美しすぎるヴァイオリニスト(哀愁の北欧特急SAAB 900turbo)
俺は今、スウェーデンのサーブに美しいヴァイオリニストを乗せている。腕には純白エナメル文字盤のジャケ・ドローをまとい。
彼女はN響のヴァイオリニストだ。米国大学院留学の友人が趣味でヴァイオリンをたしなんでおり、その練習会メンバーである彼女が演奏するコンサートに都合のつかないその友人の代わりに行ったのが出会いだ。コンサート終わりに彼女と食事をした。かなりの美人でテレビ映えもするからであろうか、若手ながら指揮者に近い位置に座っていた。空調の風がきつくて楽譜が揺れて演奏し辛かったことや、交響楽団はかなり年功序列で年配者が退団しないので、若手の入団は少ないなどと会話を楽しみ、もちろん、後日のドライブにつなげた。
今回のマシーンは、SAAB初代900ターボ。 サーブは、元々スウェーデンの旅客機、戦闘機などの軍需品メーカーの自動車部門として設立され、一時期GM傘下を経るなどして、今では実質消滅してしまったブランドだ。日本での販売実績はあるが知名度は低いかもしれない。ちなみに本邦最初のサーブオーナーはテリー伊藤らしい。
サーブを選んだ源流が、70年代の幼少期に永田町の西武自動車販売で父が試乗した99ターボでの人生初のターボ車の原体験だ。
世界初の量産車ターボチャージャー搭載として当時、注目の的であった。
重厚な見た目の通りに、ドアの開け閉めでも感じるほどに車重もあり、ゆったりとした初速は、普通の乗用車だなと思わせるのだが、ターボが利く領域に回転が上がるやいなや唐突に怒涛の加速トルクを見せる。いわゆるドッかんターボであり、その感覚が幼少期の脳裏に焼き付くほどであった。
文字通りに四角いデザインの乗用車が主流な時代、不格好な、良く言えば個性的なサーブの代名詞と呼べるスタイルもまた印象を強めた。まるでジャンボ機のコックピットのようにラウンドして垂直に立ったフロントガラスが一見、空気抵抗悪そうに思えるのだが、航空機メーカーらしい空力技術で、むしろスポーツカー並みの異例の空気抵抗係数Cd値の低さを喧伝していた。セダンとハッチバックの中間の尻下がりの後部も個性的だ。
幼少期からずっと頭の片隅で気にかけていたのだが、ついに俺の車歴に加えたのが、その99直系のフェイスリフト車種となる初代900ターボである。後部はポルシェのダックテールのようなウィングを備えており、羊のお尻の様な愛らしさもある。乗り心地はサルーンらしいフラットでありながら、ドッカンターボは健在だ。
ちなみに同じ900シリーズでも、90年代半ば以降の2代目と言われるモデルになると、買収されてGM傘下となってオペルと足回り部品を共有しており、ボディラインがクラシカルな個性が薄れてモダンなものへ移行した。
故に、哀愁あふれる初代900にこそサーブらしさを見出すのである。あえて風流さ、古風を求めてシトロエンCXを選ぶに近しい嗜好だろうか。
さて、美人ヴァイオリニスト、クラシカルなデザインのサーブに合わせたウオッチは何を選ぶか。
ジャケ・ドロー(JAQUET DROZ)のグランセコンドにした。 エネメル文字盤とブルースチール針がクラシカルであり、何より雪だるまのような特徴的なオフセンターデザインのダイアルが、サーブ900のボディラインにもなぞらえられるではないか。
1738年創業で、スイスジュネーブに時計史上最初に時計工房を構えたとされており、現在はスウオッチグループの参加にある。創業者は音楽を搭載した懐中時計をヨーロッパや中国の宮廷を巡ったらしい。
サーブがGMグループになったように、ジャケ・ドローもまた巨大資本のスウォッチグループに取り込まれた。
土曜日の夜、コンサート終わりの渋谷文化村オーチャードホールの楽屋口にワインレッドのサーブで彼女を迎えた。黒いワンピースを身にまとった彼女を助手席に案内し、大切にするヴァイオリンは後部座席にシートベルトでしっかり固定した。
「素敵な車ね。」
スウェーデン車であることを皮切りスウェーデンの作曲家の話題になった。
全米シングル1位獲得曲数で、ビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーがトップ2に君臨するが、歴代3位はなんとスウェーデン人で、マックス・マーティンだ。実はスウェーデンは世界的なヒット曲輸出大国と称さるほどで、アメリカンヒットチャートは言わずもがな、なんと日本でも嵐などジャニーズのアイドル、エグザイル系や韓国系グループの多くの楽曲を手掛けていることなどと話していると、北欧スウェーデンのターボ特急は彼女の指定した自宅近郊まで来ていた。
彼女の繊細な指先が、俺のジャケ・ドローのバックルに架かり、言った。
「大切な時計でしょ。傷つくと行けないから外しましょ。」
センターコンソールのスペースに時計を置くと、二人は身体を寄せ合った。
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