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2022年9月前半

区切り感を感じている。
8月後半は、もし私が魚ならウロコが落ちるかのように親しんできたものから離れた時期だったけれど、その流れがどうなっていくのだろう。私は何か舵を切るのだろうか、何もしないのだろうか。
秋の果物が好きで、それを食べるのが楽しみな時期でもある。

20220901 Thu.


映画『さかなのこ』
さかなくんの半生記をもとに映画化。さかなくん本人への興味というより、好きなことをやっていく生き方について、どんなものか知りたかった。

支えたお母さんが偉い。魚料理を食べることは特に好きではなかったのに、子供の興味を支えて夕飯に魚料理を頻繁に出したり、周囲の誤解から守ったり、見守り続けたり。

さかなくんを演じたのは、女優さん、“のん“さん。小学生の頃は男の子でも女の子でもあまり変わりない。高校生くらいになって、のんさんが学ランを着て演じていた。それもありだなと思った。このストーリーに性別は意味を成していない、人間だ、ということが大切だった。

好きなことをやる、というと、何が自分は好きなのだろうか?「三度の飯を食わなくても没頭してしまうのは何か?」なんて悩み「そんなものは私には無い」と思う人が大勢いそうだ。私もその一人。でもこの映画を観て思ったのは、その人にとって無理ないエネルギーを出せるもの、自分の中から自然と出てくるものを大事に出来たらそれが一番いいんだな、ということだった。

なにか外側の要求を受けて、それを叶えるためにエネルギーを使うのではなく、自分が自然とやりたい・強くやりたいと思う・なぜかわからないけれど気になる、そのようなことをやると、自分の内側からエネルギーが湧いてくる、そんなエネルギーを使うことがその人らしい人生をつくっていくために大事なんだなということ。

いま現在、(世襲を強いられることは殆どなく)私たちは何かにならなくていい、好きにしていい。
そのことを逆に重荷に感じるときもあるかもしれないけれど、
内側の願い・内側のエネルギーに注意を向けると、にじみ出てくるもんだなと思えた。


スマホの移行がほぼ終わったか。
古いスマホは、電源が入らないようにコントロールされているのだろうか?それとも丁度寿命なのか。データ移行できなかったメモアプリを読み出したいのだけれど、電源が入らない。

20220902 Fri.

落ちた。試験に落ちた。それでイライラが止まらない。
7月10日に受けた資格試験の実技テスト。今回は合格できるかと思ったけれど落ちてしまった。Web上での発表。番号を何度も探したけれどなかった。3回目も落ちるとは。

合格できるのではないかと思うくらい出来た気になっていたことが、そもそも出来ていない証拠なのかもしれない。今思えば考えたくないから、試験後に、予祝と称して気になっていたお皿を買って、気になっていたドーナツを買って、家でお茶して喜んでいた。考えることを回避していた。だから反省もないし、合格するような気持ちでずっと過ごしていたのだ。

2回目に受験したときは、実技試験実施後、もやもやして、翌日朝に何が出来ていないのか、ずきーんと理解できた。その通り落ちていた。

1回目は、どうだっただろうか? 試験終了後、これはダメだと思った。でもどうしていいかわからなかった。万が一でも受かってたらいいなぁと思ったけれど、そんなことはなかった。

学科試験免除のまま後2,3回は実技受験できるけれど、早く合格したいなぁ。しかしなぜ合格したいのだろうか。単に落ちた状態が嫌だから?

20220903 Sat.

今日もイライラ。

イライラしていると、落ち着かない・そのことだけ気になる・お菓子など何か食べたくなる(=満たされない)
でも気をそらそうとしてみる・・・

その課題自体に留まって、振り返って考えることが出来ない。
投げ出したくなる。

先月からハマっているドラマ『ニュー・アムステルダム』の登場人物は、誰もが怒りで爆発したりしない、少なくとも人前で爆発させないし、かといって、その怒りを無いものにするわけでない。
首を振ったり、息を吐いたり、目をぐるぐる回したり、状況を受け止めよう・客観視しようとする。

私は試験に落ちた事実から目をそらしたい、気をそらしたい。
でも全然それはうまくいかない。
だからイライラしている。

20220904 Sun.

ドネラ・H・メドウズ『世界はシステムで動く』を月1回読む読書会。
2015年に発刊され、一通り読んで面白かったし、世の中の動きがわかったような気になった。でも自分でシステム思考を使える感じがしない、そんな本。

今日の読書会は、これを数人で分担して、読んでサマリをつくりそれをベースに話し合う。サマリと言っても正確に作るより、自分が重要だと思ったこと・印象に残ったことをポストイットに書き出すように、オンライン上で書き出していく。

ABDといっている方法で、この後、一人づつ担当した部分を発表する。一通り順番に発表したら後は対話タイム。

ひとりで読むと挫折する本でも、数人で読むと案外読める。そして話し合った後には、本の内容へのとっかかりが生まれて読むモチベーションが出てくる。

ABDとは

今日読んだ箇所は、本の中盤、世界の多くの事象がシステム的に動いていて(だれかがコントロールしている仕組みというより、そのような仕組みがいくつも絡み合い相互の力学が働いて物事が動いていく、ということ。そのとき影響する項目が影響の大きさ順に並べて説明されている。
小さいものから大きいものまで、このような順番。

