愛される街
愛される街とはいったい何なのだろうか?
卒業論文・卒業設計を通じて自分が考えていたテーマをぎゅぎゅぎゅっと、むりやり小さくまとめたならばこの問いが一番しっくりくるように思う。
モノづくりをしたい自分。まちづくりにかかわりたい自分。故郷に帰ってまちに貢献したい自分。地元に縛られずに自由に生きてみたい自分。最近の頭の中にはいろんな自分がいてそれぞれあーでもないこーでもないと喋っている。本当に嫌になるくらいうるさいくらい。
けれどもどの自分もきっとそれぞれ考えている。どれも無視できない。
まちにとって建築や広場としてつまり、空間として形を持つものが愛される街をつくるために大事であることを卒業設計を通して感じさせられたこと。建築を職能として捉えることで自分にとっても形として残るものができること。それに惹かれている自分がいる。
ハードだけ考えるのは不十分で、そこに暮らす人・働く人・大人も子供も高齢者も動植物たちも、たくさんの人をつなぐ存在や仕組み、さらにはお金や教育、福祉まで多様に絡み合う要素が街にとって大事だということ。その部分の考えなしにまちとかかわることはできない。その重要さを認知している自分もいる。
たくさんの思い出の詰まっている故郷を大切にしたいこと。生まれてから大学に行くまで育った街や、そこにいる人たちが大好きな気持ちがいつか地元に貢献できるような人になりたいと思い、建築や街づくりを学ぶことができる大学を探すことにつながったことは間違いない。けれども今の自分を核を作った場所にどう向き合えばいいのか、いまだに自分の中で位置づけられてはいない。
ここまでの文章は10月の自分が書いていたもの。
これに対しての答えは未だに出ていない。
多分この先もそう簡単に出る物ではないと思う。
愛される建築、愛される街、愛される人。
愛する建築、愛する街、愛する人。
思うにこれらは不可分でどんな選択を取ったとて、すべてに向き合う必要があると思う。
でも自分の根本に向き合った時、自分が大事にするべきは人の部分なのではないかなと今では感覚的にわかってきた。
今振り返ると故郷を思う時まず初めに出てくるのは、場所ではなく人だった。場所はあくまでも人との記憶のリンクさせるものでしかないのかもしれない。建築を学ぶことでその力を学びながら一方で自分はその根本を忘れてしまっていたように思う。
昔から人を喜ばせるのが好きだった。
思いやり、気遣い、献身、貢献、励まし、差し入れ
アンパンマンみたいに自分の顔をちぎって渡しているようなそんな感覚になるまで、持つものを差し出すことをいとわない自分だった。そしてそんな性格に誇りとアイデンティティを抱く自分がいた。
誰かが何を欲しているのか察することが得意だった。
常に人の様子を見ている。あの人あれを探しているんだろうなとすぐに察知できる。いつも自分の内側ではなく外側の人を見ていた。
人の写真を撮ることが好きだった。
誰かと時間を共有していること。それらが一瞬の時を切り取る装置によって過去の時間が現在の時間軸に乗せられる。自分と他者の新たな関係が生まれてくることが好きだった。
私は人が好きなんだと思う。分断の時代、個人の時代と言われているが私はそのどちらも実感として肌で感じた事はほとんどない。
その要因の一つは地方の都市で育ち、家族だけでなく、親戚、地域とのつながりの強い共同体の中で育ってきたからだと確実に思う。私の愛される街、愛される場所としての原風景である街はきっと街そのものの街並みや歴史、建築ではなく、ただその人の輪の中で育った自分の経験からきている。
街を愛するということは、人を愛することなのかもしれない。確かに目に見える建築には都市への愛着を顕在化させる力があると思う。でもそれはあくまで「顕在化」させるだけでそこには見えない愛が存在していることの裏返しでもある。そしてその愛はやはり人と人の関係からしか生まれえないのではないだろうか。
愛される街を目指すとき、物だけにとらわれてはいけない。
卒業設計から1年がたちまた自分の思考は変化する。