PhantasMaiden 2話

オオカミ少年との戦闘を終えたジャンヌとエミリアは、荒野を跨いで次なる領域へと進んでいた。だが、その足取りは決して軽やかとは言えるものではなく、2人の間には先の戦闘によるものか、なんとも言い難い沈黙が続いていた。
 そんな沈黙を破ろうとするかのようにエミリアが口を開く。
「そういえば、領域について話していませんでしたね」
「領域、ですか?」
「ええ、この世界にはこの荒野以外に様相の異なる7つの場所が存在します。領域、という名は私が便宜上そう呼んでいるだけですが……」
 思案する素振りを見せながら、エミリアは続ける。
「思うにこの7つの領域は、我々7人の参加者それぞれに対応しているのではないかと思うのです。先の少年はあの場所と強い結びつきがあったように見受けられましたし、貴女と出会う前に、私も自らの領域と思しき場所に辿り着いたことがあるのです。そしてその場所は……私の生前過ごしていた環境と、酷似したものでした」
「と、すると……私の領域も存在するということですか?」
「恐らくは、そして残りの4人にも同様に。故に他の参加者に出会うのであれば、領域に足を踏み入れるのが得策と私は考えています。……丁度、着いたようですね」
 そう言うとエミリアは立ち止まる。その目の前には、まるで丸ごと切り取られたかのような鬱蒼とした森が広がっていた。

「……妙ですね」
 視界を塞ぐ木々を避けるように歩きながら、ジャンヌが口を開く。
「どうかしましたか?」
「こんなにも木々が生い茂っているのに葉の揺れる音ひとつ……それどころか、入ってから一度も何の音も聞こえません」
 その言葉を受け、エミリアもまた合点がいったかのように自らの違和感を口に出す。
「たしかに。それに、音どころか風の一つすら感じません。こんなにも自然が多いというのに……妙ですね」
「領域の中ではやはり、自然現象も普通と違うのでしょうか……」
「あるいは」
 2人が警戒心を強めながら歩いていると、ふとジャンヌが足を止めた。
「どうかしましたか?」
「何か……聞こえる気がするのです。これは……ピアノの音?」
 それを聞いたエミリアが耳を立てると、たしかにどこからか、ピアノの旋律が聞こえてくる。
「ピアノということは人為的なものかもしれませんね、聞こえる方向に行ってみましょう」
 エミリアの言葉にジャンヌも頷き、2人は警戒しつつも音の聞こえる方向に向かう。

 2人がピアノの音を頼りに10分ほど歩くと、開けた場所に出た。そこは周りの森と違い、日光が直接地面に当たり、小さな泉のそばに木製の小屋が建っている。そしてその中央には場に似つかわしくないグランドピアノと、その奏者である義足の少女が佇んでいた。
「……っ」
 義足の少女は2人に気付くと演奏を止め、目を伏せながら立ち上がる。それを見たジャンヌは我先にと口を開く。
「あの、私はジャンヌ・ダルクです。こちらはエミリア・プラテル。貴女は?」
「……ウェーバー。貴方達、何の用なの?」
 恐らく友好的な反応を期待したジャンヌの言葉に返ってきたのは、あまりにも素っ気ない返事だった。その反応に面食らったジャンヌの代わりに、エミリアが前に出て続ける。
「貴女と話をしに来たのです。この世界のこと、アリスの言うゲームとやらのこと、他の参加者のこと……我々は知らないことが――」
「興味ないわね」
 が、その発言も虚しく一刀両断されてしまう。
「……用が済んだら帰ってくれるかしら、貴方達の音で狂いそうなの」
 恐らくは先ほどの演奏が邪魔されたからであろう、イラつきに敵意を込めながらウェーバーは続ける。
「私はここに居ることが出来ればいい。貴方達が何についてどう思おうがどうでもいい。私には何も関係ない」
