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古代ローマ(王政期)について



①古代ローマ

建国:紀元前753年4月21日
建国者:ロムルス① 王政期ローマ(紀元前753~紀元前509年)

7代目エトルリア系王タルクィニウスで王政が倒され、共和制へ移行する。


②ローマの建国伝説

軍神マルスとアエネイスの血を受け継ぐアルバ・ロンガ部族の王女レア・シルウィアの間に、双子の男児、ロムルスとレムスが生まれる。

ロムルスとレムスは生まれてすぐに王家の内紛に巻き込まれ、命を狙われる。

彼らを憐れんだ兵士により籠に入れられ、テヴェレ川に流されるも、イチジクの木に引っ掛かり、川岸に流れ着く。そこに狼がやってきて二人に乳を与え育てる。

やがて牧夫に育てられるようになり、たくましく育っていく。

成長した二人は自らの出自を知る。兄弟は力を合わせて略奪王アムリウスを討ち、祖父のヌミトルを復位させる。そして自分たちが拾われた場所に新しい都を建てようと、それぞれ丘を選び、どちらが新都の支配者になるか鳥占いで決することにした。翌朝、ロムルスの選んだ丘には12羽、レムスの丘には6羽が飛来したので、ロムルスが選ばれたことになった。ロムルスは二頭の牛に引かせた犂で都の聖域を定めた。しかし不満なレムスはそれを飛び越えてしまう。怒ったロムルスはレムスを殺し、聖域を侵す者は殺すと宣言、絶大な支配者となり、その都はロムルスにちなんでローマといわれるようになった。

この出来事は前753年4月21日のこととされ、今でもローマの住民のまつりの日となっている。またローマ人は、キリスト紀元が行われるようになるまでは、この年を紀元元年として年代を数えていた。

そして現代でもローマの町の象徴は、狼のお乳を飲む双子の像である。


③サビニ女の略奪

ローマの王となったロムルスは人口を増やすために周辺住民の移住を奨励した。しかし移り住んできたのは男がほとんどだった。これでは人口は増えないので、ロムルスは一計を案じ、サビニ人の男たちを催し物に招き、男たちが見物に熱中しているスキにサビニの女たちを略奪した。怒ったサビニの男たちとローマの男たちのあいだで激しい戦いとなったが、略奪されたサビニの女たちが間に入り、「どちらが勝利をおさめても私たちが不幸になることにかわりはありません。サビニ人が勝てば夫を失うことになります。ローマ人が勝てば親兄弟を失うことになります」と訴えたので戦いは中止され、ローマはラテン系とサビニ系の住民がともに住むようになった。


④ローマ共和制へ「ルクレティアの凌辱」

王政ローマ期は4代目までは、サビニ人とローマ人が王についていた。
5代目以降はエトルリア人になる。

第7代の王タルクィニウスは民衆を酷使したために不満を買っていた。
そこで決定的な事件としてルクレティアの凌辱がおこる。

タルクィニウスの息子セクストゥスは貞淑なルクティアを脅し凌辱する。
ルクレティアは一部始終を信頼できる人たちに伝え自殺する。

この件をきっかけに王を倒す潮流となり、共和制へ移行する。