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2022年4月前半

20220401 Fri.

年度始め。入社式。でも私にとって渋谷S K Y年間パスポートを購入する日!
数日前に年間パスが始まると知り嬉しくなった。

渋谷SKYとは
●渋谷駅直結する高層ビルShibuya Scramble Square 45階屋上および44階室内スペース
●2019年11月1日オープン
●営業時間 10:00〜22:30(最終入場21:20)
●入場料 2000円、もしくはネット販売で1800円、

映画一本以上のお値段。開業当初はネット販売しかしない面倒くさいチケット。でもその眺めは誰しもゴキゲンになる(と思う)。高所恐怖症の人とってはゴキゲンかどうか何とも言えないが、とても広いスペースなので、端へ行かなければ恐怖なく絶景を味わうことができる(と思う)。

<見える景色>
渋谷の街、新宿の街、国立競技場、東京タワー、スカイツリー
晴れて水蒸気が上がらなければ見える富士山、丹沢の山並み
刻々とムードが変わる夜景。空の色とネオンの点灯具合がカギ
昼間・夕方・夜の景色の変化
月や星

さらに詳しい情報:こちらはオープン時に紹介していたnote記事。お借りします


私が行きたるなる時は、晴れていてきっと景色がいいぞ!そして時間あるぞ!と条件が重なったとき。さっとタイミングよく行きたいのに、チケット購入のめんどくささが足を引っ張る。それが1年間5700円、同行者1名は半額、事前予約なくその場でパス提示すればチケット発行するという。それはいい話でしょう! 

都会は便利な代わりに、空が小さい。ビルで切り取られてしまう。広い空を見たくて広い場所へ行っても、視野のかなりの部分を想像で補わなくてはならない。でもこのビルの屋上に上がれば、いつだって360度の空がある。わーい、わーい。

年間パスポートを手に入れるためには(といきなり手元の話)事前にweb登録が必要で、それも当日朝は前日までと同じ告知画面で申込ページか不明。ビル営業時間がスタートした10時に現れた画面リンクからインプットしたら回線が混んでいるらしく途中で止まるし、しばらくして再開したら今度は自分の支払い設定(既存クレジットカード情報に加え銀行電子取引情報が紐づいている必要がある)が条件に見合わず結局完了せず。ふー。

仕方ないので、営業時間終了30分前にカウンターへ出向いて、プラスティックカードを発行してもらった。とにかく本日初日に年間パスポートを手に入れた!

東急の人と思われる対応してくださった方に、発行枚数制限とかあるのですか?と伺ったら、正式には答えられないですが…今は考えているけれど決めていませんと。他にも聞きたいことは沢山あるけれど抑えておいた。実際の混雑具合はどうなるのだろう?年間パスポートはどのくらい発行されて実際来る人の比率はどのくらいを見込んでいるのだろう?人気の時間帯(夕暮れから夜景)はこれまでも並んでチケット発行やエレベータ待ちをするようだけれど、今後どのくらいの人数で規制する予定なのか? 満月の時とか混み合うのだろうか?

ここまでこだわる理由は、
・普段生活している場を旅行者気分で客観的に見ることができる。
・高い地点から広いエリアを見ることで、生活や自分自身への見る目に少し変化が起きる。
・360度の空、これは目にも心にも喜び。

要は超俯瞰することで、超高い視点から、超広い視野を持って見る体験は、自分の意識に何か刺激を与えるってことだ。

その刺激は、地上に戻れば消えてしまうかもしれないし、時には何か次の意識に繋がり生活に小さな変化をもたらすかもしれない。


上記タスクを片付けつつ、善福寺公園添いの桜を見に行った。阿佐ヶ谷に住んでいる友人が見頃の写真を送ってくれたからだ。桜も綺麗だが盛りは過ぎた頃で、早くも新芽が綺麗だった。

善福寺川沿い(東京都杉並区)

初めて来た場所。散歩に程よく木が沢山あり満足満足。一万歩以上歩いて、普段行列しているたい焼き屋さんで小腹を満たす。そしてお目当ての阿佐ヶ谷商店街で春の山菜、うど・わらび・野フキ、イチゴを購入。深夜に山菜のアク抜き。

20220402 Sat.

うどとキュウリの酢味噌和え、蕨の煮物、野フキの煮物を作った。

春先、体調がいまいち優れない傾向にあり、代謝が悪くなる。保温をしても、風呂に入っても、歩いてもあまり変わらず。だから山菜など春のえぐみがある食べ物を食べることにしているこの2−3年。何となく身体にいいような気がする。

夜な夜な山菜のアク抜きをして、翌日煮物にする。なぜ夜になるのだろう? クリエイティビティの発揮は夜起こりやすいことなのか?

小さなタッパーに少しづつ入れて、母と妹へお裾分け。母は、自分で料理を作り、それが好きで、あまり人の手料理を期待していない。だから張り合いもプレッシャーもない中、食べてもらいたいなという気持ちが私の方にある。美味しかったわよ、と言われると嬉しい。そうか、私はそう言って貰いたいんだな。

20220403 Sun.

今日は天気が下り坂。鎌倉の実家で草取りをしながら、ウグイスの声を聞いたけれど鳥たちも天気が悪くなるので、あまり多くはない。

夜、戻りがてら歩数を稼ぐため中目黒で降りたら、しょぼしょぼ降る雨の中、警察官が交通整理をしていた。なんとこんな日にお疲れさまです。目黒川の桜を見にくる人たちのためか。傘が必要なくらいの小雨。桜は満開。時節柄ライトアップはしていない。それでもそぞろ歩く人たち。中途半端に私もその一員に加わり、300mくらい往復した。桜は綺麗だと言ってもらえていいなぁ、桜冥利に尽きるのだろうなぁ。