12  数字(パラメーター)
11  バッファー
10  ストックとフローの構造
9  時間的遅れ
8  バランス型フィードバック・ループ
7  自己強化型フィードバック・ループ
6  情報の流れ
5  ルール
4  自己組織化
3  目標(ゴール)
2  パラダイム 
1  パラダイムを超越する

『世界はシステムで動く』p.337

しかし著者自身、この順番にとりたてて意味はないという。場合により、状況により、いろいろな要素が入るから厳密に順番を捉える必要はないのだと。

リストを改めてみると、はぁ。
ルール、つまり法律とか決まり、制約やインセンティブって大きいなぁ。

最近はルールに従っている、マニュアルに従っているということで、おかしな事象が発生している。むしろルールを悪用しているのではないかと思うことさえある。

例えば神宮の森。オリンピック開催のために、高さ規制が20mから80mに変更された。オリンピックが終わってもその規制は続いていて、だから、高層ビルを建てるという話がまかり通っている。80mに規制緩和したうちの一部は、どういう事情か知らないが、120mなどさらに緩和されているそうで、そこに超高層ビルを建てるという。

なんだろう、ビジネス論理が規制に従っているという顔をして、市井の庶民の多くが反対する計画がまかり通る。

フリーディスカッションのなかで、参加した人から異口同音に、「京都の水脈が北陸新幹線延長のために切れるかもしれない」とか「リニア新幹線」「タネと農薬」「投薬と医療」など気になっている大きな動きが出てきた。


実家に帰るため、最寄り駅のバス停でバス待ちをしていた。バス停で列を作る場所は夕日が直接当たりまぶしくて、すでにバス待ちしている4,5人は「あうん」の呼吸でそれぞれ近くの日陰に立っていた。そこへ中学生が来て、その中学生は皆がバラバラに立っていることを見て取り、本来の列の先頭から5メートルくらい離れたところに立っていた。次にきた成人男性もその後ろに着いた。その次に、60代とおぼしき女性がやってきて、中学生に「列の先頭へ詰めて立ちなさい」と言った。中学生は逆らうでもなく、もぞもぞと前の方へ移動した。

すでに来ていた4,5人は、自分含めてどうするかなと思ったけれど、まだバスが来るまで10分くらいある。だれも特には動かなかった。最終的に、その声をかけた女性の前に3人、後ろに2人が並んでバスに乗り込んだ。

声をかけた女性は途中で状況を理解されたのだろうし、後ろに並んだ2人は、めんどうなことにはならないようにしたのだろう。全員が座れる混み具合だった。

その60代とおぼしき女性が良い・悪いではなく、「正しいようでいて、ある一面を切りとった正しさ」があるなぁと感じた。何かアクションすることは大事で、そこで浮き上がった事実を丁寧にみて、何が最善かすぐに考え直す技はとても大事だなぁ。


芝刈り。
今年最後。先月からタイミングを見計らっていた。

夕日が陰る前に、だいぶ木陰が長くなるような時間、15時過ぎから行った。ひと頃19時近くに日の入りするときから比べたら、18時前の日没は、だいぶ早くなった感じがする。一通り芝刈りした後は、夕日が斜めに差し込んで、刈切れていない場所の草が日に照らされてよく見える。その部分でもう一度芝刈り機を動かして刈残しを一掃した。

今年3回目の芝刈り。除草剤も3回撒いた。もちろん悪名高いラウンドアップではなくシバゲン。また母が草取りプロに頼んで、芝生以外の植え込み部分の雑草を一挙に取ってもらい、その後も鎌で地面に生えた小さな雑草を刈るようになった。
そのためか、芝が青々ときれいに育ち雑草が少ない。
庭の手入れに力を入れるようになって2年目。ずいぶん嬉しい結果だ。芝刈り後、雑草を探して抜く。かなり少ない。

あとは秋に土入れして地面の凸凹を減らし、秋の雑草を抜いていけばいいだろう。それと秋は落ち葉掃きだな。

(理想的には夏は1週間~2週間に一度くらい頻繁に芝刈りしたほうがよいらしい。)

20220905 Mon.

朝読書会でのディスカッションにて。
嘆きと謝罪がテーマになった。
自分が行った愚かなことを「嘆き」そののち「謝罪」する。嘆きのプロセスが大事であると。とってつけたように謝罪しても、それはお互いの理解にならないという。

書籍 『「分かり合えない』を越える』

そこに書いてあることが正しいとして考えを進めてみる。
日本では形骸化した「謝罪」が蔓延している。取ってつけたように「あやまればいいんだろ」という謝罪。あるいは、形式化した「動画で頭を数秒下げていることを公表する謝罪」。

形だけ謝罪すると、どうしてそのようなことになったのかという原因や、どうしてそれをしてしまったのかという事情・心情・経緯が解らない。そこに謝るもの・謝られるものの間に理解が成立しない。

日本だと、形を重んじる文化があることから、「謝罪」することですべて良しとしようとしているのではないか?という疑惑が生じる。首相が謝っても、形として謝っているだけでしょ、本当は悪いと思っていないんでしょ」と感じてしまう。