「待ってください! せめてほんの数分でも、お話すればきっと協力し合えるはずです。そうしなければ、私たちは……殺し合わなければ――」
 ジャンヌが言い切るが早いか、銃声と共にその頬を銃弾のようなものが掠めていった。
「言ったでしょう? 私はここで、ピアノを弾ければそれでいい。その邪魔をするのであれば……次は外さない」
いつの間に手に取ったのか、その手には華奢な身体に似つかわしくない銃が握られていた。そしてエミリア、ジャンヌ両名をしても撃ったことすら気付かせない程の速射は、ウェーバーの射撃の実力を想起させるには十分だった。
「ジャンヌ!」
 それを見るやエミリアはすぐさま剣を構え、ジャンヌを守るように前に出る。場の雰囲気は完全に一触即発そのものだった。
「エミリア! 駄目です、この人は……」
「いいえ、ジャンヌ。彼女は貴女に対して銃を向けた。それだけで剣を向けるには十分です。それに……仮にこの場を円満に凌いだとしても、彼女の口ぶりからして決裂するのは時間の問題でしょう」
 ジャンヌの制止も虚しく、エミリアは構えたままウェーバーに向かって走り出す。
「ならば今ここで……斬るッ!」
 そしてその刃がウェーバーの喉元に届かんとしたその瞬間――
「……オベロン」
 ウェーバーがそう呟くと同時に、全身を鎧に包み、レイピアのようなものを携えた巨人が出現し、エミリアの剣を弾き返す。
「な――ッ」
 急な一撃にエミリアはバランスを崩しかけるも、なんとか持ち堪えて巨人――オベロンと距離を取る。
「……銃使いだけであれば容易いかと思いましたが、なるほど一筋縄ではいきませんか」
 その一言に応えるかのように、オベロンがエミリア達との間合いを急速に詰めてゆき、巨大なレイピアで何度も突きを放つ。
「……ッ、これはなかなか……ジャンヌ! 私の後ろから離れないでください!」
「は、はい!」
 その巨体とスピードもあってか、エミリア達はオベロンに押されるようにして、開けた空間からまた鬱蒼とした森へと戻されてゆく。それと同時に、ウェーバーの姿も見失ってしまった。
「ふッ……!」
 オベロンの突きを捌きつつ、その独特の動きに徐々に身体を慣れさせてゆくエミリア。繰り出される突きに対して反応を最適化させ、最小の動きでいなしつつ反撃の機会を伺う。そしてオベロンの鎧の隙間に向かって反撃を行おうとしたその瞬間――エミリアの視界のどこかで何かが光った。
「ジャンヌ!」
 瞬間、エミリアは踏み込もうとした足を僅かに横へずらし、ジャンヌと自分の身を守るように剣を前に構えた。それと同時に甲高い金属音が鳴り、エミリアの剣から身体に凄まじい衝撃が伝わる。それと同時に、エミリアは大きくバランスを崩してしまう。
「あ、ぐぅッ……」
「――!」
 その隙を突いてオベロンが突きの体勢に入る。が、今度はそれを前に出たジャンヌが籠手を使って受け流す。その隙にエミリアは体勢を立て直し、再び膠着状態になった。
「……ありがとうございます、ジャンヌ」
「いえ……」
 笑顔を作って礼を言うエミリア、しかし笑顔と裏腹に、状況は芳しくなかった。
「……先の銃弾、どこから撃たれたかすら見えませんでした……このままでは消耗する一方でしょう」
 一筋の汗を流しながら周囲を警戒しつつ、ジャンヌは続ける。
「私の炎が使えれば良いのですが……」
 まだ発現して間もないせいか、ジャンヌは自らの炎を制御しきれていない。故に、このような森の中で無暗に使えばどうなるかは文字通り、火を見るよりも明らかだった。
「気に病むことはありません。であれば私の剣で――」
 言うが早いかエミリアは姿勢を深く落とし、向かってくるオベロンの懐に潜り込む、そして――
「斬るのみ!」
