にとって出来ることをやりだしたのが2022年。3歳。そこから半月記を書き始めた。

とても内向な私にとって、書いたものは外に取り出したはずなのに、そこに描かれた景色は内向。

ということは、今現在4歳、この九月には5歳になろうとしているのか。
外とのお付き合いが増えてきて、心が乱れることもある昨今。

ブラッシュアップライフではないが、寿命が長くなってきたので、いま2回目の人生を歩んでいるとも考えられる。やり直している感覚。至らなかった私を補って、もうすこしよく生きられたらなと思っている。

自分の傾向、自分の至らなさを認めて、よしよし撫でて、もう少しだけマシなことが出来たらなと。

しかし実際やっていることは、ぐーたらで、サボっていて、気持ちだけな感じがする。

少しやると疲れてしまう。失敗するとしょげてしまう。
(いや、これ当たり前か)


1月以来、家族親戚に関わる手続きもののため、3月まではかなり集中的に、そして4月から先日まで手がかかった法務局案件も、もう終わった。
自分のことにこそ、きちんと労力を割かねば。

■ニュースから
・崔文英総統の後継、頼さん就任。
・イラン大統領が、こともあろうにヘリ墜落。これは死亡ではないk?
・イスラエルは、ネタニヤフが国内で厳しい立場にあるらしいが、それでも攻撃は続いている
・ウクライナはますます窮地に。他国が兵器や兵隊をあてがったとしても、負けるのでは?
・ロシアと中国の立ち回り

・富士山の入山規制

・東京都知事選挙 7月 どうなるだろう?


20240522 Wed.

あれこれあって、フォーカスできなくなる私。
フリーズしながら、結局のところ大事なところだけやるんだけど。

いまやっていることに、集中できないというか、これより大事なことがあると思ってしまう。
それに力をかける決断が常に揺らぐというか。

外斜視で常に視線が揺れているということと関係があるのだろうか?

とにかく・・・!
時間を区切って集中しよう。そのときやってることは時間を区切ってやればいいじゃないか。次の時間に別なことを行う。複数大事なことを進める秘訣。
仕事していたときどうしていただろう? ミーティングなどが入るのでそこから前倒ししてto do が決まっていったなぁ。いまはその縛りがない?

ひとつのことだけに集中できるのは、快感でもあるのだが、それをやっていて大事なことがすっかり抜け落ちていることもある。ひとつのことに集中した後、抜け殻のように空っぽになり、そこから復活するまで時間がかかる。


ABDの打ち合わせ@オンライン。
打合せそのものは順調だったと思う。
共通する関心毎もあり、依頼者とそれなりに関係構築できた。

はぁ、自分のメールアドレスを誤って伝えてしまった。部分的に抜けていた!!! あちゃ。
信頼が・・・

20240523 Thu.

結局、寂しいんだ。
同じ立場の人がいないから。


ベイトソン『精神と自然(中)』
先週までの学習については終えて、今日からアルコール依存症を通じて、認識論について論じる部分へ。これは『精神と自然(中)』の最後の部分になる。ここを終えたら下巻へ。

アルコール依存症は、正気を保てなくてだらしない、抑制がきかない、意志が弱いとみられがちだが、

<所感>
・依存症はアルコールだけでない。アルコールは脳血管関門を通って脳内に直接アルコール分子がいくことで大きな損傷をもたらすというが、同じような神経回路にダメージを与えるものとして依存症を捉えると、タバコ・ギャンブルがある。ダメンズ依存というか、最近のホストに入れ込むものも同じなのかもしれない。
・AAというアルコール依存症の互助コミュニティはアメリカで生まれた。日本でも取り入れられている。そのとき「神」という概念はどのように受け入れているのだろうか? 

・依存症とは関係なく、自分に挫折するというか、絶望するというか、降参するというか、降伏するというか、“何か自分の力の限界を感じること“と”大きな力の存在を感じること“は、まともな人間になるために必要なことではないだろうか。


自分に納得のいくよう力を発揮するため、というか、生きている甲斐を感じるような環境を整えるというか、自分の周囲を修正しよう。いままでの
それを一度徹底して行う必要がある。
いつも挫折しているのだけど。

挫折する自分に降伏し・絶望し、・・・でも今回は徹底的にやる必要があるのではないかと思うのだが、また中途半端になるだろうか?


