働くを考える話③東京奔走編
まさかの出会い
年末に地元に帰省し、年が明けてからまた東京での生活が始まっていた。
帰省中、たまたま小学校の同窓会があり、意外と近くに地元の同級生たちが居たことを知った。東京戻ったらまた飲みに行こ〜!と社交辞令的なノリで別れた。
ところが本当に、飲みに行くことになった。地元が一緒とはいえ、特別仲が良い訳でもなく、ほとんど初めてご飯を食べるような幼馴染2人と小さな居酒屋で待ち合わせする事になる。
そのうちの一人がコーヒー店長。
異色な組み合わせで、盛り上がるのだろうかと疑問を抱きながら、さくっと飲んで早めに帰ろうと思っていた。
ところが、
時間を忘れる程楽しかった。
終電ギリギリまで、あーだこーだと喋り続けた。
小学生に戻ったかのような、バカなやり取りも懐かしかったのだけれど
3人の共通点は、仕事に対する熱量だと思った。あとは全員乙女座。
働くこと、学ぶことが好きな人達だと思う。
社会人になってから、同世代の人と話をしていて、仕事の話で心から共感する事がほとんどなかった。
なんとなく『そうだよね』『分かる』と言いつつも、違うと感じる事を口に出せずにいたし、その違和感が何なのか自分でも分からなかった。
熱い事を語り出したら引かれるかもと思っていた。どうせ分かってもらえないだろうと最初から諦めて本音を語る事をしなかった。
やりたいことや、思い描いてることは口に出した方がいいと聞いたことがあるけれど、否定されることへの怖さや、少しの恥ずかしさが邪魔をして、全部をさらけ出す勇気がなかった。
それでも、なぜかその時は嘘偽りなく自分のやってみたいことや想いを堂々と言葉にできた。
受け止めてくれる空気感と、同じように何かに向かって頑張っている姿や言葉が、心地良かった気がする。
帰りの電車のホームまで、二人が見送ってくれた。
また話したいし、もっと聞きたい。
そう思いながら、ほろ酔いで電車に揺られる。
とても嬉しかった。
頑張りたい自分と頑張れない自分
春。 新しい職場での仕事が始まった。
仕事柄、スーツを着る機会などほとんどないのだが、入社式前に思い切って新調した。2回目の転職。
ちらちらと桜も舞う中、新しいスーツに身を包み、背筋を伸ばして颯爽と歩く。これで良かったのだと思う反面、大きな組織の中に入っていく事への不安はあった。
また息苦しくなるかもしれない…と、得意のマイナス思考が発動する。職や住む場所を転々としていることも正しいのか分からなかった。あんなに面接で生き生きと喋って勢いよく転職した自分はどこへ消えたのか。不思議でたまらない。
奮い立たせて入社式に向かう。新卒の子もちらほらと居る中に交じってオリエンテーションを受ける。そして各部署への挨拶まわり。
もうこの地点で薄々気づいていた。
これ、、あかんやつや。
そして、始まってみたら
案の定めちゃくちゃしんどかった。
学びたいと思う気持ちは空回りし、やはり馴染む事が出来ない。
自分はこんなにも人間関係が苦手だったのか?考えが甘すぎるのか?自問自答の日々だったが、考えても考えても答えは出ない。
しかもだ、後から知ったが、新品のスーツの袖にタグがつけっぱなしで挨拶に挑んでいた。
誰か、それ取るんやでって言ってくれや~と叫びたい。
絶対に、新人の挨拶の間も皆、袖のタグに注目していたに違いない。なんなら、通勤電車の中でも思われていたのか!?恥ずかし過ぎて穴という穴から汗が出る。
負のループはまだまだ止まらない。
派閥のようなものが存在する空気感も、疑問だった。この違和感に馴染んでいくことが正解なのか?伝統や風習が深く根付いて、その枠の中で評価され分類されていくことが、本当に息苦しく感じた。
暗黙のルールみたいなものが面倒だし、群れる事を避けてきた。
飲み会のセッティング、席順、メニュー、○○さんと○○さんは違うテーブルに、○○さんは主任の隣に... この人は敵にまわさない方がいい…など
心の底から白目を剥いていた。
それでも、毎日の仕事は学びの連続で、こども達の持つ潜在能力というのか、日々変わりゆく心と身体の変化を目の当たりにしながら
自分もそれに対応していかなくてはと必死だった。やればやるほど、自分の無知に気づく。
PTの仕事は、経験を重ねるごとに磨かれた感度や引き出しの多さが、ダイレクトに患者さんの予後に影響する、職人気質な職業だと思っていた。
休みの日も研修や勉強会に参加していたし、それが当たり前だった。疲れて帰って家では何もできなかった。
障害の特性を理解して、その子の人生を考える。障害だけでなく、家族の価値観や自宅の環境、学校での過ごし方、、考えだしたらキリがなかった。
大人でさえ辛いと思うリハビリを、どう子供達に楽しんでもらえばいいのか...