(人間と同じではないけれど、植物にも何か外からのフィードバックを受ける器官があるのではないかと思っている。)

20220404 Mon.

2月22日とは違って、あまり今日の日付を取り上げる人を見聞きしなかった、令和4年4月4日。4という数字は、死と同じ音で縁起が悪いという印象とともに、部分に対する全てを言い表しているようにも思う。

正方形:安定を表す
四元素:火・水・土・風
DNAの塩基は4種類:GCAT グアニン・シトシン・アデニン・チミン
四象限:++、+ー、ー+、ーー
四季:春夏秋冬
方角:東西南北

他にどんなものがあるだろうか? 四つ葉のクローバー、四大文明(メソポタミア・エジプト・インダス・黄河)はちょっと違うかな。

この日を意識して過ごした方がいらっしゃったことを、こちらnote記事にて発見。記事を拝見すると単に4並びだけではない。幾重にも意味があり感動した。


ウクライナの戦争は終わるどころか、アメリカの動きが火に油を注いでいるように見えて、どうしても賛成できない。バイデンは支持率を上げて身を守り、軍需産業に肩入れしているのではないか。

NATOへの戦力増強協力は、戦争へ力を投入することに他ならずストップしてもらいたいと思う。けれど、ウクライナにとって負けることは占領を意味していて、国民の尊厳を放棄することになる。だからここは戦わなくてはならない、という部分を理解するのに時間を要す。

しかし平和的な降伏など、ロシアの前にあり得ないのだ。

日本がアメリカに占領された時、沖縄と広島・長崎の犠牲の元、多くの国民が蹂躙されることなく、次なる生活に移れたことは稀なことなのだ。ソ連に占領されていたら、こうはならなかった。

プーチンには、彼の、ロシアの必然やロジックがあるだろうけれど、この戦争状態を終わらせる道筋をつける必要がある。

20220405 Tue.

渋谷を友人に案内する一日。初の渋谷SKY年間パスポートの出番もある。

渋谷駅は2009年から再開発が始まり、もう13年以上続いているわけだ。馴染んでいたビルが取り壊され、駅の構造が変わると供に出口が変わり、以前と同じルートを使えない・見つからない・わからないと大変不評だ。大きくなりすぎたという、池袋駅・品川駅と同じような事情もある。2027年完成予定なのであと5年だ。

今日ご一緒する友人も渋谷はあまり用事もないし、普段敬遠しているらしい。

しかし最近の渋谷駅は、2階レベルのペデストリアンデッキが部分的に整備され始めて、新しい意味が加わってきているように思う。地下・地上・2階、そして高層ビルからと、自分が先ほどまで歩いてきたところを見下ろしたり、見上げたりする、視点の移動がたやすくできるのだ。地面を這いつくばっているだけでない。

そんな高さの変化、視点の移動が、最近加わった渋谷の魅力だと思う。それを友人にも感じてもらいたい。

自分がやっていること、今の社会、そういったものを客観的に見直すことを助けてくれる。別な言い方をすれば、じぶんの居住地のよさに地元の人は気づかないけれど、旅行者は土地のよさに気づく、そんなことでもある。これまで築いてきたものを見直して、再構築するフェーズに社会がある時に大事なことだと思う。

ま、理屈はさておき、集合場所へ。

11:00 東横線地下改札にて待ち合わせ。そのまま上へ上がり、ヒカリエ2階から、ペデストリアン・デッキをつたい、元東横線の地上プラットフォームがあったところ(現グーグル社ビル、渋谷ストリーム)のあたりを見学。

六本木通りの坂を少し登り、旧東邦生命ビル(現渋谷クロスタワー)の尾崎豊スポットへ。

11;30 宮下パークへ。山手線沿いの細長いスペース。かつて公園だったところに建築された商業ビルの屋上がある。そこは貴重な空を見ることができる場所。広い空、屋上にあるスケボやボルダリングの施設を見てから、階下でランチ場所を物色。

12;00 ランチにありつく。腹ごなしに歩き始めて、代々木公園を小さく一周。見事な枝ぶりの大きな桜。新芽が出てきた木々。カラス。
原宿駅は新しいビルになって1年以上たち、旧駅舎はすっかり取り壊された。(旧駅舎を再現して移築するらしい記事を見つけた。知らなかった)

14:45 裏道を通って、カフェへ到着。オリジナルケーキ。

15:30 渋谷駅の向こう側にある桜丘プラネタリウムへ急遽行く事にして、地下鉄で表参道から渋谷駅まで一区間だけ乗車。歩いて、セルリアンタワー経由で大和田にあるプラネタリウムへ。

16:00 プラネタリウム。私も初訪問。20分ほどの親しみやすいプログラム。夕方の星や月の出も教えてくれてとても良かった。

16:45 日没18時までまだ時間があるので、タリーズで喉を潤す。

17:45 渋谷S K Y。午前中は曇っていたが、晴れてきたので期待して登る。しかし屋上へ出てみると西側は暑い雲があり、富士山や丹沢は雲の中。必然的に日没も雲へ落ちる。18:06日没。

ジオラマのような景色は圧倒的。東側へ行き、しばらくたたずむ。だんだんネオンが灯り、東京タワーも点灯し、空が青さを徐々に変えていく。その変化は、見ていて飽きない。ソファに座ってしばらく堪能する。

