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働くを考える話⑤長野移住編

もうそろそろ飽きてきた人もいるかもしれませんが、もうこれで最後。


レタスの虜


相方が長野に旅立って半年。仕事も落ち着いた頃、私も長野に引っ越すことに決めた。

色々と将来やりたい形が見えてきたこと、お互いの目標が少しずつ合わさってきたこと。今までは各々、それぞれの場所で学んできたけれど、本格的にお店のことを考え始め、同じ景色を共有することになった。

それに、もう東京で頑張り続けることは、金銭的にも精神的にも限界がきていたと思う。


長野に初めて遊びに行った日。

レタスが美味しすぎて死ぬほど感動した。今まで食べてた葉っぱ、なんやった?

朝採れレタスの瑞々しさよ。

これが食べられるなら一生ここに住む!!!!


引っ越しどんだけするのよ


長野は佐久市(軽井沢まで車で15分ほど)に引っ越した(引っ越し6回目)

まず景色の美しさにハッとする。

朝焼けの浅間山、その優々とした姿を見たときは立ち尽くした。

思わず手を伸ばしたくなるほどカラッと広がる青空も、山の間から見える町の景色も、畑を吹き抜ける風も全部全部、大好きな場所になった。

野菜や果物も生き生きとしていて、近くのスーパー(長野といえばツルヤ)に行くだけでも最高に楽しい。

酒蔵やワイナリーも近くに沢山あって、豊かな食にわくわくが止まらない。

そして自然の中に居ることが、こんなに落ち着くということ。少し忘れかけていた。


山を眺めながら、ぼんやりと今までのことを考えた。

東京での生活は夢だったのか?と思うほど、一瞬で、でも濃密で。

友達に『1年で人の5倍は生きてる』と言われたことがある。多動的で衝動性の高い私だからそう見えるのだと思うけれど、

自分でも、何をそんなに生き急いでいたのかと思うほど動き回っていた。

でも、その分色々な人に出会い、その一つ一つが今の自分を作っていると思うと、愛おしいような、何にも変えられない時間だったかもしれない。

いつか、この点が繋がって、自分なりに答えが出る時、

ありがとうを伝えたい人が沢山沢山居る。

恥ずかしい失敗も、悔しいことも沢山ある。

強さだけでも優しさだけでも生きられないし、痛みや苦しさを感じていた自分もちゃんと愛せるようになるといい。

それから、他者にもそうありたいと思う。やっぱり人が好きだし、一人では生きられない。

そんなことを考えながら、本当に久しぶりに深呼吸できた気がした。


税金こんなに高かったんやな


長野の景色に感動したのも束の間、働かない訳にはいかないので仕事を探す。PTの仕事もあったが、せっかくなので(?)やったことのない仕事をしてみようと思った。

その中で見つけたのが本屋さん。

時給840円と最安値だったけど、昔からの書店員への憧れで応募。この歳になって、アルバイトなんて想像もしなかった。

パートさんや、年下のバイトの子たちと話すのも、何だか新鮮だし、大好きな本に囲まれて働けるのは嬉しかった。

レジでは、どんなお客さんがどんな本を買っていくのか、ひたすら観察。どんなお財布使ってるかも(気持ち悪い店員)

自分も気になっていた本を買っていく人を見ると、心の中で共感しまくりめちゃくちゃ頷いた。心なしか丁寧にブックカバーをつける。(みんなにそうして)

普段手に取らないような本を見るのも楽しくて、店内の色んな棚を見て回った。(世界って広いわ〜)



ところが、ここでもまた詰めの甘さを発揮。

住民税、国民年金、国民健康保険…  

PT時代の収入に対して課される額と、今の収入で支払える額とのギャップが凄かった。本屋さんでのバイト代は、ほとんどこちらの支払いへと回すことになり、またまた手元に残るのは、限られたお小遣い。全然知らなかったお金のこと。

相方も、焙煎見習いの身なのでお給料は多くはない。2人の収入を合わせても、今まで働いていた時の一人分にも届かなかった。

それなのに不思議と、生活に困っていた気がしない。

小麦粉を水で薄めたチヂミ(のようなもの)を毎日食べる週もあったが、味変を楽しめるようタレの開発に励んだ。

今日のチヂミ、めっちゃうま〜!!って盛り上がれるアホな二人で良かった。

きっと芸人さんの下積み時代ってこんな感じやろなぁ〜など、どこを目指しているのか分からない会話もよくしていた。

冬本番になると水道管が凍結してお湯が出なくなる日もあったが、それも長野らしい思い出。(アパート古いだけ)