 オベロンがそれに反応するよりも早く、鎧の隙間目掛けて剣を斬り上げた――が。
「!」
 手応えは無く、振り上げた剣は虚空を割くかのようにオベロンの身体を通過するのみだった。
 続くオベロンの反撃を滑るようにして躱し、構え直そうとした次の瞬間。
「――ッ!」
 甲高い金属音と共にエミリアの体勢が大きく仰け反り、尻餅をついてしまう。それと同時に、右肩の激痛によって剣を手放してしまう。
「肩が、外れ――」
 そしてその隙を狙ってオベロンが突きの体勢に入る。そして放たれた突きは――
「ふッ――!」
 咄嗟に剣を拾ったジャンヌによって防がれ、エミリアまで達することは無かった。
「私も剣の腕には覚えがありますので……貴女ほどではありませんが」
 そう言いながらオベロンに向かって剣を構えるジャンヌを見て、エミリアの顔に自然と笑みが浮かび上がる。
「そう――ですね、貴女は紛れもない、あのジャンヌ・ダルクでした。万物を救い、守護する聖女……私としたことが、貴女を守らねばという一心で失念していました」
 そう呟きながら、外れた肩を無理やり元に戻す。激痛に顔をしかめるも、すぐさま新たな剣を創り出し、ジャンヌの隣に立つ。
「サポートは頼みます、ジャンヌ」
「えぇ、勿論です」
 攻勢にジャンヌも加わり、連携を取りつつオベロンの攻撃を躱しながら反撃を試みる。だが手数が増えたところで有効打が決まらない状況は変わらず、オベロンの攻勢といつ放たれるかわからない射撃――それらに常時対応しなければならないが故に、2人は身も精神も疲弊していく一方だった。
 その間にも一発、二発と銃弾が放たれてゆく。幸い急所に直撃することは無かったが、鎧越しにも伝わる強大な衝撃は、着実に2人の体力を削っていった。
「――ッ、ジャンヌ、まだ、いけますか……?」
「なん、とか……」
 気が付けば、2人は剣を構えるのもやっとなほどに疲弊していた。オベロン相手に有効打を決められず、ウェーバーの位置を特定するために動けば構えを解くことになるため、下手に動くこともできない。消耗する一方だった。
 その状況の中でふと、エミリアがふと口を開く。
「聞いてください、ジャンヌ。今まで銃撃が来るときには必ず視界のどこかが光っていました……故に恐らく、ウェーバーは常に我々の視界内に存在しています」
 オベロンの猛攻を辛うじて捌きながらエミリアは続ける。
「そしてそれは必ず……オベロンとやらの背後です。何故かはわかりませんが、彼女はあまりにも前衛と後衛の概念に縛られすぎている……」
 そうだとしても、あまりにも範囲が広すぎる。それに、辿り着くまでに撃たれる可能性とオベロンからの妨害を考えなければならない。いくら範囲がわかったところで、直接叩くにはあまりにも非現実的すぎる……そんなジャンヌの懸念を見据えたかのように、口角をあげてエミリアは続ける。
「……なのでジャンヌ、私がオベロンを抑えている間に……目に見える範囲を全て燃やしてください」
「――は」
「大丈夫です、貴女にはそれができる力がある。それにもし炎を制御しきれなくても、貴女と私なら大丈夫です。そうでしょう?」
「……」
 それは一種の賭けだった。だが、この膠着状態を抜け出さなければ、いずれは消耗して力尽きる……端から選択肢は用意されていなかった。
「……わかりました」
 ジャンヌが意識を集中させ、両手から炎を生み出す。そしてそれを食い止めんとするオベロンをエミリアが力を振り絞って抑えつける。そして次の瞬間――
「――!」
――炎が、爆ぜた。
 正確には、炎が爆発的な速度で放射状に広がっていった。それは辺りの木々を飲み込み、直線状に遮蔽物を焼き尽くし――
「――ッ!」
 ウェーバーの姿を露わにした。