友人にも満足してもらえたようで良かった。お互い歩くことは好きなもの同士。18000歩なり。よく歩きました。

おまけ;原宿駅の旧駅舎、解体&再構築について


20220406 Wed.

今日は昨日より夕方の空が明るかったので一人で渋谷SKYへ登ってみたが、やはり西側は雲に覆われている。新学期ということもあり学生さん風が多い。

戦争の膠着状態は続く。現地の人とは比較にならないが、感情的に疲れてくる。どうしたら終わるのか。

最近見る夢は、みている時は割とリアルなのだが覚えていられない。明晰夢とは程遠く、意識の中に埋没しているような感覚だ。


20220407 Thu.

本日は、実家の母とはしごして観る日。

13:45集合としていたところ、念の為早めに13:30に着いたら、すでに母が到着していた。国立近代美術館前は、桜の花びらが散る中、芝生の上に赤い毛をかけたベンチをしつらえてあった。鏑木清方展。

絵の才能を小さい頃に認められ、東京芸大で学び、挿絵を描いたりしながら賞をとり、徐々に広く認められた文化勲章受章も受け、明治から昭和を生きた画家。

展示をみると神田生まれで、下町に暮らし、芝居があれば歌舞伎を見に行きその様子を描いたり、町の様子、店先の様子を描いたりするのが日常生活だったようだ。なんとなく、今その生活を思い浮かべると呑気で楽しそうだなと思う。

展示されている作品は、東京の下町の女性や生活を描いたものが多い。大きいもので屏風、掛け軸、小さいもので素描。色が部分的に変わってしまったスケッチブックからの展示もあった。「僕は戦いの絵はかきません」とドキュメンタリー映像で話していた。温厚な人柄だが厳しい時代を念持を持って生きてきたのだろう。そうでなければ、”築地明石町”のあの表情は描けまい。

鏑木清方は、地元鎌倉の小町通りから路地に入ったところにある、美術館(鎌倉史鏑木清方記念美術館、常設で小品などは見ることができる)へ時々行ったことがあることと、ひ孫に当たる人が、高校時代のクラブの先輩にいらしたので、本人を知らないのに親みを観じる画家だ。

東京では5月8日まで。京都にて5月27日から7月10日まで。

こじんまりとした、小町通り裏の路地にある美術館。

美術館のHPには、企画展示の案内のほか現地ワークショップや講演・作品データベースもあり充実している。


80歳を超えているが元気な母。地下鉄で銀座へ移動し、ゆっくり夕飯を食べる。しかし特段の目当てなく彷徨う覚悟。時間があるので、昔好きだったナポレオン・パイを復活させているお店を覗いてみようと、GINZA SIX(G6)のレストラン街へ行ってみた。そもそもブランドばかり入っているG6はあまり縁がないと、オープン後、二人とも足が遠のいていた。レストランも同様だが、E A T A L Yのフロアに物販やお値段や量に応じて幾つかコーナーがあり、そこで夕飯を食べることに。3000円でスープ・前菜・パスタ又はメイン肉か魚・デザート・飲み物。安くないが、銀座でこれなら御の字だろう。一人はパスタ、一人はチキンローストを頼み、シェアした。店員さんも感じが良いし、ピザ生地をオープンキッチンでこねている二人はイタリア人。イタリア食材を売っているお店でもあり、出された料理は本当に美味しかった。開放的なスペース。穴場です。

ナポレオンパイ

昔、社会勉強という名目で、自腹で銀座マキシムへ何度か行った。

そこでデザートとして出しているナポレオンパイは、地下鉄通路に面したケーキ売店で一切れでもホールやハーフでも購入できたので、母親の誕生日にプレゼントしたことがある。パリパリでカスタードクリームが挟まり本当に美味しい。

銀座マキシムが閉店後の現在、G6グラン銀座にていただける。予約していなくても席があれば入れるそうだ。コーヒーとナポレオンパイ一切れで2200円。確か15年くらい前は一切れ700円くらいだったと思う。それよりだいぶ高いけれど、味は確かだ。なぜなら銀座マキシムでこのケーキを作っていた方が同じレシピで作っているから。今回私は偵察のみ。


さてさて、観るハシゴ、2つ目は歌舞伎。夜の部。演目は、片岡仁左衛門、坂東玉三郎の組み合わせで『じいさん ばあさん』。これまであまり歌舞伎を観てこなかったものの、今この時代に見ることのできる芝居を観たいという気持ちが昨今高まっていて選んだ。直接は、ステイホームする中、Youtubeで亡くなった第十八代中村勘三郎や坂東玉三郎から始まり、その同世代、先代の動画を見るうちに興味が高まった。

2021年12月に若い役者で演じられていた。十九代中村勘九郎、尾上菊之助。知らなかったなぁ。この時はまだ歌舞伎を観ようと思っていなかったし。しかしその4ヶ月後に名コンビで同じ演目を舞台にかけるとは、松竹はどういう戦略なのだろうか。

今回は伊織とるんを12年ぶりに片岡仁左衛門、坂東玉三郎が演じる。後半、37年ぶりの再会をして、お互いの話をしている様子、玉三郎演じるるんは、礼節あり懐かしく愛情溢れていて素敵だった。「余生を送るのではない。生まれ変わって新しい暮らしを始めるのだ」と仁左衛門演じる伊織がいう、それを嬉しく受け止める。瑞々しいお話だった。

原作 森鴎外


たまたま「るん」という名前、翌日最終回を迎えるカムカム・エブリバディ(N H K朝の連続小説)で主人公の娘(深津絵里)の名前も「るん」。


20220408 Fri.

朝参加した勉強会の参加者のお一人が、 zoom越しに、前日に見た日本画に描かれた美しい女性に見えてしまう。色白、ふくよかな唇、真面目でその人らしさが現れる人柄、そんなところが絵との共通点に思える。完全に目が影響されているな。

この勉強会の題材はこちらの本

M B T I ®️の理論に基づいた見方からすると、外側で感覚を主に使っている人は、その時に認識しているものが、今目の前にあるものだ。対極に位置付けられる、内側で直観を主に使っている人は、その時に認識しているものが、今の物もあるし、過去の物もあるし、遠くのものもある。