まだ生まれて数か月の赤ちゃんも居た。
ご家族もみんな必死なのである。
1年目、退職するときに言われた言葉が頭をよぎる
“お前みたいな中途半端なやつに何が出来るんや” 悔しいがその通りである。
入社した日に感じた違和感は消えることなく続いていたが、それもこれも自分の思い込みから始まっていることである。
言い訳ばかりして、本当にやらなくてはいけないことから目を背けてきたのかもしれない。
上司に、思っていることをぶちまけて号泣した日があった。
『なに、めちゃくちゃクソ真面目じゃん!』と笑い飛ばされたが、
確かに、くそ真面目だと思う。頭がすこぶる固い。
なかなか自分のことを認められない。いや、人に認められなくてはと必死だったのかもしれない。
そのくせ面倒な風習には一切馴染みたくないと壁を作った。
もっと、柔軟に、うまくやれる方法もいくらでもあったと思う。
自信のなさから、固くて厚い壁を建てて、自分を守ろうとしていた。
山奥にでも籠って、誰とも話さず創作活動に明け暮れたいと願った日が何度もあった。
可愛い靴が履けない
季節は変わり、夏。
自分より少し歳下の女の子を担当することになった。
進行性の病気を持つ彼女は、足の変形が進み装具を付けて歩いていた。
足の装具、イメージがつかない人も多いかもしれない。
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人それぞれ色んな悩みを抱えたり、人生の転機を迎えたり、私みたいに自分自身で作った壁の中で取り残されていたり、
色んな事があると思うけれど、悩みの大きさも本当に人それぞれで
当たり前だけど全員モノサシが違う。
自分にとっては小さなことでも、人は何倍もの大きさで抱えている時がある。
『可愛い靴が履きたい』そうこぼす彼女の言葉は、家に帰っても何度も思い出して考えた。
足の手術のために入院してきた彼女は、術後も装具を履いて歩くことになっていた。
両足に残る痛々しい傷はなかなか消えるものではなく、
真夏にサンダルを履きたいという小さな願いも流れて行ってしまう。
それを隠すかのように、しっかりした作りの装具はなおさら重々しく感じられた。
靴の事、歩くということについては、興味があった。装具のことをもっと勉強したいと思ったことがきっかけで、新しい職場も選んでいた。
その出会いをきっかけに、そのことに集中しようと思い始める。
何でもかんでもうまくいくはずがない。とりあえず、一つ一つ勉強して積み上げていこう。
靴教室との出会い
医療用の靴を勉強していたのだが、
そもそも、靴ってどうやって作ってる?と、ふと疑問が湧いて調べてみることにした。
すると、靴教室なるものがあることを知る。
自分の手で靴が作れるという驚きと、もともと物作りが好きなこともあり興味が湧いた。
休みの日、たまたま気になっていた靴工房の近くを通りかかったので、覗いてみることにした。アポも何も取らずに顔を出したのだが、とても丁寧に対応して頂いて感謝が止まらなかった。
その工房の靴職人さんが主催する教室が近くにあるというので案内してもらった。
少し古いビルの中にあるその場所は、扉を開けた瞬間から何とも言えない空気感だった。
黙々と、淡々と、みんな物作りに向き合って思い思いの靴を作っていた。感じたことのない空気感に一瞬ひるんだし、本格的な革靴を作っているところに素足にサンダルに麦わら帽子というラフさで乗り込んだ自分が恥ずかしかったが、