犯罪被害者の人が「なぜその罪を犯したのか、事情が知りたい・気持ちが知りたい」とおっしゃることがある。それと「嘆き」のプロセスは重なるものがあるように思った。

一方で、
謝罪すべき人が、自分がそうせざるを得なかった事情を詳しく話したうえで謝られても、個人的には多分あまりいい気持ちにならない。「謝罪」してから「嘆き」を伝えてくれた方が気持ち良いと感じるだろう。最初に「嘆き」を言われると単なる自己主張に聞こえてしまいそう。


母が戻ってこない。が・・・?
今朝9時頃出かけていき、友達と午前中会うということだった。
遅い昼ご飯には帰ってくるような口ぶりだったけれど、13時、14時になっても帰ってこないし、連絡もない。スマホに連絡してみようか、、、いやいや、邪魔するようになっては悪いし、心配しすぎるのも母には迷惑だよね。

名言「私がどこかで行き倒れても・・・」を思い出す。
鎌倉は大地震があったら津波被害が懸念されるところで、鎌倉駅周辺は、必ずや津波を被るだろうと言われている。古くは、歴史書でも、大仏まで津波が来たということなので、駅周辺で買い物していたら逃げ切ることはかなり大変なのだ。
そんな話をしていたときに、「ここまで生きてきたのだから十分、残念だと思わないで」とのことだった。父が生きていた3年前までにも「津波が来たら一緒に波に呑まれてしまいましょうと言ったら(父が)嫌だと言った」と笑っていた母。

そんなことを思い出していたら、母のスマホが鳴っている。なんだ、家に忘れていったのか。今朝急いでいたから忘れちゃったらしい。それなら遅くなると連絡が来るわけがないな。

16時頃、そろそろ誰かに連絡しないといけないかも、、、そうだとして誰に連絡を取ったらいいのだろう?今日の集まりに来ている人の連絡先って?・・・と思い始めた頃、玄関で音がして帰ってきた。ああ、よかった。

トラス首相が首相に選任された。女性。経済重視。エネルギー問題がさらに大きくなるリスクを前に、保守派 ・・・実家にいるとテレビを点けてしまう。


実家から帰ってきて、小泉✖豊島のビデオ第2弾を観た。
ふたりは、アメリカ側でもロシア側でもない立場で状況を伝えてくれるので聴ける。

20220906 Tue.

紙とデジタル
少し前、8月25日教科書デジタル化について気になるなぁと思った。
デジタル画面が人間の認知に与える影響について、断片的なことは聴いたことがある。
手帳やノートがデジタルがいいか、紙がいいかとか。
Zoomのような画面をみて会議することのメリット・デメリットとか。

2016/3/23 そのペーパーレス、本当に正解? 脳科学で解き明かす「紙とデジタルの知的生産性」

https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO3113736030052018000000

会議でさえ、ペーパーレスで行うとうわべの議論になるというのだ。
書く原稿にしても、画面上で見るよりも紙に出したほうが、誤字脱字などがよくわかるという。

紙の手帳 東京大学 2021年3月19日

https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/z0109_00001.html

もしかすると紙の教科書は薄くして残し、詳しい画像・動画をQRコード(サムネイルに内容を想起させる印象的な画面を使う)からつなぐようにして、ハイブリッドにすることがベストソリューションかもしれない。

新しく知識を得るときに、感情が動くことが重要だと言われている。これは脳科学の知見からわかっていること。それを無視し、教育の劣化が深刻だという現実を前にして、教科書をデジタル化しただけでDX化に喜んでいるようではいけない。本当に教育効果があるのか、教育効果とは何か・高めるために何をするか、それを誰が考えているのだろう?

もし検証が必要なのであれば、実際に小学生・中学生対象に、紙の教科書と、デジタル教科書とで授業を受けてもらい、そのときの脳波測定と理解度テストをしたらどうだろうか? 小学生・中学生自身にも結果を知らせることができて、当事者も違いを実感する。

どのように紙とデジタルをハイブリッドさせたらいいか、見えてくるのではないだろうか。というか、どのように紙とデジタルをハイブリッドするか、ベストソリューションを探すべき時期なのではないだろうか。

20220907 Wed.

受けた資格試験の採点結果が昨日郵送で届いた。金曜日に落ちていたことはわかっていた。結果は金曜日に発送されているが、土日は郵政省の配達が無いので、受け取ったのは火曜日。どこが悪くて落ちたのだろう、そこを自分なりに考えてから細かい採点を見た。そして1日経って、今日は実施団体が出している総評を見た。

結構嫌な気持ちになるものだな。3回目、ここまで落ちるとは。
学科には合格し、実技(論述・面接)に落ちている。実技のなかで論述は安定して合格点が取れているけれど、面接がなかなか合格にならないし、今回は感触としてはけっこううまく言った気がしたのに、点数は一番悪かった。これは典型的な出来たつもりでダメな面接ということだ。

受験後、もう今回は合格したいという気持ちが先走り「予祝」と称してご褒美のお皿まで買ってしまった私。現実を見ていなかった。

今日は、やっと課題と向き合う気持ちになった。

論述は今回も合格。これも落ちていたらどうしていいかわからなかった。
面接は4つの観点から評価されていて、各項目の点数も開示される。親切だ。私の場合、毎回不合格な項目が変わり、今回は1回目と2回目の悪いところ取り、これは最悪ではないか。