レーダーで捉えているものが、眼前にあるもの、今の課題に関係あるものだけ。

あるいは

レーダーで捉えているものが、たくさん、関係が薄いと思えるものまで色々あり、相対的に今の課題・眼前のものの比重が小さくなっているとも言える。

どちらが良いとか、どちらが優れているということではない。わかることは、M B T I®️の枠組みで見ると、ひとの認知の仕方は、同じではない、ということだ。

理解していたけれど、さらに具体的に理解が深まった。レーダーで見ているものと、その時の必要性・必然性を並べると、認識しているものが眼前にどれだけ直結しているのか、していないのか、その質感を理解できたような気がする。私は内側で直観を主に使っているが、どれだけ彼ら(外側で感覚を主に使う人)と認知が異なるかを改めて理解した。

人の認知の仕方は、本当にそれぞれなので違うことが前提となる。同じだと思って進むから問題が起きるのだ。

20220409 Sat.

整形外科でリハビリ。マイクロ波を8分当ててもらう。週に2、3回通っている。骨折自体は回復して日常生活で出来ないことは無くなってきたけれど、重いものを持ち続けることは出来ない、腕立て伏せは壁面出ないと出来ない、使いすぎると後から骨折面やそれとは関係ないところが痛くなる。
稼働域が戻らず、左手は反らせることや、小指側に回旋することが十分出来ない。

通院途上に、神社へ寄ると、桜の花びらが散っていた。竹の緑が増えてきた。

20220410 Sun.

午前中はかろうじて曇り空だったが、午後から降ってきた。実家での庭仕事は、雑草の勢いを横目に捉えつつハナニラの球根を掘り出すことに集中した。除草剤は次回かな、遅くとも4月中に行いたい。


ウクライナ情勢
・ロシア軍隊が東部へ車列を組んで移動
・8日 避難民が集まっている駅をミサイル攻撃
・8日イギリスとドイツの首脳会談が8日、ロンドンで開かれ、両国は、ウクライナへの軍事支援やロシアへの経済制裁の強化で一致
・8日国連のグテーレス事務総長「駅攻撃 容認できない」
・ロシア大使館の外交官ら8人を追放する措置を発表

ガルージン駐日大使は食えないやつだと思う。ある意味、優秀な外交官。

ロシアが戦争(名称はなんであれ、今の状況)を始めたことや、それが継続されていることへの反対表明は必要だ。しかしロシアと断絶してパイプを閉じて良いのだろうか?対話のチャンネルは残さなくてはならない。外交官を追放したらコミュニケーションを取れなくなると思われる。元外交官でロシア関連を担当していた東郷和彦さんは「今パイプは閉じたわけですから」と述べていらした。

プーチンを追い込みすぎず、むしろ、彼の身の安全は守るから交渉し対話をしろというべきではないか。

プーチンはじぶんが領土拡大をしているのではなく、欧米がN A T Oを使って領土拡大しようとしているから、それを阻止するのだという論法をとっている。そこを奇異に感じる。自分の狙い(領土拡大)を欧米が企んでいると、投影しているのだろうか?!

少なくともロシア=自分が尊重されていないと感じる10年20年だったのでは?ドイツ メルケルは話を聞いてあげカウンセラー的関わりをしたけれど、アメリカは相変わらず自己中で自分達のルールがよいと狭量で、ロシアを含んだ世界を作ることは思いもよらず、排除を企んでいる。

そんななか、コロナ2年やって側近も限られる人しか接点なく、ますますプーチンは自己の世界に耽溺してしまい、歪んだ現状認識が凝り固まってしまった。それに基づいて正しいことを行っている…

・正しいとおもっているアメリカ怖い
・プーチンはもちろん怖い。だが対話を閉ざさず、彼の考えを理解(同意・同情出なく受け止め)する必要がある。その主張の中には聞くべきことがあるはず。
・そのやり方に一線を画す風で便乗する(この事態を悪用する)中国こわい

20220411 Mon.

朝7:17発の新幹線で京都へ、そしてその先、奈良へ。
事実上初めての奈良散策。

J Rでチケットを持っているのに、京都から先は近鉄特急で長谷寺まで。この辺りを、同行する仕事時代の友人がアレンジしてくれた。関西は私鉄が強いのだなぁ。本日の訪問地は、長谷寺。

西国八番大和国 長谷寺
近鉄線「長谷寺駅」から20分程歩いてお寺の山道へ向かう。

お寺は初瀬(はつせ)という場所にあった。地名として「はつせ」と呼ばれているようだが、駅から長谷寺へ向かう交差点には「初瀬Hase」と表示されていた。

音が同じ、初瀬と長谷。関係があるのだろうか?と思い、大観音特別拝観のチケット窓口を受け持つ方に伺ってみると、私はわからないけれど、あちらのお坊さんに聞いてみますか?とおっしゃってくださった。隣に詰め所のような部屋がありお坊さんが2、3人いらっしゃる。いや_そこまでいいです、といいつつ、目がどうしようか?と友人と視線を交わし「やっぱりお願いします」と言ってしまった。若く30代位に見えるお坊さんが出ていらして、「長谷は初瀬Haseから来ている」と説明してくださった。長谷という字を当てたのは、この場所が山深い谷だからということだそうだ。

特別拝観で、普段公開していない、大きな観音様の足を触ることができるそうだ。他に参拝者も多くなく、ゆっくり触らせていただいた。

あまりこういうことに信心深いわけでないのだが、大きな木製の大観音は触ると温かい感覚だった。かなり昔から長谷詣でをしていたらしいから、この観音様は様々な願いを聞いてきたんだな。

