アンガーマネジメント

先日「怒るってなんだい?」という事について考えた。いろんな人と仕事してきたけども、昔、兎に角めちゃくちゃ怒鳴り散らしている人がいて、当時もその事について考えていた。

不機嫌という事は理解が出来る。なんらかの事情があって機嫌が悪いという事。でも感情マックスで怒鳴り散らすっていうのは、どういう事なんだろうか。周りへの影響を全く考えていないのだろうか、と思う昔からの疑問があった。そこで先日、一緒に飲んだ、元怒れる男の御大に聞いてみたところ恐ろしいお話が。

御大「ガーっと怒鳴って、トイレいくだろ。戻ってくるとがっくり肩を落としている人がいるわけ。どうして元気ないんだ?って声かけても反応ないんだよな。あとで他の人から「さっき怒鳴られてショック受けてるんですよ」って教えてもらって初めて「俺が原因だったのか」と気がつくわけ。」

ああ、自覚ないのか、、、。

豚「無自覚ならもうどうしょうもないっすよね、、。それで周りで悪影響でたりとかなかったんですか??」

御大「いや、あったよ!20代か30頃の話だけど部下が全員ボイコットして辞めるっていって会社来なくなったとか、あったよ!」(その後、きちんと対話して相互理解ができて全員戻ってきたそう)

・・・・・

豚「それでも、怒りは表明していくと。俺は怒りの表現者なんだ!そういう意気込みでその後も怒りを振りまいていた?島と大地の怒りを?」

御大「なんていうか、ガーって怒って、2秒後には忘れてんだよな〜。ケラケラ」

最近は、というか私が知り合ってから全く怒るイメージがない人なんだけれども、なるほど怒りというのはこういう怒りも在るわけだ、と。補足すると、本人は「今の時代だと病気と診断されてもおかしくない感じで、適応テストみたいなのでもひっかかっていた」らしいので特異なものだろう。

おそらくほとんどの人は、怒られるのが大嫌い。怒られる以前に文句を言われるのが大嫌い。

当然、私もそうだが、全く受け入れないという話ではなく、当然怒られたり、文句を言われたりすることもあり、それを受け入れて行きている。受け入れられない問題は、実は学生時代から「それはプライドの問題」と定義していた事案なんだろうと思う。それは、理不尽・不条理ともリンクする。

理屈が、道理が理解できないとき、選択肢として最も重要視をするべきは「対話」であり、その「対話」が「出来る」という状態を作るのが心理的安全性って言われているものを簡素化した理解なんじゃないかと考えていて、そのためには「双方」が怒りをコントロールする必要があるのかと思う(これは今後、見解が変わる可能性は十分にあるが)。

ただ稀に、さんざん怒りを撒き散らし、「この話は終わり!」と対話を閉じる人もいる。反論や立場が悪くなる事に怯えているようにも見えるが、こういう事態をどうやって解消していくかは検討が必要だ。

そして最近の興味あるテーマは、アンガーマネジメント

怒れる人について最近感じる事は、自分が周囲にどれだけの被害を与えているかを理解していないが、自分に少しでも気に入らない事があれば「こんなに傷ついている」と騒ぎたてる感があるという事。

平和な世の中が待ち望まれる。

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