ポケベルでミナゴロシ。
「先生!アンタ男の子って言うたやないか!!」幼い姉と父は母に出会い、そしてアタシが生まれた。昭和四十六年、寒空の夜明け前。
父は母の妊娠がわかった時「女の子ならおろせ。」と言ったそう。
母は、このことをアタシがもし知ったらショックを受けると思ったらしく、最近まで黙ってた。
正直さほど驚かなかったのは
母がいつも穏やかで優しくて子供たちのために辛抱強く耐えている強い愛情を心底感じてきたからだと思う。
姉も彼女の愛情をしっかり感じてきたと思う。
姉が可愛くてたまらずに父と結婚したという母は、アタシが生まれてからも子育てを区別するつもりはなかったという。
しかし父方の親戚から、姉を叱れば「継母だから。」姉を叱らなくても「継母だから。」と言われてきたそう。
母と姉の関係性を知らなかった幼いアタシは、姉がなんでそんなにアタシを嫌うのかわからなかったけど、姉に憧れていたアタシはへこたれずにしょっちゅうついて回っていた。
実際姉がアタシをジーっとにらみつけている写真がいくつもある。でも多くの恐怖体験を一緒に乗り越えることで幼い姉妹は次第に絆を深めていった。
2016年。
脳室内出血で倒れたあの日から
いまだずっと病床で天井を見続けている姉。
「ちょっと待ち!こっちからしか開かんのよこのドア」姉が中古で買った真っ赤なゴルフに乗ってアタシを白木原駅前まで迎えに来てくれた。
当時アタシは高校から電車で帰り、駅まで時々免許取り立ての姉がこうやって迎えに来てくれた。運転席から手を伸ばし助手席のドアを中から開ける姉。
「ありがと~、ねーちゃん。アラ、なんねこのドアえらい重いね。」
そう、姉の車は見た目は豪華で真っ赤なかわいい外車やけど、ほんの数万円で買った中古車でドアは内側からしか開かんゴルフ。
修理代もかかるのでいつも内側から開けないかんし、とにかく力いっぱいせな開かん重ったいドアやった。
駅の脇道に停めていた姉の車はいざ発進するも、スタートがとにかく遅い。
信号もない脇道から大通りへと合流する時は助手席のアタシもちょっとドキドキする。
大通りへ勢いよく飛び出したいけど遅れをとりながらこの日も合流。大縄跳びなら間違いなく引っかかるパターンね。
「ブブブブブーーー!!」後ろから激しいクラクション。そして信号停車。「おーい!こらぁ!!開けろ!開けんか!!カギ閉めんなぁ!!」アタシ側のドアの外に、見るからに怖そうなヤンキーおねえさんが怒り狂って立っているではないか。
ヤンキーねえさんが開けようとドアを何度も引っ張っても開かないのでこっちがカギを閉めたと思ってるみたいで「開けんかいこら!!」
ついにボッコンボッコン姉のゴルフのドアを蹴りだした。スケバン刑事のヨーヨーをこの日は持ちあわせてなかったけど、いつもテレビドラマで喧嘩のシーンは瞬きもせず観ていたので、アタシはいよいよ実践する時が来たとその重いドアをグッと押し開け飛び出して勇ましく立ち向かった。
しかしワン、ツゥー、スリー!で見事にノックアクト。キックやグーパンで一瞬にして道路上に見事にひっくり返されたアタシの頭上にもうひとりのヤンキーねえさん登場。
「アタシらに立ち向かおうやら十年早いったい!」と仰向けのアタシのお腹の上を最後の一撃としてズボッと踏みこまれた。
これまた腹立ったんよね~アタシ。すぐにまた起き上がって彼女たちが戻ろうとするところを追いかけておりゃ~!と行くも、今度は二人からぼっこぼこにされた。
アタシはドキドキバクバクで頭が真っ白やったけど、ふと冷静に周りを見ると、やじ馬のおじさんたちが車から降りて「やめろやめろ!」と騒いでいた。
通りの車はアタシたちのせいでみんな停車していた。
するとその中に見覚えのある人間が。ん?なんとウチの姉も一緒になってやめろやめろコールに参加しているではないか。「えええええ!?」
アタシは自分の目を疑った。今あなたのかわいい妹が二人のヤンキーからコテンパンにやられてるのに‥なんでそっち側におる!?