女優の鶴田真由さんの写真展@ドイツ文化会館へ

・鎮魂の意味を込めた、曼殊沙華と蓮の花を展示
・蓮の花が咲くプロセスを8枚の作品にしていて、そこに流れる時間、同時代性などを現わしていて、鶴田真由さんの精神を感じるような気がした。

ちょうど先の週末に同級生がこの写真展を観にいっていた(実は従弟)ことと、朝に、鶴田真由と坂本龍一は恋愛関係にあったらしき情報を得て、がぜん、今日行こうと思ってのことだった。


住みかから見えた夕空は小さい。すごくきれいな夕空だった。ウロコ雲がピンク色に染まっている。
ああ、渋谷SKYへ行けばよかった。満月だし。

夕焼けがきれいになるって、事前にわかるのだろうか?
気付いてから、どこか見えやすいところへ移動すると、すでに終わってしまったりする。

わかる方法があるなら知りたい! 予兆はなんだろうか? 成立する気象条件は?

夜中に満月をみに外へ出た。見晴らしがよいところで、ちょうどビルに隠れないところへ行けた。雲がかかっているけれど

やはり夕方に満月の日の出を目指して渋谷SKYへ上がっていたら良かったのだ・・・あとから思うと。


20240524 Fri.

ほんとくやしい、昨日の夕空を見逃した件


コピーしてからスタバで、最近のレビュー。
来月行うABDの準備。
タイムスケジュール
参加者にお見せするチャート

ここのスタバ、レイアウトを変えて、2人組や1人がより大勢座れるように小さなテーブルを増やした。視界がよい場所に3人テーブルを、1人や2人テーブルは内側へ。

中国人が多い。
そういえば青山通りも、青山一丁目に近い方ほど在住中国人が多い。


100kmウォークの件、応援にいったもう一人がLINEにこう書いた。
・正直、応援にいって驚かれたり感謝されて、あれっ? これってレアなこと?と思った。それぞれが自分に出来ることをやるというのが当たり前だと思っていた。

うーん。そうだよね。
この人も、自分はチームの一員だと思っていて、その自分に出来ることを考えて行動したんだと思う。

私も自分に出来ることを考えて、みんなが目的達成のために役立ちそうなことを行動したんだけど、チームの一員だと思っていいのか、それがずうずうしいのか、よくわからなくなっていた。いまも出しゃばりすぎ?と思ったりもする。気持ちだけ参加して、行動していない=歩いていない、と自分をいじめてるところもある。


いまスタバで陣取っているが、友人や恋人・ダブルデートでなくて一人で来店している人は、半分以下かな。2人テーブルにいるのは、もしかして私だけかもしれない。他の人はカウンターテーブルにいるかも。金曜日の夜。

20240525 Sat.

良く寝た。
朝からのルーティンを改めて組み立てよう。

身体を動かしてから、飲み物・朝食。
うまく動き出して、

目的なく動きがちな私。目的ない時間がわたしにとって大切。
だけど目的なくあてどもなく生きて、最後にああがっかりと思うのも嫌。
3年で前へ進んだ友と、自分の差を感じる。
30年で家族を作り土地に根差し、それらに囚われることもなく自分を謳歌しどちらも楽しんでいる友と、自分のことだけでもせいっぱいで生きているだけの自分。

じんわり何もしてないことのつまらなさにガマンしているなら、変えてもいいんだよ。


星読みのデータをみていると、その時々のテーマを物語っていて、
過去については、そうだったなと。
いまについては、そこに力点があるのか? 感じ方と違うけど認識をひろげる余地があるかな
将来については、このころ、そのようなテーマを抱えるのか、チャレンジがあるのかと思いつつ、この体験は最後なのかもしれないという認識も出てくる。

2年半ごとに巡ってくるテーマは、あと1回か2回。3回はないのだ。

なんとか、太陽のプログレッションとそこに当たる惑星をプロット完了。
手順をおって振り返るプロセスへ。

星読みはどうもトラウマ? うまくいかない感情的バリアがあるけれど、ゆっくり剥がすように取り組みたい。と、頭では思っている。だんだん身体も受け入れるか、それとも剥がれ落ちるか。


