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向き合う語らうことのいみ

『いっぺん死んだ二人が開く対話会』
に参加しました🍀

死について向き合う講座に

出られた方が、

少人数で語らう時間を

設けてくださった。

今日は

その時に感じた事を書きますね。


私は、この10年ほどで両親が
他界している。

癌だったのと、母が生前から
延命治療について
しないと言う希望を
わりと話してくれていたので。
両親が高齢であることを
いいことに
死について
話したりしていた。

それでも
いざとなると
延命を希望していても
こういう事が起きるのかとか

本当の意味で
本人の意志を尊重できるか?
という選択が
目の前に課題として
出される事もあって。

色んな意味で
私に死に方に
ついて教えてくれた
両親だった。

正直、選ぶことさえ
難しかったり
色んな事情が
それぞれあるのだから
不快に感じる方も
いるかもしれない。

とにもかくにも
こんな風に
初めてお会いする方とも
きたんなく話せるのは

死が誰にでも訪れることで

だから
みんな自分ごとだから

なのかな?

とてもいい機会を
頂いた。

母の亡くなる
直前に感じた違和感を
話させて頂いて。


私の捉え方とは
ちがう視点を頂き
とても癒された。

母は、控えめながらも社交的な人で。

夫婦共に繊細でhspだと思う。

その社交的な母が、

ホスピスに移ってからは

友人たちに事情を知らせることさえ

拒んだのがとても違和感があった。

もちろん、私はそれほど社交的ではないので

気持ちはわかるのだが。

もう二度も会えないかもと

思う時。

私は友人に会いたいと思うと感じだから。

でも、この会で

『最後にわがままを通したのかもしれないね。』

とお言葉を頂いた時に

なぜだか

涙がこぼれた。

あーそうかそうか。

そうだよね。

周りに気を遣って生きている人だったから。

これで最後の違和感が

溶けていくようだった。


私は何事も
振り返る事が、
あまりなく
母の死から
5年くらいだが。

他界したら日にちも
覚えられない
親不孝もので。

でも
年々
心のそばに
寄り添ってくれているように
感じるから
不思議だ。


そしてたまに
大声で
『お母さーん』
と、言ってみたりする^ ^

そう
子どものように
ただ叫ぶ

それは悲しくてとかではなく
ただ
たまには
呼びたいのだ。


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色彩表現セラピーandEFTタッピング

セッションご希望の方は
こちらのページもご覧くださいませ( ´艸`)

https://note.com/porepore69e/n/nee7d3f8a242e


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