CBL(クラウドベーストラーニング)

前述の「学校が地図から消える日」で述べたように、Society5.0あるいはEducation5.0はVUCAすぎてまだまだ見えませんが、個人的にはEducation4.5あたりが見えてきた気がしてます。

実は今日、導入からまとめまで教室でなくても成立するようなクラウド授業を行ったわけですが、参観者や生徒と交わした言葉が自分の中でも象徴的だったなと感じてます。

「166問単語テストをしてる真っ最中に全員の進捗(得点)をタイムリーに計測できてるか起動テストをしたいので、ログインして一問だけ解いてみて」
(開始5分前には授業準備や英会話をしてる集団なので、誰も文句を言わずに休み時間に自作スプレッドシートの起動テストに付き合ってくれている)

「モニターをチェックするなら、生徒は黒板に背中を向けてもらったほうがいいんですよねー」
(同僚教員と指導者の適切な立ち位置について意見交換)

「タブレットの中でやり取りしてるから4人グループを作る意味があまりないんだけど、一応机くっつけようか」
(話し合い活動開始時の生徒への指示)

「Meetのチャット欄を使って教師のデモ発表や代表者の練習の様子のいいところを評価してみよう」
(全員のコメントがいっきに上に流れていくので、一人ひとりの発言にかかる負荷―情意フィルターが低い。結果、全員が発言する)

こういったクラウド上で完結している授業(黒板無し、チョーク無し、教科書の内容もクラウド上に添付済み、ノートがわりにスプレッドシートで練習、打ち込んだ作文=提出物の提出完了、他人の打ち込んだ作文=例文以外の参考文が数十行あることになるので負荷なく全員が英作文できる授業)は、そのままオンラインで不登校生徒や遠隔地生徒に実施できるものです。

もう教師は黒板の前には立っていません。
タイムリーにアップされてくる作文や、発表者を称賛するコメントを拾い上げ、大喜利のように紹介したりツッコんだりしていくだけです。
これは授業者も楽しいしかありません。
アプリをほとんど切り替えないので、アイドルタイムもなし。
班隊形にしなくてもクラウド上に学習モデルがあるので、エンゲージメント(授業従事率)は100%です。

でも、ふと、怖くなります。
ほんとに、学校というハコがいらなくなってしまう、と。
知識の伝達者ではなく、学習法の提案者(ファシリテータ)になっていくしか、生き延びる道はなさそうです。
それもAIのキュレーター精度が高まるまでの命かもしれませんが。

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