ただ実技試験を思い出して、観点ごとに見ると確かにつっこみどころに思い当たる。はぁ、落ちるべくして落ちた、といえるなぁ。


国葬。
とうとう元ドイツ首相、メルケルさんも来日しないことになった。
当初は来日するとの報道だった。
弔問外交の場として、ロシア・ウクライナの話で世界が緊迫しているなか、それと東アジア有事について話し合う格好の場になるかもしれなかったけれど。

国葬には解せないものを感じる。でも国葬で行うなら外交面での実りを少しでも得られるようであってほしかった。

日本があまりにも信頼されていないことの現れかもしれない。円高はこの理解に拍車をかけている。そうであっても、そうでなくとも、もし日本がいまも信頼されているとしても、日本は各国と個別に連携を図り、関係構築すべきだと思う。これまではあまり築いてこなかった国との間にも。例えば東欧・北欧、アジア各国、中東のなかで少数の国、アフリカ。

円安だけ解決しようとするのではなく、長期的プレゼンスを維持・向上するためにどんな手を打つか、仕込んでいくか。考えてくれてるかな。


『ニュー・アムステルダム』
シーズン3も観終えた。1話45分でこのシーズンは全14話。1日に1話~3話観た。もうこの先はしばらくお預けでちょっと寂しい。

ここまでシリーズが進んで、主人公Maxが人生に一区切りつけそうで、つけられない、でもつけるのかな、という終わり方をした。

ドラマのことだけれど、私にとってもそろそろ潮時だという感じがする。先月からの区切り感もあるし、以前と違う生活を3年間やってきて、何か変化を出したくなっている。それが何かわからないけれど。

彼らの英語にだんだん慣れてきて、少し聞き取れるようになった。もしかしたらこれを自動的に書き取ったらもっと勉強になるかと思ったけれど、いやいや、有料コンテンツは簡単にaiツールには読み込めないようになっている。


国ではないのかもしれない。

国際連合であるとか、冷戦終結であるとか、時代の流れは国として独立すること・自立することが大きな方向性だった。そして国として発展することを目指してきた。

これからは、国ではないのかもしれない。
今現在のロシアとウクライナの戦い。

レバダセンター世論調査 
ヘルソン、ザポリージャがどうなるべき?に対して帰属先は、
ロシア45%、独立21%、ウクライナ14%、他19% と回答。

つまりウクライナが勝つことはその住民にとって最善ではない。
 
もしかするとロシアに帰属しても解決しないかもしれない。
かつてチェチェン民族運動があった。近場の民族同士ほど争いは激しい。
ロシア語では治安と安全保障の違いがないらしい。(小泉悠さん曰く)
 
だからといって民族をひとつにまとめることが答えではなかろう。それぞれの民族が自分らしい生活スタイルと言葉と食べ物を持てること。そのように定義したらうまくいくだろうか。人間の尊厳というか、その人が遠慮せず伸び伸び暮らせる、だからといって自分勝手ではない、という状態をつくることができれば、国はそれほど大きな役割を持たなくてもいいのではないか。
 
食べ物は土地と紐づいたものなので、難しいかもしれないな。
しかし、故郷を離れていても故郷に帰れるなら考えられるかもしれない。
 
・地方自治体のような単位がその地やコミュニティ、生活面を担当する。
・国レベルは共通インフラや対外関係を中心に担当する。
うーむ、そんなに簡単に切り分けられることではないなぁ。
でも国レベルが、もう少し柔軟性があるといいし、
国と国の関係を、固定的でなく、課題によって流動的に関係づくりができないかなぁ。


北方領土 ビザなし交流、自由訪問を中止。
サハリン石油ガス開発のプロジェクトに、日本商社が参加することを表明した数日後なのに、この仕打ちは何なのだ。

神宮外苑の森、ラグビー場移転問題。森元首相への贈賄が薄く透けて見えているのに、計画自体を覆せないことへの憤り。木を切ることへの反対の声はかなり上がり認知度が高まったけれど、事の本質部分は何も変わらずに原計画が実行に移されつつある。

ああ。
この憤りをどう言葉にしたらいいのだろう。
達観することが出来たとしても、この間違いは明示しないで済ませていいとは思えない。

20220908 Thu.

最近の私は、 
頭のなかで、だいぶごちゃごちゃしているな。


最近読み始めた本 E・フロム『愛するということ』

自分の生命を与えることによって、人は他人を豊かにし、自分自身の生命感を高めることによって、他人の生命感を高める。もらうために与えるのではない。与えること自体がこのうえない喜びなのだ。

E・フロム『愛するということ』 第2章 愛の理論 p.46

そこにスピノザが絡み、鈴木大拙との交流があり、エックハルトからの刺激がある。私たちは、人間の営みが重なった道を歩いていると実感できる。喜びがある。

こういうところに、よりどころを持ちたいと思う自分がいる。


ソニー「Sony Open Innovation Day 20」を視聴。SSAP:Sony Startup Acceleration Programを行っている部署が主催したもの。新規事業開発を推進するために、それを考えている人向けのプログラム。私はそのような目的はないが、ゲストスピーカーに興味があり参加した。

