8月30日/我慢の日記
・酔ったー!
・なんかこの書き方 Twitterで見たことあるな。誰だっけ?
・朝から仕事があったのですが、寝坊しかけてしまった。
・なぜかって?
・前日深夜までサルゲッチュをやっていたからだ。
・昼は労働。社外秘か?特にいうことはなし。
・その後百均に行ったのですが、手荒れが酷く薬を塗って手袋をしていたためスーツに手袋、マスクを着用してウロウロする羽目になった。ほぼ不審者だな。
・昼はパスタを食べた。
・食事の写真を美味しく見せる唯一の方法、それは彩度を調節すること。
・食後、昨日勉強を一切していなかったことを思い出したので図書館へ行った。
・図書館に到着したところ、自習スペースにいる地元の大学生が小声でずっと恋バナをしていた。
・自習室で恋バナすな。
・小声で恋バナしてんなーと思って観察していたのですが、受験勉強中の高校生が司書に告発したために注意されており、居づらくなったのか荷物を置いてどっかにいってしまった。確かに受験生からしたら二重に腹立つでしょうね。
・小声でしょうもない話をされるのが一番腹立つな。
・最初からでかい声で話していたならば、話してはいけないことを知らない、もしくは知ったうえで無視するほど理性が終わっているだな、って思って放置するのですが。そういう人ほど意外と喋っていても気にならないことも多いしね。
・小声でしゃべるというのは”悪いと分かったうえでやっていますよ”ということをまわりに主張しているようなものなのでいいことないと思います。
・その人たちが勉強に向いていないだけでその人自体が悪いわけではないと思うので、司書さんに注意してもらおうとまでは思わないのですが。
・と思ったら小児読み聞かせコーナーで恋バナのつづきをしていた。何しに来たんだ?
・その人たちが立ち退いたおかげで勉強はたいへん捗った。夏の終わりに恋バナをするのと 一人でコソコソ膠原病について暗記するの、どっちが充実した夏かはいうまでもない。
・落ちていた25番。
・昨日ステーキの話をしたら肉が食いたくなったので、帰ってきて牛肉を焼いた。
・うめ~。
・付け合わせが毎回玉ねぎなので、翌日の体臭が獣そのものになるんですよね。明日仕事あるのに大丈夫か?
・読んだ本
・今回は”海肌の匂い”も収録されているぞ!
・以前の日記で”武田泰淳と仏教と光輪”みたいな話をしたのですが、巻末の解説を読んでいくつかのことがわかった。
・まず、武田泰淳が浄土宗で僧侶の資格を取ったということ。最初光輪が人を食った証で、ストーリー中にパンピーの後ろに光輪がつくということで 浄土真宗の悪人正機説(善人より悪人の方が仏に頼ろうとする思いが強いため却って救われやすい)みたいなイメージがあったのですが、浄土宗となると話が違ってきますね。
・浄土真宗は阿弥陀仏にすがれば救済されて、浄土宗は念仏読み上げれば成仏するんだっけ?話の展開的には浄土真宗っぽいと思ってたんだけど。一般人は救われようとも思ってないからね。
・あ、入力しながら思ったんですが、成仏って文字通り”仏に成る”ってことか。往生した時点で仏確定?
・あと、武田泰淳がもっと若いころに書いた”司馬遷”という作品で宮刑にあった後の司馬遷の心境が”生きているのが恥ずかしいという苦しみは、もう致命的で、自分も他人もどうする事もできない。”と表現されているらしくて、”遭難した末に仲間を食べ、生還後裁かれる船長”の「我慢しています」に非常に近しいものがあるのではないか、ということ。
・上の話にかかわりがあるであろう、いくつかの気になる記述について引用しておきます。
船長 おめえは自分で、何が一体せつねえだかわかっか。寒いのがせつねえだか、腹がへるのがせつねえだか、それとも仲間の肉を喰たのがせつねえだか、わかっか。わかるめい。わかるはずはねえだ。なあもかんも入れまぜでせつねえだべ。何がせつねえのか、わかんねえくれえせつねえだべ。俺だってそうよ。俺だって、何を我慢してんのかわからねえくれえ、我慢してんのよ。(p210)
・これは船長が仲間を喰った後の話ですね。ここが”我慢”の初出だと思います。
第二幕(注:生還後裁かれるシーン)の船長は、野生的な方言ではなく、理智的な標準語を話す。それは、第一幕(注:遭難シーン)の船長が「我慢すること」を、野生的にしか理解できなかったに反し、第二幕の船長は、それを理智的に感得していることを示す。
・ちゃんと読むと武田泰淳が”我慢”に関して何らかの特別な意味を付与していたことがわかりますね。
船長 (中略)私はただ、他人の肉を食べた者か、他人に食べられてしまった者に、裁かれたいと申上げているだけです。
・”他人の肉を食べた者”だけであれば「安全な場所から文句をつけてくるお前らに裁かれたくないぜ」みたいな話になると思うのですが、”他人に食べられてしまった者”もついてるんですよね。第一幕で能動的に人を喰っていたのは船長だけだと思うのですが。第二幕の船長は食べられたものに対してどのような感情を抱いているんだろう。
・とりあえずこのあたりで。もうちょっと気付いたことがあったら書きたいな……
・そんなガサツな読み方があるかね。
・ただ、このような”パッと読んで面白かった”っていうのが作者の意図した読み方なんじゃないかなぁと思うこともあって、微妙な心境です。
・知識って意図的には失うことのできないものなので、知識を与えるっていうことは一種の暴力なんじゃないかと考えたことがあります。現代だと 知る=良いこと として扱われる傾向にあるけど。
・ここら辺の話ももっとしたいですね。
・長々と書きすぎたな。
・さようなら。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?