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Tama

今日は「Tama」の絵をご紹介したいと思います。

見たいと言ってくれたdot.さん、ありがとうございます( ´∀`)この絵のお話は長くなりますが良かったらお付き合いください🙇

この絵は2016年、ボンドアーティストの冨永ボンドさん主催「ボンドバ2周年大感謝祭」にライブペインターの参加者の一人として描いたものです。

猛暑の中、熱中症で頭フラフラになりながら描きました。手持ちの水筒は一瞬で飲み干してしまい、会場で飲み物を買おうにもミニサイズのペットボトルが500円で販売されていて「このやろう」と思った事を鮮明に覚えています笑。でも道行く人に誉めて貰えたり、暑さを心配したボンドさんに優しく声をかけて貰えたり、なんだかんだで楽しかった。今ではいい思い出です。

こちらが絵のモデル「たま」

11年前に亡くなった大好きな大好きな私の愛猫。

私がまだ小学生の頃、母の知人から譲り受けて17年間、一緒に過ごしました。

最初は怯えていたけどだんだんと私の存在を受け入れてくれるようになり、私が学校から帰宅する度に可愛い鈴の音を鳴らしながら私の元へ駆けつけてくれました。

社会人になってたまとふたり暮らしをはじめ、帰りが遅くなっても毎日欠かさず玄関で私をお出迎えしてくれました。

ホームシックな気持ちになった時も、たまの存在にいつも心を救われていました。

ずっとずっとたまと一緒に過ごすんだと思っていました。でもだんだんと仕事が忙しくなり、帰ってはぐったりと寝て、たまとの時間が短くなっていきました。

2009年3月31日、たまが亡くなりました。
仕事から帰るといつものように玄関でお出迎えしてくれて、私と一緒に部屋に戻った途端に苦しそうに倒れました。その日の日記が残っています。

“仕事帰りにドラモリに寄って猫用のトイレの砂を買いました

家に帰るといつも通りにたまが玄関に駆け付けて私を出迎えてくれました

それからいつも通りたまと一緒にコタツでゴロゴロ…

したかったのに…

たまはコタツの前でうずくまって

フゥフゥと苦しそうに荒い息を繰り返しました

いつもと違う様子に戸惑って

車で病院に連れて行きました

注射を打った後「明日から通院するように」と言われ

また家へと車を走らせました

車の中でたまは益々弱っていって…

「たま」と呼ぶとかすれた声で「ニャア」と鳴きました

家に着いたとたんそれまでグッタリとしていたたまが急にバタバタと苦しそうに暴れ出しました

ホントにホントに苦しそうで…

私はどうする事もできなくて…

助けを求めてお母さんに何度も何度も電話したけど全然出てくれなくて…

たまは鳴き声をあげながら床をかきむしるように暴れた後…


動かなくなりました


抱き上げるとたまの頭がグラリと揺れて

私は独りで泣き叫びました

たまの脱け殻は想像以上に軽くて冷たくて…
どんどん固くなっていって…


死ぬほど悲しい

死ぬほど悔しい

もっとたまとの時間を大事にすれば良かった

もっとたまに美味しいもの食べさせてあげたかった

もう一度外で散歩させてあげたかった

17年一緒にいた君が突然いなくなるなんてホントにホントに耐えきれない

明日どんな顔して仕事に行こう

たまのいない日々なんて考えられない…”

たまの肺には水が溜まっていました。ずっと苦しかったのだと思います。なんで早く気付いてあげられなかったんだろう。思い出す度に号泣してしまうので、たまを知る友人にも直接詳細は話せずにいました。そしてこの日記を書いたきり、また思い出すのがこわくてこの日の記憶と向き合えずにいました。

それから7年が経ち、2016年のライブペイントの日、「私にとって特別な絵を描きたい」と、たまの記憶と向き合うことを決めました。

そして完成した絵がこちらです。

Tama

たまへの沢山の「ごめんね」と「ありがとう」そして「会いたい」の気持ちを込めた作品。

いつも陽だまりの中にいたたま。亡くなった次の日の朝には虹が出ていて、「きっとあの虹を渡って空に行ったんだ」と思っています。

大好きなたま。17年間そばにいてくれて本当にありがとう。

この絵を描いて4年、沢山の展示会に一緒に連れて行きました。

展示場所が変わる度にたまの表情も変わる気がします。一緒に行ける所ならどこへでも、これからもずっとたまと一緒です。

ここまで読んでくれてありがとうございました🙇

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