一昨日の見事な夕焼け。今日はどうなのだろう?と渋谷SKYへ昇ってみた。日没は美しかった。ピンクの夕焼けではなかった。

雲の高さが適度に低いこと、地平線に雲が少ないこと、空気が澄んでいること、などが条件なのだろうか? よくわからない。

まだ蒸していない時期で、夕暮れの気持ちよさが心地よい。街に繰り出す人多数。MIYASHITA PARKの飲み屋横町は日本人・外国人観光客でいっぱい。


20240526 Sun.

明日の打ち合わせが気になる。
落ち着かない。
何をすべきか、フラフラする。
自分がいま行っていることに落ち着いていられない。

20240527 Mon.

今日は父の誕生日。
もう亡くなってから丸6年経っている。
この日は、旧海軍記念日だ。東郷平八郎が元帥として日本艦隊を率いて、ロシアのバルチック艦隊に対して大きな勝利を挙げたのが1905年。父は1930年生まれ。1905年から1945年まで。父の名前は、海ということで太平洋にちなんで「洋」。

戦争中は大田区あたりの空襲で逃げまどった経験はあり、夜通しの空襲も経験しているが、幸いに大きな怪我もなく生き残った。

他に百人一首の日(藤原定家がこの日、明月記に書写した和歌百首が嵯峨の小倉山荘の障子に貼られたとう記述があるそうだ。これが小倉百人一首についての初出と考えられているらしい。

小松菜の日でもある。コ(5)まツ(2)ナ(7)という語呂合わせ。


突然お話が振られて、来月とある会社内でABDを行う。その打合せ。

話合う内容は作った。その場で検討したいことも概ねわかっている。

対価が今回ないんだよなー。ボランティア? ちょっとここが難だけど、最初から言いにくい。
名刺、ないんだよな。屋号がない。名前だけでもいいか、無理に屋号設定せず。
屋号・インボイスのためのNoがあると、一人前って感じなのだが。

旧字併記としている名前表記もどうしようか。英語だけ両方?


先方の会社へ訪問。
久々の「会社」へ立ち入ることに緊張した。

道中雨が降っていたが、打合せ後は止んでいた。

本のテーマが少々扱いにくく、自分に専門知識がない。その点不安だが、逆に役割を定義しやすくなる。
内容に踏み込むというよりも、参加者から言葉を引出すこと・立ち会う先生につなぐこと・得たのモノを抽出すること。


友人から電話で話したいと連絡あり。
なんだろう?

夜八時過ぎて、友人が運転しながら15分位? わたしにしては珍しい長電話。再び100kmに出ないか?というお誘いだった。
なぜ私に連絡をくれたのだろう?

20240528 Tue.

気持ちは乗るが、作業が伴わない。

月イチ友達は、最近2か月に1回となっている。
その人と経堂でお喋りする。

前半、彼女の次から次へと重い話やこだわりの話が次々チェーンにように連なって繰り出されてくることに、辟易してしまった。顔に出ていたのではないかと思う。毎回、同じパタンなんだけど今日はやけに疲れるな。

いつもパスタ料理店からカフェへ移るので、終わらない話をブツ切った。

カフェへ移ったタイミングに、彼女の誕生日翌日にも関わらずプレゼントを持って行かなかったことに気づいた。誕生日のお祝いは伝えたけれど。ごめん。

そのあと、私がいま100kmウォークに参加するつもりがないが、誘われている件を話して気持ちの整理をさせてもらった。友達も参加する必要ないという判断。私も、彼らと仲良くしたいけれど、また歩きたいとは思わないのだなぁ。

そして彼女の関心事に移る。14時から用事があり、10分前くらいに今日は終えた。


駅に設置されたキューブオフィスにて、1on1を実施。
報酬とほぼ同じくらいの料金がかかるが、静かだし、話の内容が他に漏れないし、集中できる。初めて使ったが、問題なく接続してよかった。

今回は、プレイヤーさんからまず質問があった。
毎回セッションごとに話した内容をサマリしているなかで、私が使った「内側の声」について。

誰しも自分のパターンはそれが当たり前になっていて、この方はとても大事なことを心の声として内面でキャッチしていらっしゃる。でもそれを言葉にすることがあまりない。そして周囲と穏便にやることを優先させるので、内なる声を自ら押さえていることもある。と仮説を持っている、とお話した。

そうだという。

このプレイヤーさんの内なる声は、今の組織や仕事を良い方向へ変えていこうというものであって、決して壊そうとするものではない。その声と現状が矛盾していて、彼の充実感が生まれにくくなっている。

そういうことを共有できて良かった。

私はもっと引き出すことを出来るようになりたい。


藤沢経由で移動したので、藤沢産のいちご(井手農園)や古久家の餃子を購入した。

このところ美味しいアイスクリームを食べたかったので、サーティーワンでスモールダブルを食べた。
7席ほどのスペースに、男性2人、女子高校生2人、女性1人。窮屈だけど間の席に割り込もうかなと思ったら、女性1人が食べ終えたのでそこに座った。
男性1人が出ていって、その後、年配女性が1人。

