「こんにちは、母さん」映画雑感
見たばかりなので、取り止めのない文章になるやも(ネタバレはあるので念のため)
一応公式も吉永小百合主演で「母」三部作と銘打って、2008「母べえ 」2015「母と暮せば」そして2023「こんにちは、母さん」とついに大ラスが完結したわけなのだが、あんまり見終わったという感じがしないのは、この母シリーズを貫く共通テーマが薄いから。
1930年代の日中戦争から開戦までを濃く描いた「母べえ」、原爆前後を描いた「母と暮せば」と比べて、今度は急に舞台が2023年の現代となっている。原作者も、黒澤組で有名な野上さん、井上ひさしさん、そして今回の永井愛さんと、毎度毎度すべてが違う。
こう言うと元も子もないが、松たか子さんが主演していた同監督の2014「小さいおうち」のほうが時代設定もテーマも前2作とは共通項が多く感じるほど。
そういう意味で、監督発案からこれをシリーズだと銘打っていたのではなく、製作主導でサユリスト向けに、「吉永小百合が3本山田洋次作品に出演するという契約が満了した」という以上の意味にあまり思えなかったかもしれない。
密かな山田ファンである自分ですら(堂々と公言しろよ!)そう思ってしまったのだから、一般の映画ファンからすれば更にそういうマーケ戦略上のシリーズ、サユリストびいき、的な手管だと揶揄されるレビューを世間で見るにつけても、「それは違うんだ!聞いてくれ!」と擁護するのすらちょっと難しい気が個人的にしている。
さて、まあ前書きは置いといて作品について評価していきたい。
【優れているポイント】
山田作品に出る役者はドラゴンボールの神様ばりに、本人すら長年自覚できなかった潜在能力を120パーセント引き出される。
このことを私はほんとにすごく感じる。「母べえ」時の浅野忠信の演技は何十作と見てきた浅野忠信の中でも出色の出来で、彼の直線的な骨格や、オフビートな表情までもが、どこか間抜けだが異質なほど誠実な男「山ちゃん」の個性にがっつりと絡みついていた。
「小さいおうち」の黒木華はほぼデビュー作といってもいいものの、日本アカデミー賞を取っても何の文句もない、「まっすぐな瞳で致命的な嘘をつく」恐るべき演技。
「母と暮せば」の妻夫木も、彼のベストかどうかはわからないが良い演技を見せてくれていたし、当然その流れから来て今作の大泉洋は明らかにまた一つ違うレベルに入ってきたと言いたくなる本当に素晴らしいものだった。本年度の日本アカデミー賞も大いに期待できるのではないかな。
【気になってしまった残念ポイント】
鑑賞中どうも一点だけ気になってしかたなかったのは、世代設定が若干ちぐはぐに思えてならなかったこと。現代が舞台だけに余計にリアルにそのズレは感じてしまう。
具体的にいうと、主人公の吉永小百合が老舗の足袋屋の女房という設定なのだが、回想シーンがまるで昭和初期とか大正時代みたいな白黒モードで語られたり、好きな人である寺尾さんとデートのシーンでもがっつり和装で、ピアノコンチェルトの演奏会に出かけ、終わりがけに伊万里焼でケーキセット、お紅茶を楽しむみたいなシーン。こういう老人像がどうも少し古いんじゃないかという気がしてしまう。せいぜい平成までの老人像ではないか?今そういう老人がいるとしたら、世代イメージというよりはむしろもうディアゴスティーニとかで後からそういう趣味を身に付けた趣味ガチ勢の人だろう。
そういう感触を持ちながら後で調べると原作は2001年にはかかれていたことを知る。もう22年も前だ。22年くらい何とかなるだろう、という感覚なのかも知れないが、ひと世代も違う。
私の両親なんかも現在70代に差し掛かっており、吉永小百合当人よりは若干年下で、小学校の年長と1年生程度の差はあるものの、両親に向かってこの映画に出てくるような老人像を押し付けたなら「そんなに昔あつかいすんな」と絶対憤慨されてしまう。
両親世代は青春時代には、もう60年安保はとうの昔に終わっていたし、ビートルズもそろそろ解散するという段階である。そんな彼らに、結婚時代はまだ白黒の時代で、今は和装でピアノコンチェルトで小料理屋にいる小津映画みたいな人々、などと言おうものならそりゃー怒られるに決まっている。たまに実家に帰れば彼らは普通にスマホで最近のソシャゲをやっているしマーベル映画なんかも見ている。青春時代は小津よりは明らかに007やスターウォーズに親近感を覚えていた世代だ。
劇中では田中泯さん扮するホームレスが言問橋の上から「空襲の時にこっから飛び降りて助かったんだ、お前ら若い奴は家にでも帰ってろ」的な怒号を飛ばすのだが、78年前の空襲の記憶が鮮明にあるのであれば、すでに90歳〜100歳近くでもおかしくない。実際の田中さんは78歳で空襲の時は0歳だ。そのため田中さんは本当に一生懸命演じられていて頭が下がるものの、その叫びがどこか空虚に響いてしまった。
田中さんじゃなくて91歳の山田監督が橋の上からそう叫ぶのなら揺さぶられるかも知れないが。
ここはちょっとめんどくさくても、2001年時点の日本に戻ってそこを舞台にしないと何かとおかしなズレが出てきてしまっている気がする。
【総括】
映画としての出来で言えば、やはり良質な映画であることは違いない。また小津調はやっぱり意識しているのだろう、「赤いヤカン」はもろに出てくる。
しかし「男はつらいよ」時代に描いていた、何があっても最後は家族の暖かさを見せつけられて旅ガラスに戻っていく寅次郎、という態はすでに押入れに封印されており、「家族はつらいよ」で見せてきた、「家族というのは脆くていとも簡単に壊れてしまう」イメージや、人の温もりを浪花節で暖かく描くというよりも、距離感がおかしくてノイズになったり、不要に傷つけあってしまうという現代の人とのつながりを描くことに完全にシフトしているのは、繰り返し出てくるウーバー イーツやお掃除ロボルンバしか触れ合いがない、という描写にも痛切に感じる。(このシーンは劇場で笑いが起きていた。男はつらいよのタコ社長がルンバに転生したのだと思うと確かに笑える)
しかし一方で、「母べえ」や「母と暮せば」に込められた、かなり斬新なメッセージ性は私はいまだに評論家からも見落とされているのではないかと思っている。
それは昭和の山田洋次の残り香が観客の脳裏にいまだに残っており、表面的には浪花節、日教組の戦後教育(全体主義批判)みたいなステレオタイプなヴェールがいまだに目を眩ませてしまうからだと思っている。これは山田監督にとっては若干不幸なことに思う。ここで私のいう斬新なメッセージ性は、いつかどこかでちゃんと触れたいと思う。
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