木々が春の出立ちで生き生きとして美しい
広い境内はよく手入れされている。大変だろうなぁ
牡丹が少しだけ咲き始めていた

鎌倉には、この奈良の長谷寺からつながる系譜で長谷寺がある。小さい頃は水子地蔵が怖かったけれど、今は紫陽花や催しもので栄えている。海の眺めが良い。

長谷寺へお参りする前に、お腹が空いてしまい、山道にある食堂で「にゅうめん」を頂いた。妹や祖母がにゅうめん好きだが、私はあまりよく知らない。でも名物だというので食べてみた。美味しい! 三輪そうめんが有名な産地で、そうめんを暖かく食べる時に「にゅうめん」というらしく、西の方の食べ物だ。

お腹を満たした後、気になって山道脇にある「白鬚神社」へお参りしてみた。

白髭神社 長谷寺へ向かう山道の脇にある
本殿はさらに高い位置にある。この石は本殿が建てられる前から祀られていたようだ


20220412 Tue.

奈良2日目。J R奈良駅コインロッカーに荷物を預け、駅ビル内で朝ごはん。農園直送レストラン古都華。奈良うまいものプラザと同居している。

本日の行先は興福寺、東大寺、春日大社。奈良国立博物館もリストしていたが、到底時間が足りず、早々に次回回しにした。修学旅行のような、名所めぐりだが仕方ない。思い返しても、奈良は友人の実家に泊めてもらい、その前後車で京都に移動したくらいしか経験がなかったようだ。

●興福寺
六角堂、美しい。五重塔、美しい。ここへきて、寺社の屋根の反りに魅せられてしまった。朝一番の鹿に遭遇。10時頃すでに気温が高く鹿達は塀沿いの日陰で休息いていた。

六角堂
五重塔
日陰で休む鹿の一団

宝物殿
千手観音、運慶快慶による阿吽の金剛力士像、十一羅漢像、十大弟子像・・・
国宝だらけという表現は軽すぎるけれど、まさにそう。

阿修羅像の正面はよく見えるが、左右のお顔はどうなっているのだろう? ミュージーアムショップに3面を写した絵葉書があった。

ミュージアムショップで販売していた絵葉書 阿修羅像の3つのお顔
表情が微細に表現されている

●東大寺 
大仏
やはり大きい。鎌倉の大仏より高さが高いそうだ。青空が背景の鎌倉大仏は伸びやかで素朴。東大寺大仏は大きな伽藍に囲まれ、威厳があり、その中に慈悲がある。

奈良は建物が大きく、配置もゆったりしている。この空間の持つ間、というか、醸す雰囲気は、格調高いものを感じさせる。気軽に行くというよりは、心して行く、という感じ。

東大寺
広々していて、この空間そのもののが貴重に感じた

東大寺に入るまで、山道には鹿が沢山そぞろ歩いていた。修学旅行のような中学生の集団が鹿に後をつけられて騒いで走り回っていて賑やか。山門の内外にいる沢山の鹿に気を取られていたら、運慶快慶の仏像を見ないで進むところだった。

二月堂、三月堂(法華堂)まで山を登っていく。汗ばんで暑い。この辺りは山間で大仏がある平らな土地と比較して、建物が近接している。二月堂から奈良盆地を見下ろす景色は、山々の緑が美しく空が広く素敵だった。

ここへ着いたころ、すでに13時を回っていてお腹が空いていた。二月堂脇に、茶屋があり「わらび餅」が名物だという。お抹茶とセットでほぼ1000円。高いなぁと思いつつ、他に選択肢はないし頂くことにした。

待つこと7−8分。その間に冷たいお茶と行法味噌をいただく。景色を眺める。龍があしらわれている水。出てきたわらび餅はこんなにたっぷり。

わらび餅と抹茶のセット@龍美堂

そして本当に美味しかった。今作ったんだなとわかる、ほんのり温かみが残っているわらび餅を冷やしたもの。黒蜜に浸った蕨餅の上に、きなこ・抹茶・砂糖がかかっている。二月堂、その先に奈良盆地や山波を見ながらゆっくり頂くとは贅沢な時間。

二月堂下から奈良盆地と向こうの山並み

ひとしきり景色を味わってから、山を降りて、春日大社へ向かう。この道すがら鹿にも遭遇。

春日大社へ向かう途上 木陰でたたずむ鹿

私達が神社やお寺へ行くと、サワサワと風がでて、桜の花びらが散ったり、枯葉が舞う。帰る時にも風がそよぐ。なんだか不思議だけれど、その静けさや穏やかさが嬉しい瞬間だった。

春日大社
大宮を特別拝観
せっかく来たので見てまわる。

春日大社本殿 庭にある大きな杉の木
戦国時代から現代まで、祈祷のために奉納された灯籠
最初は金ピカだが時間を経て深い緑色になる
戦勝・延命から家内安全・商売繁盛、世界平和

奈良は鹿が本当に伸び伸びと自由に歩き回っている。

気に入ったおじさんの後をついていってる
ひょっこり

奈良は寺社と鹿を観光資源としている。(お菓子も小物雑貨も鹿デザインに頼っている)

鹿にとっても、お店にとっても、ベストポジション

二日間、奈良で神社仏閣を回ったら、何でもお参りし、何でも手を合わせる体質になった。お地蔵さんにも、守ってくれてるのですね、ありがとう。祠があれば、ここも何かが祀られているのですね、拝礼。といった具合だ。

J Rで奈良から京都まで1時間程。京都で新幹線出発まで2時間半。


京都駅。地下街ポルタにて京都らしい夕飯をいただく。それでも時間があったので、京都駅探検タイムとなった。

駅の2階、南北通路から1階へ降りて、京都劇場がある岡山方向へエスカレーターをいくつも上がる。上がり切ったところから名古屋方向へ東西通路を通って、大階段の上へ出る。大階段を降りて、2階南北通路へ。駅ビル内壁を照らすイルミネーションや、外の京都タワーなどの景色、大階段のムービングイルミネーションなど。