アタシの攻撃はむなしく惨敗に終わり、紺色のブレザーの制服のお腹の部分にくっきりとヤンキー足型をつけ帰宅。
「ただいま~。ねぇ聞いてよ!コイツ弱いくせに何回も立ち向かったんよ~ワハハハハハハ!」
ウチに帰って父と母にこの出来事を楽し気に伝えながらアタシのお腹の足跡を指さして爆笑する姉。
ニヤニヤしながらそれを聞く父が
「おい、ハンカチ持ってこい。」
アタシはまさかまたここで怒られるパターン?と不安になりながらハンカチを父に渡した。
突然「えーんえーん‥」とシクシク泣きまねをする父。
「そして相手が油断した隙を狙ってこのハンカチを相手の顔に覆いかぶせて鼻をパーンチ!」
……とパンチの時のグーの仕方を何度も何度も握り直しアタシの手を取り丁寧に伝授。
「硬くて太い指輪をすれば尚良し。一発で効くばーい。」嬉しそうに教えこむ父。
アタシが自動車免許を取ったときオートマではなくミッションで練習をさせられ助手席に座る父が「違う違う!セコから入れんか!」
といきなりセカンドから発進するやり方をクラッチから足を離しながら耳を澄ませ!と厳しく教えられた。
その晩「ひゃーミッションって難しかー」と言ったアタシのそのひと言から「お前なんて今いうた?アレはミッションとは言わんぞ。みんなミッションミッションて言うけど、違うったい!」
その晩夜通し新聞の広告の裏にエンジンの内容を細かく書きながら延々と聞かされた。
女の子なのにケンカのやり方やエンジンの話をこんなにしなくても…母は悲しげに呟いていた。
このちょっと前。自動車学校に通ってた十八の
アタシは母と長い家出をしていた。
この時はホテル住まいではなく本格的にマンションを借りてそこから自動車学校に通っていた。
殺されたくなかったから家出したワケなので
当然父はアタシたちの居場所は知らない。
でもついに彼は誰かから電話番号を聞きつけた。
毎日かかってきては三、四時間はざらの長電話。留守番電話でもテープが全部終わるまでひとりで話していたときも。父が声を荒げて盛り上がってるところで途中で切れてたりしたときは思わず笑ってしまった。
ある日の長電話の時、突然アタシの時計のアラームが鳴り響いた。「コッコッコッココッコ‥コッケコッコ~~~!」と鳴くニワトリさんの形をしたお気に入りの目覚まし時計。その時は何の気なしにアラームを止めたけど、ある時の留守番電話で「お前たちがどこに隠れても俺は見つけてやるからな。お前たちがニワトリを飼うとうことぐらい知っとるんぞ。ワッハッハー」と不気味に笑う父。この時は母と大爆笑した。
そんな風で父は薬と酒で狂った状態でアタシたちを探すことに必死だった。
留守番電話が途中で切れるからか、母が持っていたポケベルが鳴る日も。「ねぇねぇ、37564ってどこの番号かいな。」と母に問われ二人で考えた。
そんなある日、どこで聞きつけたか父はアタシの自動車学校を突き止め、娘を電話口に出せと言った内容で教習時間中に何十本も電話をかけてきた。教習所の受付の人から助手席の先生に何度も連絡が入るも、自動車学校は絶対にアタシがいることを漏らさずにいてくれた。
あまりにもしつこくかけてくるのでアタシはついに運転中に涙が溢れて止まらなくなり前方が見えなくなっていた。おじいちゃん先生が「今日はもうやめとこうか…。」と言ってその日は中断してもらった。でも父は恐ろしいほどしつこく、明日から毎日こんなことが続くし、乗り込んでくる恐れもあったので結局それからしばらく休学させてもらうことにした。
母とアタシを探し回る父の電話攻撃は、アタシのアルバイト先にも及んだ。居酒屋でアルバイト先に、偶然にも父のアノ愛人がやってきたのだった。「こんなところにいたのね‥お父さんが心配してますよ。」悲し気で濁った黒い瞳はアタシをジッと見つめて離さなかった。
その晩店長に「未成年を22時以降まで働かせていること」への脅しの電話が営業中に何度も何度も執拗に鳴り響いた。店長の唇は緊張でカラッカラに乾いて紫に変色していた。こうしてアタシは何度も何度もアルバイト先を見つけられ「オレから逃げられると思うなよ。」と言われた。
中洲の博多ケントスで歌い始め三か月が経ち、ようやくツイストが踊れるようになったころ、父から店に電話があった。居酒屋の二の舞になる前にアタシは電話を代わり、「わかった。帰りますからもうココに電話しないで。」と言って辞めさせてもらった。父がずっと望んでいた会社の後継者として土木会社に入社することになった。先週まで七十年代の薄い緑のキャピキャピのドレスを身にまとっていたアタシは翌週からカーキ色の作業服を着ることになるとは思ってもみなかった。