どんどん回転している。

外では、男子高校生が3人、食べていた。可愛い。食べ終えてゴミを店内のボックスへ捨てに入る。

31で食べている時、人はくったくない様子がいいね。


実家へ夕方到着。
途中で買った古久家の餃子をトースターで温め、卵スープ、煮物などを食べた。

食後に、このところ手続きを進めていた法務局の書類が母宛てに届いていたので、それを受け取った。が、肝心な書類がない。

3月にもそういうことがあり、そのときは書類一式が見つからなかった。

今回は送付されたはずの書類の一部が無い。なぜそれを取り出したのだろう?
・・・・・・
結局、母はその書類は大切だと思い、別途わかりやすいところに保管しようと取り出して、すぐにやろうと置いたまま、書類の地層に埋もれてようだった。しばらくして見つかってよかった。

一旦すべて預かって、私がファイリングして渡すね、と伝えた。

認知症とはいわないが、グレーゾーン。
私もそういうことが元々あるし、だんだん年齢的に心元なくなり始めている。だから、母を責めたり、悲観したりしたくないが、ちょっと悲しくなる。

20240529 Wed.

いい天気。
曇りもあるが、晴れもある。
さほど蒸していない。

庭仕事。

母がいう。人が居た方が庭仕事をやる気になると。
そのように見えていたけど、やっぱりそうなんだな。

私は誰かに手伝ってもらうか、同じように庭仕事を持っている人とグループになって、持ち回りで人の家を一緒に手伝うパターンも楽しそう。


カフェ
からの
サイゼリア

昔、祖母と母がサイゼリアへ行くようになり、ちょっと小ばかにしていたのだが、母と私が今回2回目に行くことになり、へなっと笑うしかない気持ちになった。

サラダ・スープ、グリーンピースと温玉、ラム串刺しを注文。母は葉っぱが沢山あるサラダに満足したようだ。これで帰ったら、いつ寝てもよい状態。よきことだ。

と、話していたら、お財布が無いという。
さきほどカフェで入店後するに支払いはしたはず。
どうやら、その後入ったお手洗いに置いて来てしまったのかも。
私達が出たらすぐ閉店する様子だった。

電話したものの、誰も出ない。留守電が流れたのでそこにお財布を忘れたかもしれない旨伝えて、明日を待つことにした。

はぁ、色々あるなぁ。

20240530 Thu.

7:30から読書会をしていたら
朝一番に電話が入ってきた。よかった、取り損なわなくって。
昨日寄ったカフェの店主から。「お財布ありましたよ」と。良かった。なんて親切! 母に電話するも、出ないので、とりあえずLINEを送り読書会へ戻った。


今日一日をどう過ごそうか、どう行動しようかと昨日も考えていた。でも誰に相談することでもないなぁと思いつつ。
決めた。

義母の一周忌
・アレンジメントの供花を送る
・お墓にお詣りする
これをしよう。
昨年12月には手続き上も離婚したので役割はないけれど、きちんとしよう。

アレンジメントは近くの花屋に開店直後に電話し、都合が許す限りなるべく早く、とお願いした。11:30に出来上がっているよう受けてくださるとのこと。ありがたい。

とても美しくつくっていただいた
お花屋さん、ありがとう

11:30に受取り、そのまま以前いた家に行き、おそらく彼はお昼で家にいるだろうけれど昼寝時間かもしれないし、会うこともないと思いガレージに置いてきた。そこからお寺まで歩いた。お寺は、いつもは一族4カ所に花が入れてあるけれど、今日は1か所のみ。やはり一周忌だからそこだけ。
アレンジメントの他に、丸い菊を持ってきたので、それを左右1本づつ花入れに追加して手を合わせた。

お水は4カ所にあげて一言づつ心の中で声をかけてきた。

バスで最寄り駅に戻り、好きだったカフェで休憩。
ここは空間が広いから好きなのかな。

花を届けた旨をメールした。
何も連絡しないのも失礼かと思い。

ここは二子玉川のカフェANTICO
気持ちよく送り出してくれることも、このお店の嬉しいところ。スタッフが変わってもそれは続いている。気持ちの上で整理がつきにくいことを自分なりに整理しても、それでよかったかどうかわからない。そんな時間を過ごして出ていくとき、スタッフの声が有難かった。