あちこち探検したら、京都駅がなぜ黒い壁面を多用しているのか理由が一つわかったような気がした。ビルという箱ものではなく、人々が行き交うまさに交通の要所にしたかったのではないかと思う。色々な機能が集まった交差点のようなもの。だから外の空間と駅構内はシームレスにつながっている。壁面を黒くすると、夜は外と同じような空間になる。照明を必要最小限にして、夜を体感できる駅。そして街から見ても京都という場に溶け込む駅。だから黒くする必要があったのではないか。
昼間、初めて来た時は結構な威圧感を感じたものだが、今回駅探検をしていてやっとわかったような気がする。

京都駅 2階から1階を見下ろす
京都駅前とつづく夜景 

いやー旅は楽しい。



ふと思ったこと。

電車の旅。ガタン、ごとん、振動による律動的な音がする。鼓動。子宮の中にいるような、おかあさんの鼓動を聞いているようなかんじ。もしかすると潜在意識に調律するような作用が列車の旅にあるのかもしれない。その作用が、心理的に痛みの抱擁や、新たなエネルギーをもたらすのかもしれない。

飛行機の旅。しゅーっと換気する音。さながら保育器の中にいるような感じではなかろうか。

リニアモーターカーは、浮いて移動するわけだから飛行機に近い体験になるだろう。(リニア新幹線そのものに反対している)

そういえば今年2月上旬は、シベリア横断鉄道に乗りたいと長年思っている80歳超えた母と一緒に行くのは無謀なことだろうか?と考えていた。もはや行けない場所、乗れない鉄道になってしまったようだ。

20220413 Wed.

ウクライナの戦争状況を早く正確に知る地図を、日本人研究者が公開しているとのニュースを聞いた。こういうことが日本が貢献できる有益なことなんだろうな。

●ウクライナ被害の可視化
撮影された動画や静止画、衛生写真などをデジタル地図上に置いて、Webサイトにアクセスすれば誰でも見ることができる地図を、現在東大で教授として研究している渡邉教授らが公開したそうだ。
これが出来るためには、動画や静止画を集め、そこに紐づいた位置情報などをデジタル地図上に紐付けて情報処理するプログラム開発などの専門的知見と実際それを行う人材が必要になる。

4月1日東大記事 渡邉英徳さん(東京理科大卒、筑波大学院をへて東大教授)

実際公開されている3D地図

上記サイトでは、例えば、22マリウポリで爆破・攻撃されたエリア  28ブチャの街と教会だけ残っている写真  58インド洋に浮かぶオリガルヒの大型ヨット  59他国と違い真っ暗なウクライナ領土  などが記録されている。

●紙を使った簡易プライベートスペース
こんな記事もある。3月中旬のことだ。建築家の坂茂氏がポーランドで難民支援のため紙の柱を使い、避難場所に個別スペースを作ったそうだ。

3月中旬の早い段階で行ったことも素晴らしいし、現地の人たちとチームを構成して受け入れ施設に合わせて臨機応変に導入したこともとても意義がある。

これに加えて、自衛隊の野外風呂も加わればいいのになと思う。自衛隊が行く理由は作れないか。民間がこのノウハウをもらって活動することはできないのだろうか? だんだん暖かい季節になってきたものの、緊張状態にある避難民の人たちに日本式の風呂を味わってもらったら、ひとときのほっとする時間を持つことで自分を落ち着かせることができるだろう。免疫も活動するだろう。避難の中での癒しでもあり、復興のスタートでもある。

戦士達にも疲れを癒すため風呂に入れてあげたらいい。信玄の隠し湯というものが残っているように、戦士の体力回復に役立てられてきた。ローマでもそうだ。風呂に入り、冷静になって戦意消失してくれないだろうかという密かな願いをこめて。


夜参加した勉強会でふたつ興味深いことがあった。

1.瞑想ワーク

瞑想ワークの骨子
・自分を見つめる時、頭(思考)、胸(感情)、肚・腹(本心・本能)
・それぞれを1つづつみる。
・その後、それら3つを一度にみる。
・そしてその後、一度に見ている自分をさらに眺める。

これは、自分を俯瞰する感覚を作っていく、あるいは、探っていくワーク。自分を離れたところからみる、自分をみている自分を見る・・・ということは難しい。文字を追うだけでよくわからなくなってくる。でもこういう感覚があるそうなのだ。書籍で読んで、想像してもわからないところへ、手がかりを作っていくようなワークだ。このような時間を作ってもらいとてもありがたい。

2.エニアグラムの構成に関する説明

エニアグラムは9つのタイプに性格や生きる心情を分けるもの。出鱈目な占いっぽいものではなく、かなり理屈に叶っている。私はM B T Iを最も信頼しているがエニアグラムも信頼できそうなものだと思っている。ただ、これまでなぜこの9つのタイプに集約されるのかという理由がよくわからなかった。本日とても腑に落ちる説明を聞いた。

3❌3だから、ということだった。
頭・胸・腹それぞれに内・内外・外があり、9通りになるという。

私は、3つのタイプが自分に近く感じており、それが頭・胸・腹に相当するものだったので、とても納得した。エニアグラムは認定されたファシリテーターの人と段階的に深めていくプロセスがあり、2年程それなりの金額がかかる。ズバッと本質まで辿り着きたいと思っていると、ついつい開始を躊躇してしまい、エニアグラムについていまひとつ理解が進まなかった。でも3❌3の話で色々なことがつながり、かなり理解できたように思う。

