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縛りが無い生活とは

おはようございます\^o^/。
だんだん朝の空気が張り詰めてきました。昼との寒暖差が気になりますが、今日も投稿します。
何を書くか決めていなかったのですが、ふとしたきっかけで『縛りがない』とはと話しているのを聞き、考えさせられました。

現在は『自分らしく』『自由に』『やりたい事をやろう』と比較的自分に優しいキーワードが多く感じます。

そうしたいし、そうなりたいと思いますが、それが出来ている人はそう多くはないと思います。そもそも、何がやりたい事なのか?何が自由なのか?自由はあっても実際はお金もないと暮らせません。

お題もなくただ、自由に書いていいよ。と真っ白い大きいキャンバスを渡された時、子供はすぐ書き始める事ができますが、大人は”どうしよう”と逆に自由が不自由になります。

今の自分はしたい事やこうしていきたいとやっと見つけられてきましたが、『縛りを作った方が広がる』という言葉を聞いて、過去の自分を思い出しました。

元々会社勤めや大人数が苦手で、出来ればフリーランスや黙々と出来る仕事を希望していましたが、希望通りにはいかないのが世の中です。

適応しようと続けていくうちに疲弊して、辞めてしまう事を繰り返していました。疲弊が気質的に仕方ないのか、甘えなのか?は判断できませんが、『縛りが無い』事を望んで転職したり、自分は縛りが無い方が実力を発揮できる。など思っていました。(今も思ってはいますが、場合によりです)

『縛りを作った方が広がる』

とは縛りが無いとふわふわ風船のようにただ、漂い続け、結果どこかへ飛んで行ってしまうが、縛りがあると飛んでいかずその場であり続けます。就職して自分に合う環境を求め続けても結局ただよい、落ち着く場所がなくなります。それであるならば、自分はここに留まるという縛りを付けて続ける。そのうち、人の信頼を得たり、新しい関係性を築けたりして人間関係が広がり、縛りがある中で自由になっていく。という事かと思いました。

職業も『自分はこれをやる!と決めて縛る方が広がると思う』という話も、確かにそうだな。と思いました。学校卒業後に就職しデザイナーの仕事をし始めた時は何の迷いもなくがむしゃらに続けていました。一生続けると決めていました。

世の中の変化や自分の生活の変化の影響もあって、続けられませんでしたが、確かに迷いもなく心は自由でした。

その後の自分を振り返ると、自由になれば欲しい物が手に入る。と思っていましたが、手には入らなかったです。

『縛り』は『継続』とも言いかえれるのかもしれません。継続する事で自分も周りもかわります。年齢的にも”急がないと時間が無い!”と思って焦りもありましたが、焦ったところで出来る事は知れています。周りをコントロールする事は出来ないからです。

結局、やることはやって後はどこかからやってくる、自分にとって良い事を待つしかありません。ヨガ哲学にも書いてありますね。居場所が見つかれば自由を感じる事が出来ます。

最近は哲学思考を学校の授業に入れる取り組みもされているとの事。難しい話ではなく、『当たり前のことを問い直して、新しい価値観を生み出す』ことだそうです。そういう思想が多様性に繋がるのかもしれないですね。

『縛り』という言葉はネガティブに捉えていましたが、私のような人間は必要なことなのだと感じました。ある程度の強制力がないとスグさぼりますし、やる気スイッチも壊れたままになります。

こんな感じで、少しだけ自分に『縛り』と『強制』を入れて自由になっていきたいと思います。自由を感じるかどうかも自分の考え次第ですね。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。

どなたかのお役に立てます様に。


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