近所の直売所では採れたての立派な野菜や果物が並んで(しかも安い)料理が楽しくて仕方なかった。

季節のジャムを作り、野菜たっぷりのスープを作り、挽きたてのコーヒー豆の香りと焼きたてのパンと。

小さなポルタの始まり。

お店の計画もあれこれ練って、軸となる部分ができた。

お金はなかったけど、一番充実していた時間だった気がする。


いよいよ福井に帰る

このまま永住してもいいと思える程、肌に合うというのか、長野での生活は心地よかった。

緑や山の景色が大好きな母も、遊びに来ては良い所だと言っていた。

『お母さん、歳取ったら安曇野に住みたいわ、“あずみの”ってなんか良いわ〜』と話す姿は、何だか笑ってしまう。

なんか良い、のは何となく分かる。

これだけ晴れ間の多い所なら、ゴルフ好きの父もきっと喜ぶことだろう。


そんな時、相方に異変が起きた。

手が痺れて動かない。腫れて、関節は硬く強張り、動かすと痛いらしい。病院で検査を受けるが原因が分からない。採血で毎度10本以上も血を抜かれている姿は見ているだけで不安になる。

おそらく、仕事の重労働が原因だった。海外から届いた何十キロもある生豆の麻袋を、毎日毎日運び、焙煎前の豆の選別の為、大きなザルでひたすらコーヒー豆を掬う作業など。結局、腰への負担と、手の腱鞘炎が重症化したのでは、ということだった。

大きな焙煎所を構えるコーヒー屋さんの、裏側の大変な部分。

店の表ではキリッと美しく、丁寧にコーヒーを淹れるバリスタの方々と、静かにコーヒーを楽しむ人たち。

綺麗に拭かれた窓からは優しい光が差して、開放感のある店内はいい空気が流れている。

そんな光景からは、裏側の大変さなど微塵も想像がつかなかった。

出された目の前の一杯が全てである。



この人もまた、頑張りすぎてしまうタイプか…と思った。やると決めたら、とことん頑張る。変態的に、納得がいくまで学ぶ。コツコツ努力できる人。

身体に異変を感じていても、目の前のことが大切で必死だったのだろう。

それからは休職することにもなり、手の動かない相方と書店のバイトだけの微々たる収入という最弱コンビでの生活がしばらく続いた。


話し合いの末、福井に帰ることになる。20代のうちにお店を出すには、もうそろそろ動いても良いだろう。(貯金ゼロだけどな)


2019年秋、数年ぶりに福井での生活が始まる。


ただいま故郷よ

福井に帰ってきてからは、このnoteでも書いてきた通り、開業準備を進めながら、それぞれ働いていた。

革製品のネットショップを立ち上げて細々と製作、販売。

その合間に、税務署で事務のバイトもしてみた。(意外にも一日中デスクワークで淡々と事務仕事をするのが苦ではないことにも気づいて驚いた)

そして、もう戻ることはないだろうと思っていたPTの仕事も少し。

週3日非常勤で、介護施設のリハビリスタッフとして働いた。

そうこうしているうちに、お店の事業計画がついにそれらしくなってきて、いよいよ開業することになる。少しばかりの開業資金も貯った。


思えば、数え切れない程の人たちにお世話になってきた。転職しすぎたが故に、同期と呼ばれる仲間もそこらじゅうに居る。働く期間が短いにも関わらず今でも連絡を取り合えるのは本当にありがたくて、この落ち着きのない私を笑って受け止めてくれたり、元気にしてる?と連絡をくれることに胸が熱くなる。

本当に色んな働き方と、生き方を試していた数年間。結局のところ、働くとは何なのか、よく分からない。

今もまだ試している途中だし、この先も忙しなく生きていくのかもしれない。

それでも経験してきたことに嘘はなく、全て自分の生きた言葉。

誰かの為になれるほど、立派な人間ではないけれど、今自分にできることを精一杯やること。

何か動き出そうとしている人が居たら、大手を振って応援したい。

相方も、きっとそんな気持ち。

私たちの作るお店の根本は、そんなところにあると思う。




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