プレゼンテーションが完全に旧スタイルと新スタイルに分かれた。というのは表面的だけれど、

・斎藤佑樹さん(元野球選手)と杉上雄紀さん(ソニー)の対談。
・養老孟司さん 日常を大事にせよとのメッセージ。このお題に対して養老先生らしいブッコミ方だけれど本質を突いている。
・新井紀子さん講演 とても面白かった。新進気鋭の若手哲学者がこの人の研究の面白さを認めてくれて嬉しかったとご自分で話していらした。今の教育に一言申すことは勇気が要ることだし、いまも女性への風当たりが強いのは事実なので、嬉しかった気持ちが少し分かるような気がする。しかしこの方は声で損をしているなぁ。耳を傾けたくなる声か、うるさく聞こえる声か。その違いで主張を聴いてもらえるか、かなり分かれる。この方の主張、「デジタルというのは教科書のデジタル化ではないんです」と断言していたことを特筆したい。9/6に書いたように、デジタルが得意なことと、そうでないことを分けないといけないのだ。動画・画像はデジタルがよい。でも学びは感情が動くことが大事、やはりここは紙なのだ。
・医療系ビジネスの方(お名前失念) すべてをデジタル化しようとして始めたけれど、デジタル化にふさわしいことをDX化して、組み合わせていくことに解があると学んだ、とのコメント。とても実践者として貴重なコメントだと思った。

このなかでソニーが「宇宙体験感動事業」を行おうとしているという話があった。面白そう。

立花隆『宇宙からの帰還』では、宇宙飛行士にインタビューを行い、宇宙へ行くbefore/afterで意識やモノの見方が変わったかどうかを聴いている。とても面白い。視点を変えることで、ものの捉え方が変わる、という仮説で、だれもが変わるのか?どう変わるのか?ということを探っているように思う。全員が同じように変わるわけではないけれど、何かが変わっている。
私は読んでとても興味深く、抜き書きをしたことがある。本当はそれぞれの体験を分類して提示したかったけれど、単なる抜き書きになってしまいお恥ずかしい1本がこちら。なんじゃこれ?と思って、本を手に取ってもらえたら幸いなのだ。

ソニーの「宇宙体験感動事業」ではもしかしたらVRを使って、あたかも宇宙にいるような感覚(おもに視覚、もしかしたら体感覚も)を味わい、地球を外から見るような体験を、誰もが出来るようにしようとしているのではないか。


夜、昔の職場メンバーと会食。
コロナでなかなか会えないこともあるが、退職者と会うのは、あまりない。
お声かけていただいて感謝。

彼らにとって、何がメリットになるのかわからないけれど、忙しいなか息抜きになり、多少事情を知っている聞き役でいたらいいのかもしれないな。

20220909 Fri.

エリザベス女王が亡くなった。

ウクライナ戦争が始まり、もしこういうことがあれば、直接的ではないけれどさらに状況が混沌するのではないかと思っていた。God save the Queen.この国歌は変わるのだろうか?ともつい先日、実家でBBC放送を観ているときに思ったばかり。

実際訃報に接すると、私はいつもエリザベス女王がいる世界に生きてきたのだなと思う。今日から、そうではない世界に生きることになる。

感傷に過ぎないとは思わない。他国の、非人道的なこともやってきた帝国主義の末裔でもある、97歳のおばあさんのことだけれど。

首相と毎週1回対話する時間を持っていて、その内容は完全にオフレコ。実際にノーリークだったそうだ。首相は、気品あり、政治に直接口出しをしない女王との対話をどう思っていたのだろうか。最近でもブレア首相・メイ首相・ジョンソン首相との対話がどのようなものであったか、女王はそこで何を話したか、女王は内心何を感じたか。

首相にとって、少なからず内省や気づきを促す時間だったのではないだろうか。

トラス氏は「英国が今日の偉大な国になれたのは彼女のおかげだ」と語り、「女王はどんなときでも我々に必要な安定と強さを与えてくれた」と強調。

https://www.cnn.co.jp/world/35193039.html

映画で知られるように、第二次世界大戦のとき、エリザベス女王は子供時代にラジオを通じて若い国民に呼びかけた。そうやって国民を勇気づけ、忍耐と工夫をもち戦争を生き延びることを支えた。コロナのときのビデオメッセージも話題になった。We will meet again. 

在位中に、イギリスが帝国覇権のもとから、他国に対しても民主的な関係を結び、王室の在り方も変化し、イギリスが経済的な厳しさを経て困難な時代を生きる、この歴史をフルに生きて、常に気品をある存在だった。

私はエリザベス女王の目が好きだった。目に光があるというか、お茶目というか、好奇心やいたずら心が宿っているのだ。

不安と感謝。

国歌は、God save the King.となるのだろうな。当たり前か。
ずっとQueenだったから、思いよらなかった。
フレディー・マーキュリーがいたQueenだって、この女王が居なければ違う名前だったかもしれない。


この訃報の前で、日本の国葬が陳腐に見えることこの上ない。海外要人の多くが欠席し、代理出席をあてがっていてよかったとホッとしていることだろう。・・・と思いつつ、日本の存在感というか、価値が大変低いことを示すことになり、歯がゆい思いをしている。
日本は大きな国としてでなく、山椒のような、小粒だがピリリと辛い、独自の価値として認められるようになることが最も好ましいことではないだろうか。


今日誕生日の友人がいる。ここ数年連絡を取っていない。
長い人生のなかで連絡を取らない時期があっても、また復活すれば親しく話すのだろうと思う。その一方でいつ死ぬか、会えなくなるかとも思う。会いたい人と、会える時に会わないと。
その実感があるうえで、会わない選択をしている。どういうことだろうか?