簡易的にタイプを見つける質問集

タイプそれぞれに関する解説


20220414 Thu.

朝の読書会。
あと2回くらいで、この本が終わるだろう。

私の身体/エネルギー、心/意識は、同じ出来事の外面と内面。
この二つは分かち難く存在し、ともに進化していく。
身体と心が相互に影響し合い、成長・進化していく、これが人間の生。

しかし往々にして、身体と心、この二つを分離して捉えてしまう。二つは異なるものだとその差異を認める(差異化)するのだが、別々に捉えてしまう(分離)するから病気になる。人間というシステムが一つとして扱われないからだ。分離する代わりに統合することで人間という有機的なシステムをうまく使うことができる。身体にとって栄養のあるものを心地良い仲間とともに、あるいは、一人でも美味しく食べることで、心も休まる。心の(しばしば頭の)要求に従いジャンクフードを食べていると、それは身体に負担がかかり、いずれは病気になる。

同じように差異化したのち、分離した段階にいて、統合できていないことは、色々ある。

そのひとつ大きなものは、男性・女性という性別。

少なくとも生物学的形態に差異があり、それに対して男性・女性と名称をつけている。その存在や役割を分離だけしていると、社会的には男女不平等が起きてどちらかが不満を持つことになる。

 例)企業において
   男性だから、価値ある仕事。
   女性だから、下働きや補助的な仕事。

 例)個人の中で分離している場合、
   男性は自分の中の女性性を抑圧し、無理に男性らしさを表す。
   女性は自分の中の男性性を抑圧して、無理に女性らしさを表す。
   どちらも場合も社会が要請する「らしさ」を制約として感じ
   無理に適応しようとすれば苦しくなる。
   適応することをやめ、アウトローとして生きる場合も出てきている。

分離させず、統合する場合、
個人が持つモチベーションや才能をいかに使うか、に価値をおくと

 例)男性が保父さん
   女性がパイロット
   美輪明宏という存在

一人の内面においても、男性性を発揮して力仕事をしたり、女性性を発揮して丹精込めて料理したりする。それは女性らしくない、男性らしくない、といってしまうと、個人の自由な動きが妨げられる。昔はスカートを履かないと女性としてどうか、と言われることもあった。その状態と比較すれば女性がスラックスを履いても不思議はないし、男性でも最近巻きスカートのようなファッションも一部には好まれている。そのようにだいぶ統合されてきているとも言えるが、まだまだ分離されている例は多い。やっと統合へ向けてスタートしたと考えればいいのだろう。

性別による役割固定をしていたフェーズから、それを緩めて、性別ではなく(例えば)才能に価値をおくフェーズに入る。こうやって男性・女性ということを分離せず統合していける。

統合について、書籍にはこのように書いてある。

人口のおよそ10%が最先端の段階に位置するようになると、その文化は「臨界点」(tipping point)に到達し、その段階の価値が、文化全体を通して、ある程度まで認知され、需要されるようになりました。

『インテグラル理論を体感する』385ページ

人口の10%が合理的な思考をするようになり、フランス革命・アメリカ独立革命が起こり、合理的・産業的な国家において奴隷制が法的に禁止された

人口の10%が多様性を重視する思考をするようになり、1960年代の学生運動が起こり、公民権運動、環境保護運動が活発になり、私生活と仕事の両方の領域を対象とするフェミニズム、が広がった。

いま戦争を起こして力で征服する思考と、それは悪だと攻撃(や制裁)する思考がある。もしかすると、そこに新しい思考が生まれていて、両者を包む思考を育んでいくかもしれない。

この時大切なポイントは、何かを無視したり、除外した世界を作ってはうまくいかないということだ。その影となった部分が全体に包摂されないと、次の問題を起こして進んだ世界を揺らがせることになる。


夜の読書会。
ここでも、朝とつながる話。書籍は同じ著者の、さらに遡った著作。

(この書籍は現在中古本のみ。再販を一読者としてお願いしてみつつ、図書館で借りた。しかし都下図書館にも限られた部数しかない模様)

真実 それぞれの視点にとって正しいことがある。物事の正しさは、見ている側の視点で捉えて判断するため、必ずしも同じ結論ではない。つまり真実は一つでない。

フラットランド 全てのことを数字として示し、”早いか儲かるか役立つか”(早い安い旨い)に集約されている今の世界。この傾向は主に1960年代から顕著になってきた。この3つはお金に還元される。お金に還元されない価値は、善いことかもしれないが無駄だと切り捨てが起きた。そのために人間が人間らしく継続的に生きていく上で大切なことが蔑ろにされる傾向が強まった。そのために健康を害し、生活は向上もしないし幸せでもなく、ただビジネスや社会の歯車となって日々送るだけの人生に絡め取られることが多くなった。

そして現在、私たちには新たな変化が見えてきた兆しもある。お金に還元されないかもしれないけれど、成長ややりがいや尊厳につながるのではないかと、職場で”心理的安全性”や、子ども食堂、地域コミュニティなどが存在感を高めている。

2つの間、”お金”と”お金ではない価値”という対立から、次の世界にいくためにどんな動きが考えらえるだろうか。


ウクライナ情勢

・14日 ロシア国防省は、日本海での演習に参加していた海軍の潜水艦2隻が巡航ミサイルの発射実験に成功したと発表
・13日 米原子力空母 日本海で海上自衛隊と共同訓練 北朝鮮をけん制か
・15日 北朝鮮キム・イルソン主席生誕110年イベント

14日のロシアの動きは、13日までの日米の動きに呼応している。15日へ向けて日米は牽制をかけているのだと表面上説明しているが、その背後にいるロシアを十分意識している。ロシア・北朝鮮の先には中国もいる。
ロシア・北朝鮮・中国、台湾・日本、アメリカ。緊迫している。


20220415 Fri.

ウクライナへ海外から志願兵が集まっている。そのセレクションを行い、士気の高い人々で戦力を高めようとしている。それは今あるロシアとウクライナの戦いを終わらせようとする高い志によるものだ。
しかし戦いは続いていて、戦いにエネルギーを追加投入しているだけとも言える。終わりへの道筋が見えてこない。

B B C映像

ここで生じたふたつの問。

1.日本に戦いが生じたら、傭兵を選択するのだろうか?

