つかの間の穏やかな日々。
「ライオンが来たぞぉー!逃げろー!」
高校生だったアタシはマジで逃げろうとした。
二階から降りてきた姉が父の部屋へ見に行こうとしてるのに気づいたアタシも、恐る恐る後からついていく。
和室の戸を開けると、そこにいた父の目はまるで別人やった。
別の日には「おやすみなさい」と言いにいくと、父から「アンタなんでこんな遅くまでおるとね、はよ自分の家に帰んなさい。」と真顔で言われた。
このとき父は五十才手前。「年齢とともに丸くなるからもう少し辛抱しぃ。」父側の親戚は簡単に言うけど、全くその兆候は見えなかったしむしろひどくなるいっぽう。
薬を服用していないときも普通ではないけど、このハルシオンを飲んだときは更に輪をかけて恐ろしかった。
「おーい!俺はこのオウムの麻原彰晃に明日会うアポイントをとったぞ」
テレビを前にアタシに報告する父。「でもな、俺の名は電話で竹下と伝えてある。俺は竹下やないから明日行かなーい!あはははは!」あの事件の騒動が連日テレビで放送されていた当時、竹下内閣総理大臣だったことで、父は「竹下」と思い付きで名乗ったとみた。
父は巨人の熱狂的ファン。巨人が負けた時は本格的に暴れだすのでそのたびにアタシたちはその覚悟が必要。
時々その怒りは直接野球関係者や報道の担当者に向けられるので、悪いけどなんだかホッとしていた。
解説者が気に入らんこと言った!としつこくテレビ局に電話をして、「今すぐそいつを引き下ろさんとオレがそこに行くぞー!!」と電話していた時もあった。
巨人が負けたぐらいで殺されかけて母子で家出したりしてるなんて、野球解説者のおじさんたちも想像してないやろうなぁとてアタシは思う。
こんな風でアタシたち家族には死活問題だった巨人の勝敗も、夕刊をバイクで毎日配達してくれてるおばちゃんにも多少の影響があったようで、巨人の調子悪いときは決まって夕刊を止める。
たまにおばちゃんの方から「明日からしばらくお休みしましょうか?」とご丁寧に電話をもらうこともあった。
そういえば父がこんなだったからか、新聞の勧誘なんかほとんど来なかった。
NHKの受信料請求のおじさんが来たときは、たまたま釣った魚をさばいていた父が珍しく台所に立っていて、魚の血のりがベッタリついた出刃包丁を持って玄関の方へ向かって出てきたとき、漫画のように慌てておじさんが帰り去ったこともあった。
こんなことを書いてるときにスペインでコロナによる緊急事態宣言が出されたけど、我が家では月に2~3回は緊急事態やったなーと思いかえす。
我が家のパンデミック中は、
毎週日曜夜七時半テレビアニメの
「ポリアンナ物語」という
赤毛のアンシリーズ系に励まされていた。
そのシリーズの主人公はみんな不幸な家庭環境。明るく前向きに生き延びる姿はアタシのバイブルだった。
中でもポリアンナの良かった探しを今では自然にやってのけて楽しく強く生きています、感謝してます。というわけで執筆者名を
「堀アンナ」にしました。
今もどこかで苦労して何かに傷ついてる子供たちがたくさんいるだろうけど、どうか独りで深く悩まんで良い本や作品、影響ある人に出会えて強い気持ちになって自分なりの楽しみを見つけて乗り越えて欲しいと願うばかりです…。
父は母への暴力は絶えなかったが、アタシら子供にはほとんどなかった。
ハルシオンによって姉を包丁で刺したのと
幼少期姉妹ゲンカをした時
ゲタで殴られたこと。その二回だった。
父が亡くなる二年前にアタシは首を絞められ気を失った。それが三度目で最後に。
そのあと両親の二度目の離婚が正式に決まった。一度目の離婚は父に女ができ、父から離婚を強く迫られた母は、「一緒に築き上げてきた会社もある。娘たちもまだ未成年。離婚は絶対に受け入れません。」と、何度も断っていた。そんなある日、父は包丁を持ってこいと母に言って、母は泣いて引き留めていた。
離婚届に判を押すんだという父が、包丁で自身の指に切り込みを入れ血判を押す姿。血まみれのタオルと赤く滲む離婚届。もうヤクザ映画のワンシーンみたいやった。そのあとガソリンを撒いて死ぬと言い出し暴れ出したので警察と救急車を呼んだ。
入院した病院は自宅からとても遠い場所にあった。
そんな父を毎日見舞って看病している母に父は心から感謝するようになった。
精神状態が落ち着き、離婚を取りやめることにしたと聞いたアタシたち姉妹もこの時はようやく我が家に光が差し込んできたと思ったけど、それはほんのつかの間のひとときだった。
父が暴れだしたと病院から電話が入った。
二時間近くかけて到着した病院で聞かされた内容にアタシたち三人は耳を疑った。両親の離婚をあきらめていなかったあの女の信じられない行動に。
病院の個室に入院していた父の携帯電話になんと、女がほかの男との最中の喘ぎ声を生中継したんだとか。
女からの電話をとり、
それを聞いた父は気が狂った。
そして彼女と別れられないと父は言った。
この人たち、
アタシらとは感覚がまるで違い過ぎる。
違う生き物だわ。
「お母さん、もうアタシたちがお嫁にいくまで、待たんでよかよ。いつになるかもわからんし。」
「暴力には耐えていくつもりでおったけど、暴力の上に女ができるのはツラかねぇ…。」母はついに離婚を決意した。
その後父と女が小さなアパートに住み出した。
自宅にある父のスーツや腕時計などを持ってきてもらえないかと父に頼まれた姉妹は言われた通りに従っていた。
まあ母と別れても親父は親父だし、特に腹違いの姉にとって父はたった一人の肉親なので簡単に切れなかったと思う。アパートに入ると父は一人で待っていた。
「今夜の献立」と書いてあるメモ紙がキッチンのテーブルの上にあった。そのなかにタケノコの煮つけが書いてあったのを今でも覚えている。
まるで新婚だな。
アタシはやきもちのようなものもあったと思う。だって同い年だしね、その女。
でも父の穏やかな表情をみて、まぁ…父がこんなに元気ならアタシたちも平和だしいっか。
このとき救世主にも見えた女に感謝した。
でもそんな新婚ごっこもつかの間。また暴れだし、父は精神科へ逆戻り。
原因は女の浮気。
コノ女、実はかなりの男好き。
アタシから見た彼女の雰囲気は叶姉妹の妹似で、
尚且つあのゴージャス感はなく壊れそうな華奢な体つきで悲しげな瞳。
男がほっとけないタイプ?
この時の浮気相手は父の会社の従業員。
これも不倫だった。
なんだかんだで目が覚めた父は母とよりを戻すことになった。
再婚?再再婚?
んーもうわからん。
四階建ての自社ビルを建てた父は
そこの一番上の階を二人の新居として母を迎え入れることにした。
キッチンやリビングは母が業者さんと話し合って、母が好きなように設計してもらった。
キッチンのシンクの高さも身長の低い母に合わせて使いやすさを重視してくれた。
幸せそうな母を初めて見た。
このときアタシはまさか親父の通夜で、長身の女がこのシンクの戸棚の角で何度も頭をぶつけて苦しむ姿を見られるとは予想していなかった。