5月29日/人のセックスしないのを笑うな

①ニックネームはつけられないの、ポケモンの楽しみ方に対するスタンスを感じる

・pokerogueが面白い。

・ブラウザで遊べるローグライクのポケモンみたいなやつです。最初の手持ちを自由に選んで、野生のポケモンとかトレーナーとかと戦い続けるっていう。これ、めっちゃ楽しい。

・ポケモン、対戦やりこむとかキャンプで遊ぶとかのほかに ”ストーリーで好きなポケモンを使い倒す”っていう楽しみ方があると思ってて。自分のポケモンが、使い込まれた革製品みたいになるというか。

・本編でもそれを味わうために御三家逃がしてタツベイの卵を輸入してストーリー始めたりとか、奇怪な楽しみ方をしてきた自負があるのですが、ちょうどそのような楽しみ方にもフィットしているような気がする。



・”強いポケモンを死に出しするために弱いポケモンをあえて繰り出す”というポケモンストーリーあるあるも、しっかり実装されてます!

②君は山で、ぼくはタタラ場で

こんなツイートを見た。

https://twitter.com/eurenji\\\_inc/status/1793178390981386240

『女って髪の毛セットしてるの? まさかクシでとかすことを言ってるんじゃないよね? 男性と同じだけしてるようには見えないんだけど』に対して、

『この発言だけで 「いままで朝に女性と一緒に目覚めて、ふたりで外出するために身だしなみを整える時間を共有したことがない。」 という事実が浮き彫りになるの、流石に可哀想すぎるでしょ。』

もうやめてくれ。石の裏でうごめいているインセルを日向に晒して嘲笑するのは。この8.1万の”いいね”のすべてが弱者男性に対する「こいつは下に見てもいい奴」なの、吐き気がしますね。人を見下すためにインターネットをしているのかな。


しかしながら実際、この弱者男性にまつわる問題についてどのように介入すればよいのかというと、「”実際につながっている同性による草の根的意識改革”しかない」とぼくは考えているのですが、その結論に至った理由について自分なりに考えたことをまとめようと思うので、まずは用語の説明からします。



インセル:不本意的禁欲主義者、異性愛者で、「異性との交際経験がなく、あきらめた末の独身」と自らを定義する男性

チャド:性的魅力がある男性

ステイシー:チャドを選ぶ、性的魅力がある女性

(その他:自発的に独身を選んでいる人や同性愛者が該当、性別問わず)

(注:「インセル」という単語自体がミソジニー、人間不信、人種差別といった意味を含みうるものではありますが、ここでは "involuntary celibate"(不本意な禁欲)の原義に沿ったものとして”インセル”と表記し、ステイシーやチャドに対して敵意を示すようになったものを"incel" と表記します。)

世の中の人間を”この分野の”側面から見ると、おおむね上の4つに分類されます。

上記の”インセル”で定義される人たち、不本意に禁欲している人たちがどのような転帰をたどるかというと、以下のようなものが考えられる。

①チャドとの交流がある場合:チャドから”性的魅力がある男性になる方法”を聞き、恋愛という側面からステイシーと交流するようになる
②チャドとの交流がない場合:インセル同士のコミュニティで集まり、チャドやステイシーに怨恨を燃やすincelであったり、異性との接触を極端に避けるMGTOWであったりに思想を変容させる
③ステイシーとの交流:後述

あとは公による介入とかそういうのも考えられるんだけど、これについては後で書きます。


①のチャドとの交流っていうのは、アレね。同級生とか。”今度飲み会セッティングするよ”みたいな同期、いるところにはいるじゃないですか。そういうのを足掛かりにして”モテる側”に移動していくっていう。これが、まあ社会的に見たハッピーエンドだと思います。
②は、まあこれがよくインターネットでバカにされているやつ。


で、ぼくが上の方で書いていた「”実際につながっている同性による草の根的意識改革”しかない」っていうのは、①のことを言っています。モテない人がモテるようになるためには、同性から”モテ方”を聞くしかないと。

”異性(ここでいうステイシー)からモテ方を聞くのはどうなのか”みたいな話もあると思うんですけど、インセルの立場からすると、これって結構心をすり減らすんですよね。

アドバイスする側はモテ界隈に関して立場上 上だし、人の至らない点をズバズバ指摘するのって気持ちいいとは思うんだけど、インセルの方からすると そのコミュニケーションって”私の言うことを聞けばセックスできるんじゃない?私はゴメンだけどw”だから。そこには必ず「あなたは私の性的対象ではない」という明示的または暗黙の意味合いが含まれてしまう。

ここで「いや、私は彼氏いるから全然そういうのじゃないし」みたいな反論が想定されるんだけど、それはマジで甘っちょろくて。

多分ステイシーとインセルの間で”モテる”の意味合いが違うのが原因だと思うんですが。ステイシーは、”モテる”って、「例えば身なりを整えたりとか、言動に気を付けたりとか、そういった一連の自己改革の末に好きなパートナーに出会う」みたいな感じで捉えていると思うんだけど、インセルの定義って”不本意的禁欲者”だから、”モテる”ってすなわち”禁欲を解除(セックス)できる”っていうことなんですよね。だから、彼氏がどうとか関係ない。”お前たちはいろいろとアドバイスをくれるけど、結局のところ体を許してはくれないじゃないか”っていう一方的な怨恨みたいなのが発生しうる。


さっき上でぼくが同性の力について評価していたのは、異性愛者は同性とセックスできないから、システム上”私はゴメンだけどw”が発生しえないからで。




では、公として”弱者男性”問題に介入しようとするじゃないですか。これも難しいんですよね。経済的な問題であれば、富の再分配とかでなんとかなるし、物理的な問題(身体障がいとか)であればバリアフリー化とか進んでいるんだけど、”独身であることへの不利益”に介入するのって、難しいから。認知が歪んでここがアレになってくると、女をあてがえ論とかそういうのが出てくるわけで。


というわけで、現実の同性知り合いからの介入が唯一の解決方法で、他の人にできることは”ただ見守ること”なんじゃないかと考えてます。


③おホメにあずかる

・発表はほどほどの成功で終わり、“わかりやすかったよ、レビュー論文も読んだりして勉強したね”と言われ、嬉しかった。

・幸いながら能力が高いので、人から褒められることも多いのですが、心の底では人々から称賛されることを当たり前だと思っているので、脳が頑張って帳尻を合わせることによりなんとか心を接待している感じがありますね。自己愛性パーソナリティ障害にならないために、能力値を高めまくってる、みたいな。




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