きっと会えるという友達と運命に対する信頼なのか。


明日は中秋の名月。
満月と重なることは毎回ではないとのこと。楽しみだ。

https://www.youtube.com/watch?v=-MbVxDc6-o0
ゴルバチョフとプーチン 考える題材

https://www.youtube.com/watch?v=YSXGVBFlf1Y
西本願寺 大谷派 関東大震災の映像 築地本願寺

20220910 Sat.

友人のコンサート。
杉並公会堂にて。オーケストラと歌曲を歌う歌手としての共演。

コンサート前に、久々2年半ぶりくらいの人を交えて3人でランチ。
その間もメールを交わしていたので、それほどお久しぶりという感じでもなく不思議な感じだが、お会いできることは貴重だ。

少なくとも東京では、アマチュアオーケストラが沢山あり、それぞれレベルが高く、かなり低料金で聴かせてもらえる。今回のオーケストラは、早稲田大学卒業生が母体になっているようだが、指揮者はお一人で、そのご夫婦を中心に続いてきたオーケストラのようだ。ホールは小ぶりとはいえ、著名海外アーティストが演奏することもある杉並公会堂で音響は良い。演奏レベルは高い。料金は1000円だった。その場で寄付箱もあった。

聞いたことがあるアマチュアオーケストラを挙げてみる。
・新交響楽団
・都民交響楽団
・FAF管弦楽団
・水星交響楽団
・マーキュリー・バッハ・アカデミー
・ザ・シンフォニカ

東京のアマチュアオーケストラ
https://www.soundscape-net.com/?tid=9&mode=f81

全国のアマチュアオーケストラ
https://www.soundscape-net.com/?mode=f67

東京芸術劇場(池袋)、東京文化会館(上野)、すみだトリフォニーホール(錦糸町)などで開催されることが多い。いずれも音響のよい立派なホールだ。1回あたりのチケットが1000円~2500円くらい。年2回定期演奏会があるとして、毎月だって聞きに行ける。
さすがにサントリーホール、ミューザ川崎などは、あまり機会がないかもしれないけれど、生の音を聴く快感、それから受ける感情や感覚。とても人間にとって豊かな時間をくれる。アマチュア・オーケストラは誰にも手が届く、素敵な演奏会を開いてくれてることにもっと多くの人が気づくといいなぁ。


杉並公会堂がある荻窪にて、明日の墓参り用の花を買い、実家近くの大船にて月見団子を買い実家へ。
バスを降りて家までの間、ちょうど上がってきた月が坂の上で見えた。きれいだなぁ。犬を連れて月見がてらの散歩をしているご夫婦とすれ違う。坂を下っていくと、ちょうど門から出てきたその家のご主人と目があった。「月が上がってきましたよ」と思わず歩きながら話しかけると、そのご主人が「ここから見えるんです」と。振り返ると、さっき下ってきた坂の上に、ちょううど坂の上の家と道路の間に、すっぽりハマるように月が見える。「ああ、ここから見えますね」と私。見ると、少し足の運びがゆっくりなおばあさん(そのご主人のお母様か?)が玄関を出て、階段を数段降りて門へ向かう様子だった。そのおばあさんに月を見せられるタイミングなんだな。ほっこりした。

家へ着いて、ここはどうかな?とみると、木々の枝の隙間から一応見えるが、満月として見えるまではもう少し時間がかかる。あと1時間くらいしたら、空に浮かんだ月を見ることが出来るだろう。

夕飯を食べて、月を見て、お団子をいただいて、月を見て、TVを観て、月を見て、お風呂に入って寝た。
はぁ、幸せ。

ちょっとだけ、来年は、中秋の名月をこんな風に見られるのかしらと思った。けれど、それ以上は考えないことにした。

20220911 Sun.

実家にいるので、ここぞとばかりテレビを見る。
クロイはねがついた帽子をかぶった赤い制服をきた兵隊さん。
イギリスでお城の警護のために一人、二人、立っているところを観たことはあるし、一緒に写真を撮ってもらったこともあるけれど、こんな大勢が並んでいるなんて、絵本をみているかのよう。

庭の手入れをして、お彼岸には少し早いけれど秋の墓参り。
祖父母と父のお墓、2つを掃除して花を供えてお参りして、小一時間かかった。

花は、昨日荻窪のちょっとお洒落で小さな花屋さんで買った少し洋風の供花。房になった小花も入っていて、かわいらしい。同じお寺に、隣の家のお墓もあり、そこのおじさん(ご主人)が昨年亡くなったので、遅ればせながら手を合わせてお参りした。

お盆のときには、私は来られず、母がふーふー言いながら墓地まで来てお参りしてくれた。掃除も大変だったようだ。その記憶が強烈らしく、今日は体力に自信がないので任せる、とのことだった。きっとそうだと思ったよ。お任せください。


エリザベス女王の棺を、スコットランド バルモラル城からエジンバラの街を通って、南下してロンドンへ向かっている。

スコットランドのバグパイプを聴いているだろうか。
バルモラル城にいたときに亡くなったので、イギリス各地を旅しながらロンドンへ戻ることになったのだろうか。エリザベス女王の魂にとっても、イギリス国民にとっても、これは素晴らしくいいことだなぁ。(後日記載:バルモラル城からエジンバラだけが、車列を組んだドライブで、エジンバラからロンドンは飛行機で棺を運んだ。したがってイギリス各地を回ったわけでない。)

