殖えないのなら作るしか

それなりの期間、書けないことが続いていて各方面には大変申し訳なく、いつか書けるだろうとは思っているものの、締切の大事さ、真綿で首を絞めるような待ってくれる優しさの真っ当さを強く感じております。めちゃくちゃ単純に言うと信用を切られないように真っ当に働きなさいということですね。ごめんなさい。

何にしてもアウトプットしなければいけない。結果を出力しなければいけない。口では何とでも言えてしまう。先生がいくら楽しく授業しても、生徒のほうもいくら勉強していると言っても、実力テストの点数が悪ければ先生にも生徒にも至らないところがあったわけです。過程はなるほど大事で、先生のことが好きな生徒もいたかもしれない。先生のおかげで人生が変わったと言ってくれるかもしれない。しかしそんな生徒がいるからこそ、テストでいい点をとらせてあげられなかったという先生の後悔は強く大きくなるでしょう。得点のような指標に晒される必要がどうしてもある。

何にしろ結果に、実を結んだ果にしなければ樹の価値はわからない。枝ぶりは見事でも中身は腐っているかもしれない。

樹に年輪があるのと同じように、人間にも年輪のようなものがあって、特に仕事にその輪はあらわれる。その一年の環境と樹の状態が年輪として刻まれるように、時間をかけて出力した仕事にも数ヶ月や数年の自分を取り巻く環境と時代と内面の気分と想いとがあらわれて、後で切り取ってみたときに必ず鏡になる。

何かの研究のためにその一帯の樹木の年輪を調べるのと同じ役立ちが、後に輪切りにされた私たちにもあるのかもしれない。だから樹のように季節や時節の変化に耐えて輪を刻むように働くべきだし、用があれば立っているべきだ。

ずっと寝ていてはいけない。伏せているだけなのかもしれないが。

なりたい自分になりたい。なれない。求められる自分になりたい。なれない。求めることと求められることは常に矛盾している。世界は私ではないし、私は世界ではないからだ。私と世界の間で起きた矛盾、摩擦、傷の記録の出力がどうしても必要だ。矛盾で壊れてしまう一歩手前でエネルギーに代えて。

こんな文書できみの貴重な時間を奪うべきではないのかもしれない。眠れないきみの時間つぶしになれたら貴いのかもしれない。長く生きるということはきっと上手に時間を捨てられるということなのだろう。きっと上手に自分を捨てられるということなのだろう。


続けられるかわかりませんが過去作の曲の単品販売に使おうかなと思ってます