コーヒー豆を買うために渋谷の街中を通った。

東急本店@渋谷はすっかりビルが解体されている
(左) 東急本店の正面入口があった交差点
(右) Bunkdamuraの右側、東急本店のビルが解体されて出来た空間


夜、メールの確認連絡はまだないので、一応、お返し不要との旨、重ねて連絡しておいた。
そのあと、仏前に供えた写真つきでメール返信があった。
お供えしてくれてよかった。(写真を撮ってという一手間かけなくてもいいのに…)

しかし袋から取り出してはあるものの、紙やセロファンの包みはそのままつけてある。これは外さないとお花がきれいに見えないはずなのだけど。

でも私から連絡することではないな。
連絡しても、不満を言われたと思われるのだろうな。
ということで、気持ちに線を引いてメールを閉じた。

お墓の花入れに1本づつ入れてきた菊
家にも1本生けてお弔い


母は、、、午前中にお財布を無事受け取り、順調に一日を過ごしたのだ。実は昨日、私と別れた後に、またお店に行ったそうだ。
「閉店したことはわかっているが、もしかしたら誰か片付けにきているかもしれないと思って」
とのこと。

うーん、気持ちはわかるが全く無駄では? 体力の無駄遣い。

そもそも私達が閉店間際のお客だった。お財布のことに気づいて電話したときにすでに誰もいなかった。留守電にメッセージを残した。だから明日また連絡しよう、と言っていたのに。

気持ちが収まらないのだろうけれど、全く無駄。

そのお店から戻る途中にお地蔵さんがいたのでそこでお祈りしてきたというのだが。

そしてさらにもうひとつ。
家でねずみにかじられたらしいお醤油パック(小さく穴が空いているらしい)をみつけたので、ねずみ退治の専門の人に見てもらったという新たなニュースが母から入ってきた。そのこともビックリ。ふだんあまり出し入れしていない場所の話。やっぱり管理しきれていないんだよなぁ。

そしてさらに驚きなのは、ねずみにかじられたらしいお醤油パックを、瓶に移したか?と聞いたら、ネズミがかじったものは、使いたくない、という。じゃぁ、すぐに捨てたら?というと、しばらく置いておくという。確かに水曜日に台所に置いてあった。ヨーグルトのプラスティック蓋を受け皿にして。
え~、そこにゴキブリがきたりハエが寄ったりする可能性大、なんで捨てないの?
わけわかんない。

これからこういうことが増えることは確実だな。怖くなってきた。

でも自分がこのことに関わりすぎてもいけない。
自分の人生を生きないといけない!

20240531 Fri.

朝の読書会をパスした。夜中に目が覚めてしばらく起きていたところ、頭が痛くなり気分が乗らずについに休んだ。
まぁ次また参加しよう。


午後はお芝居。
出演者とのお付き合いがあり見に行く。

作りこまれた考えさせる要素が盛り込まれているし、カジュアルな面白さがふんだんにあるし、役者さんの演技は上手だし、テンポ早いセリフがポンポン交わされてコンビネーションバッチリ。2時間ノンストップ。
すごいエネルギーだ。みんな芸達者。
だけどちょっとづつ違和感があり、私には笑わされて疲れる類。

そのものを楽しめばいいのに、また偏屈な私がいるのだろうか?

その後、元同じ会社だった人3人と一緒にピザなど食べて1時間半お喋りして、これまたお付き合いで疲れた。

ちょっと面白かったことといえば、今日に限り"お芝居のお土産"という企画があり、ビデオ、コーヒーパック、ナタデココの缶詰など来場者に渡していた。役者が席番くじを袋の中から引いて、当たった人に自分が用意したお土産を渡してくれる。最後に「モノではなく、私がタロット占いします」というものがあって、私に当たった。へ?

なにを占ってもらおう? まぁ近い未来かなぁ。

その場で6月の占いをしてもらった。
<6月夢が展開するなど、楽しみなことがある。ただ、いままで付き合ってきた人とか過去の人のことを大事にすることに留意したほうがいい>という占いだった。

なんだ、結局関心あるのは自分のご利益だけなのか?!

みんないつも元気で、生き生きした表情をしていて素晴らしい

何か気になる。落ち着かない。
それは今が間違っているとか、自分に何か足りないということではなく、
リズムとか、加速度とか、スパイスとか、
そういったものがちょっと欲しい
ということなのかもしれない。

読んでくださりありがとうございます♪

6月6日、それも令和6年。
惑星が一列にならぶそうですね。
皆さまにとって、よい一日となり、朗らかな方向へ転じていきますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?