当然ながらXデーのプランは計画されているので、バルモラル城で亡くなる前提で、エリザベス女王は滞在していたのだろうか。。いやいや、これは邪推過ぎる。夏はいつもバルモラル城で過ごしていたわけなので。

ITV Newsで映像を放送しているものをYoutubeでみた。人々は大勢道路に沿って待っているが、わりと静かで何か言葉を叫ぶ人はいない。少しがやがやしているけれど、たまに拍手する人達がいるけれど、多くは黙っていてスマホで撮影している。むしろ静寂。花を車が通る道に投げた人もいた。
棺を乗せた車は、棺が見えるように後部1/3くらいにガラスが入っていて棺全体が見える。。

安倍首相の葬儀後に、「ありがとうございました」などと叫ぶ人がいるのとはずいぶん雰囲気が違う。


沖縄県知事、玉城氏当選。県民にとって当然だろう。
この県は民意と選挙結果が一致している。

20220912 Mon.

エリザベス女王の一貫した国への貢献、そして一人の人間として素晴らしいと思う。
一方で、帝国主義、覇権主義の終わりを象徴しているとも思う。
イギリス連邦、コモンウェルスを実現させた。
国ごとは独立しているが、イギリス女王が背骨のように通っていた。その安定感があるのだろうな。

プーチンさんも、ウクライナのゼレンスキーさんも、エリザベス女王のすばらしさを称えてコメントを出していた。

プーチンさんは、自分もこのような何か国も従えた地位に着きたいと思っているのだろうか?羨ましかったりするのだろうか? ソビエト連邦はイギリス連邦のようであれば解体しなかったのだろうか。

20220913 Tue.

日本、課題満載だなぁ。
でもその分、よくする余地があると思おう。

・大学など高等教育が高額化
1980年―1990年は国立大学1年間は20-30万円だった。私学は100万円、医学部などは1000万円するところもあり。
いまは国立大学で50万円、私学100万円。そして奨学金を受けている人の割合が高く、かつ返済額が大きい。大きな枷すぎる、人材が育たないうちに、単なる安い労働力に化してしまう。

・日本の学問・研究力が低下
お金の論理に押されて、研究環境や職位確保が悪すぎて頭脳が海外流出し、ちていて、企業や大学のレベル沈下、ノーベル賞が結果としていただけなくなる。実際、海外文献引用件数で、10位圏から出てしまい今年は12位とのこと。

・教育の劣化
幼児から学童、中高大の教育が劣化している。知的レベルだけでなく、基本的な人間観というか自尊心のレベルで全体的に劣化している。

・日本の食料自給率が低下
それに対する対策が的を得ず本質を大きく外している。そして生鮮食料品・食品の大きな不足が近くまで来ているのに、無策である。

・いきすぎている利権
利権により実業・市民生活が損なわれている。例)オリンピック贈賄事件・神宮の森のアミューズメントエリア化 等々。

・医療の質低下
本質的な治療や医学的働きかけではなく、医者・製薬会社・医療関係団体が儲かるような治療や医学情報提供が行われている。国民保険。

・国土保全
僻地、島など、国土の安全性や国境管理の面で、人の目を届かせる工夫が必要だけれど望ましい状態ではない。住民以外に関係人口も含めて実利的な策をとっていけないだろうか。

・基本的な生活レベルを保つことが出来ない人口割合が高い
生活保護受給の問題としてだけでなく、家賃・食費など、まっとうで華美でないレベルを提供する企業が少なくて無用にお金がかかる生活になっている。社会としての人を支える力がとても弱くなっている。

うーむ、私はこれを書き出してどうしようというのか。
すべてを書き出せてもいない。それでもわかるのは、根源的過ぎる問題に課題山積ということだ。


ロシアとウクライナの戦争。
やっと聴けた。「プーチンが戦争を終えようとするにはどうしたらいいか?」とラジオでコメントしていた人がいた。譲歩するのではなく、声を聴き意見を交わさなければ、ずっと無言で陣取り合戦が続く。

ゴルバチョフさんが「対話と交渉」と言っていたように、プーチンの考えを対話して聴くことが必要ではないか。

閉塞感。
時代の変わり目にはつきもの、ではあるが。
なかなか苦しい。自分も苦しいし、人の苦しさを見て辛くなることも多い。

こうあってほしい、ということが、そうではない、ということから閉塞感を感じること
・国葬の議論がないこと、乏しいこと
・野党の言動が、見える限りでショボいこと
・オリンピック贈賄
・リニア新幹線開発による自然破壊・地域破壊。コストのいびつさ。
・神宮の森。 100年かけて出来た森を壊して、高層ビルを次世代に残すなんて。
・弱者切り捨ての政治・経済・社会の動き
・無駄なものを沢山作って、いかにも経済を回している

いいこと・先々につながりそうなこと
・コロナ後、それに適応したワークスタイルや講演会など、知見の広がりや、無駄なことが削られた。
・デジタル化によって利便性が増した部分(低下したものへの対応・見直しが必要)
・市井の庶民が、何かできるのではないかと思い始めて動き始めるところもある。
・杉並区の区長
・鎌倉市議会が提出した意見書(国葬撤回求む) 葉山町もすでに提出済。