 炎が爆ぜたその瞬間、私はその眩しさに思わず顔を背けた。次の瞬間、辺り一面の草木は燃え、私を隠すものは一切無くなってしまう。
 それを確認するが早いか、片方がオベロンを抑えつける間にもう片方がこちらに向かってくる。私を仕留めるならば、この瞬間しかないと悟ったのであろう。だが――甘い。
 向かってくる少女の頭に照準を合わせ――引き金を引く。極限状況で判断が鈍ったか、銃を持つ相手に馬鹿正直に突っ込んでくるとは、思慮が足りないと言わざるを得ない。
「――え」
 だが、放たれた6発目の銃弾は少女の額に当たらず、頬を掠めるだけに終わった。何故――? 考えるまでもなく、原因は目の前にあった――そうか、陽炎による屈折現象か。
 幸い、少女との間にはまだ十分な距離がある。私は愛銃――カスパールに込められた銃弾の重さを感じながら、陽炎を考慮しつつ改めて少女の額に照準を合わせる。
 後は引き金を引くだけ――その瞬間、妙なざわめきを感じた。
「――?」
 何か、何かを忘れている気がする。だとしてもなぜ今? こんな感覚はここに来て初めてのことだった。心が騒めき立ち、平静が徐々に崩れていく。唯一幸いなのは、それが銃を構える手には伝わっていないことだった。
 これ以上、何も考えず撃った方がいい。ざわめく心を抑え、早急に、しかし決して焦らず引き金に指をかけ、そして全てを振り払うかのように――引く。
 その瞬間、決して音が鳴らないはずのこの世界に、私の邪魔をするものが何もないはずのこの世界に――風が、吹いた気がした。
 放たれた銃弾がスローモーションで見える。放たれた銃弾は確実に少女の額に向かい――その途中で、横向きに吹いた風の影響で僅かに弾道が逸れる。そして弾は少女を通り抜け、オベロンの甲冑に当たる。オベロンが姿勢を大きく崩すと同時に、跳弾はその傍の木の幹にさらに跳ね返って、なのに全く勢いを弱めず、こちらに向かい――
 ――私の喉元を、あっさりと貫いた。
「(――あ)」
 スローモーションはまだ続く。地面に倒れゆくまでの間、私はふと、あることを思い出していた。それは今まで思い出せなかったのが信じられないぐらいの、私の――あぁ、なんで思い出せなかったのかしら……私の作った……7つ目の――
「(まったく……よりにもよってアレを忘れるだなんて……ホント、作曲者、失格ね……)」
 そして地面に倒れると同時に、私の意識は途切れた。

 それは一瞬の出来事だった。ウェーバーの放った7番目の銃弾、それは完全にジャンヌの額を捕らえていたものの、何故か跳弾によってウェーバーの喉元を貫いていた。
 ウェーバーが倒れた瞬間、拠り所を失ったかのようにオベロンが消失する。戦況を見れば明らかにジャンヌとエミリアの勝利だったが、2人の心中をより多く占めていたのは勝利の喜びよりも、状況への困惑と重なりすぎた幸運への気味悪さだった。
「……どうですか?」
「駄目です、意識を失っていますし、この出血ではもう……もたないでしょう」
 2人はすぐさま倒れたウェーバーに駆け寄って調べるも、目に見える状況以上の情報を得ることはできなかった。もう長くないことがわかると、ジャンヌは困惑しながらも胸の前で十字を切り、祈りを捧げるかのような素振りを見せる。それを見届けてから、エミリアは立ち上がって口を開く。
「……さて、そろそろこの場を離れるとしましょう。本来ならば戦った者同士、弔の一つもしたいところですが、そうも言ってはいられないようです」
 2人の周囲はジャンヌの炎によって草木が燃え盛っており、辺り一面が火の海になるのももはや時間の問題といったところだった。後ろ髪を引かれつつも、ジャンヌは立ち上がり、エミリアに続く。
 こうしてジャンヌとエミリアの両名は、燃え盛るウェーバーの領域を後にしたのだった――。