ヨーロッパでの戦いに、イギリスなどからウクライナへ志願することはあっても、遠い日本のために働くだろうか?もし傭兵が成り立つとしたら、日本の国民が望まなくても、政府が決定したら戦争が成り立つのだろうか? 日本人が戦わず傭兵が戦う代理戦争はあり得るのか? 戦争はゲームではない。

2.日本が戦うことを選択したら、男性は問答無用で兵士になるのだろうか? 女性は志願する人のみが兵士になるのだろうか?

男性だから兵士になる、と言われて違和感を感じる人は今の日本の社会に多いのではないだろうか?
女性は兵士にならずに済ませることができてホッとする人も、兵士になりたいと思う人もいるだろう。

かつては一般に男性の方が身体能力が高いので兵士として戦い、女性は力が弱いのでそこに加わらないことが一般的だった。子供を産むことが仕事だ、という見方もあった。しかし戦いの方法が変化し、力に寄らない戦いの方法が出来てきた。レーダーやドローンを介した攻撃、スナイパーなど。そこで活躍する人は女性も含まれるだろう。(本屋大賞をとった『同志少女よ敵を撃て』はまさにウクライナ出身の少女スナイパーの話)

・生物学的な要因で決まること/適切なこと 
・生物学的な差異は区別する要因とならず、モチベーションや能力といった心的な要因で決まること/適切なこと

今後戦闘員を日本が国民から集めるとなったら男女問わず選ぶことになる可能性がある。旧ソ連では、第二次世界大戦中100万人をこえる女性が従軍したという。(『戦争は女の顔をしていない』より)

日本は戦争で戦って勝てる国ではない。エネルギー資源が有限だからだ。友好関係を作りその中で生きていく国だ。
現代は地域として遠方であっても友好関係を作り、国際協調することがますます効果的になる。エストニアやウクライナ、アイスランドなどとI T技術及び自治や治世システムを学び、人的交流を深めたらサイバー攻撃などの場合も協力し合うことが出来るのではないか。またこれらの国は、ソ連や過去征服者と粘り強く戦い外交してきた歴史があり、それを学ぶことも必要だ。

近いところでは台湾、東南アジア各国などと協力関係を深め、のさばる国を一方的に許さない枠組みを共に作る必要がある。

攻められたら何らかの対抗措置は行うものの、戦争を仕掛ける攻撃においては結局のところ無力だ。ある程度力を持ったとしても、相対比較で勝負が決まるからだ。さらに、世界初の原子爆弾を被った国なのだ。平和を憲法に据え国の理念として守り抜くことに存在意義がある。平和構築、復興、人的リソース支援(建築・土木・医療・教育などなど)による貢献。さらに背景となる一神教ではない八百万の神の思想、自然とともに生きる知恵などの文化の共有。もちろんアニメや映画、伝統文化など見えるコンテンツ。

だから今、平和構築や復興で存在感を出せるし、そのことを世界が求めている。平和構築の仕組みづくりにおいて、ファシリテーターの立場をとる必要があるのだと思う。旧来の世界で誰かが一方的に引っ張るリーダーシップを取るスタイルではなく、関係者それぞれを尊重し対話の場を作るファシリテーター。

そしてアメリカ一辺倒の体制を変えていく必要がある。今、林外務大臣がいうことは、アメリカからシナリオを渡されているのではないか?と思うような内容ばかりだ。アメリカとの付き合い方を変えていかなければならない。アメリカの傘の下に庇護され搾取されてきた守られる幼児としてではなく、徐々に対等に自立して日本の中立的な立場を築く必要がある。


夜、久々に昔の仕事仲間とリアル対面。直接話して笑えるのは楽しいものだなぁ。その場でしか起こらない笑いや、話の展開がある。
スタバが4月13日から値上げしていた。

■キエフ
キエフは、シルクロードの中継地でヨーロッパとアジアの間。接点にあたる。シルクロードを長い時間かけて東からやってきた人にとっては、ヨーロッパの入口にあたり、ヨーロッパから東を目指す人はここから、いよいよアジアへ入っていくという場所だったらしい。アジアとヨーロッパ、各地の文化や品物が集まる場所。

ムソルグスキー『展覧会の絵』という組曲の中に、キエフの大門という曲がある。とても印象的だ。実際にそのような門があったのではなく、ハルトマンという画家の作品に触発されて作曲したと言われている。ムソルグスキーが具体的に何をこめたのかわかっていないが、地理的に二つをつなぐものであり、身近な友人の生死の門をイメージしたのかもしれない。

『展覧会の絵』キエフの大門部分の抜粋 オーケストラ版 チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー 約6分


触発されたという、ハルトマンの絵


リヒテル『展覧会の絵』 全曲 ピアノ演奏 リヒテル 約30分
リヒテルはソ連下のピアノの巨人。体制へ迎合することはないが、西側へ亡命することもなく、伸び伸びとピアノを引き続けた人。


1990年から2022年までを、中東から、アジアから、アフリカから、南米から、中南米から、見たらどんな風に見えているのだろう。それぞれにどんな根源的ニーズがあり、それを包摂するような次なる地球社会を作っていけるのだろうか。


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