先々につながることを探して、いいことなら横展開したり真似して、早くスタンダードにしていきたいなぁ。それに抵抗する上の世代がいるなら、それを説得したり、若い人がそれに負けないよう応援したい。

20220914 Wed.

このところ頭の中でグルグル考えることが多くて、バランスが良くない。
そんななか、この視点は大事だなと思った動画2本はこちら。

ロシアも悪いし、ウクライナも悪い。
いまはウクライナは良い面(=西側諸国にとって都合がよいところ)だけを見ている。そのことがよくわかる動画。視聴していると、あれ、この話はいつ収録されたのだろうと思わず確認したくなるはず。

https://www.youtube.com/watch?v=-MbVxDc6-o0
ゴルバチョフとプーチン これも有益


下記動画に超賛成。人の社会との関わり方・貢献の仕方がワンパターン化していて多様性がない。ワンパターンにはまっていないと、あたかも「イケナイ」ような風潮に染まる。そんなことない、胸を張ろう。生きる上で変な感情を世間に振りまき、つまり無駄な排気ガスを出して迷惑をかけるのではなく、自分自身を幸せにして、周囲に幸せを広げる、できれば貢献する、それでいいじゃないか、という話。自分の周囲も幸せにできるなら立派なもんだ。
(サムネイルに反して、山上容疑者の話はあまり出てこない)


20220915 Thu.

パタゴニア 創業者の決断を多くの人が素晴らしいと賞賛している。

 「パタゴニア(Patagonia)」の創業者イヴォン・シュイナード(Yvon Chouinard)と同氏の家族が、同社の所有権を手放し、発行済み株式のすべてを環境団体などに譲渡すると発表した。米ニューヨーク・タイムズによると、30億ドル(約4300億円)に相当する。これにより、パタゴニアの事業に再投資されない資金のすべてを地球の自然を守るために活用していくという。

FASHION SNAP COM
https://www.fashionsnap.com/article/2022-09-15/patagonia-ownership/

 譲渡先は「故郷である地球を救うためにビジネスを営む」というパタゴニアのミッションを守ることを目的に設立された「Patagonia Purpose Trust」と、自然を守る非営利団体「Holdfast Collective」。パタゴニアが保有するすべての無議決権株式(全株式の98%)は「Holdfast Collective」に、すべての議決権付株式(全株式の2%)は「Patagonia Purpose Trust」に移管される。

FASHION SNAP COM
https://www.fashionsnap.com/article/2022-09-15/patagonia-ownership/

創業者の手紙を読んで、新しい選択肢をつくることで望ましい未来を選択できる。いま目の前にある選択肢から選ぶことの限界、それにとどまる必要はない、ということを感じた。

今提示される選択肢は、過去からこれまでの事情、現在の法律から生まれた選択肢。そこに選びたいものがないときに、新しいものを造り出すことができれば、新しい可能性が開ける。

真の目的は、
「株式公開に進む(Going public)」のではなく、「目的に進む(Going purpose)」こと。
自然から価値あるものを収奪して投資家の富に変えるのではなく、パタゴニアが生み出す富をすべての富の源を守るために使用する。

その仕組みは、既存のルールを組み合わせている。

会社の議決権付株式の100%を会社の価値観を守るために設定されたthe Patagonia Purpose Trustに譲渡し、無議決権株式の100%を環境危機と闘い自然を守る非営利団体the Holdfast Collectiveに譲渡する、というものです。また、毎年、事業に再投資を行った後の剰余利益を配当金として分配することで、パタゴニアから環境危機と闘うための資金を提供します。

イヴォン『資本主義を再考する』より

最近の事例:エアコンのリモコンが壊れてしまい、電池を入れ替えても作動しない。もし電気的知識があれば簡単に修理できるかもしれないけれど、それが出来ないためメーカーに問い合わせたら家電店での対応と返事が返ってきた。家電店はメーカーに問い合わせて、メーカーに残っているリモコンを12000円で売るという。これを私は選択しなくてはいけないのか?

直近の望ましくない選択肢はこれだ。
パタゴニアの創造的な選択肢を造り出す話とは、スケールも次元も違うけれど、選びたくない選択肢を選ばざるを得ない、あの嫌な感覚は同じだろう。

その感覚がしたときに、いやもっと違う方法、私のこのニーズにとって望ましい方法はないかな、と。日常のほとんどは、些末な小さな選択肢に過ぎないが、この感覚を大事に育てることで大きな決断を生み出すことができるかもしれない。

パタゴニアの話に、将来につながる道を感じる。

次の世界をつくりだすような、試みはいくつも成されている、変化は起き始めている、はず。そういうものに目を向けていきたい。


お読みくださってありがとうございます。
あなたにとってどのような今日この頃でしょうか?
夏が終わってホッとしていますか。台風の季節となり大変ですか。半期の区切りが近づいてきていて忙しい最中でしょうか。シルバーウィークに楽しみが待っているでしょうか。

自分の心の独り言を書いています。置かせてもらう場所があるだけでも感謝なのですが、読んでくださる方がいらっしゃることが励みになっています。これを読んで、もし何か心のなかに安堵があったり、反発をおぼえたり、共鳴するものがあれば嬉しいです。
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Revised without changing the purpose of the text at Sep. 20.


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