案内してくれた女性があまりにも丁寧で素敵な人だったので、胸がときめいた。
教室では、しっかりカリキュラムが組まれていて、自分のペースで通えばいいそう。行けば丸一日みっちり学ぶ。趣味で月数回受講する人もいれば、プロを目指して週5回通う人もいるという、大人の学校だった。
靴のことも何も知らなかったし、そもそも、革靴を持っていなかった。革に触れることもなかったし、有名な靴のブランドもほとんど知らない。
でも何故か、すごくワクワクした。
受講費のこともあったので、一旦持ち帰ることにしたが、久しぶりに胸が高鳴るのを感じて嬉しかった。
新しく何か始めるドキドキ感と、きっと勉強すれば自分の仕事にも繋がっていくだろうという期待で、もうすでに楽しい。
そこからは、平日はいつも通り働き、土日は学校に通うという日々が始まった。
“働く”価値観の変化
靴作りは、想像を遥かに超えていた。細やかで繊細な工程と、熟練された技術で作り上げられるその靴の美しいこと。
これも後から知るが、先生は靴業界ではかなり有名な人だった。
ビスポークシューズが、数十万円する一生ものの靴だということも、この時に知る。ここまで何も知らずに受講するのも失礼な話だと思うが、それくらい勢いだけで入ってしまった。
教室では様々な人との出会いがあった。
学校の先生、アパレル業界の人、大手銀行マン、義士装具士、車業界の人、デザイン業界の人、同い年の女の子、海外から学びに来た人、プロを目指して通う学生さん、プロを目指して通うおじさん・・・
改めて、自分が普段見ている世間の狭さを実感する。
仕事も、働き方も多種多様で、性別も年齢も違う人たちが、一つの場所に集まって黙々と物を作っている光景は、なんだか不思議で面白かった。
そして、一つ一つの工程に集中して取り組んでいる時の時間の流れ方に驚いた。
今までこんなに何かに集中したことがあっただろうか。
何かに没頭して時間を忘れてしまう経験はあっただろうか。
自分は集中力がないと思っていたが、何も考えずに、ただ目の前の物に必死になれた事に、気持ちが高揚した。
こういうことを仕事にできるのだろうか…
自分は仕事を作るということが出来るのだろうか…
当たり前のように、週5日働いて、お給料を貰って、好きなものを買って、
これから先もそんな風に進んでいくのだとばかり思っていた。
いい会社で働く事、沢山お給料を貰うこと。何に価値を感じるのだろう。
年齢的に、結婚・出産とライフスタイルが変化していく時期も重なって、地元の友達との間に少し距離を感じることも多くなった。
自分はどう生きていくのか、改めて考えていた。
そうこうしている間に、一足目の靴が完成。
ミシンで縫った部分は所々ガタガタで、初めて使う革包丁では何度も手を切った。左右の踵の大きさも少し偏ってしまって、手縫いで吊り込む靴底も、大変で大変で途中で辞めたくなった。
とても普段履けるようなものではなかったけれど、それでも一から自分で作った靴に足を入れる瞬間は、感動してしまった。
何より、当初の目的だった靴の構造が分かった。
そのあとは、理学療法士・義士装具士・靴職人の間を行ったり来たりしながら、靴のことを考えていた。インソールのセミナーを受講したりもした。
相変わらず、気の向くままに、忙しなく。
田舎娘、東京の街を縦横無尽に動いていた。
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