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心だけはあたたかく

あれは、まだ高校生になったばかりの部活終わり。夜の帰り道で、本当にあったできごと。

小さな幸せのおはなし。

部活が始まるまではあんなに良い天気だったのに、今は小雨が降っている。あいにく、折りたたみ傘も持っていない。駅まではどんなに速く歩いても10分はかかるし、ちょうどいい時間のバスもない。1本電車を逃すと1時間待たなければいけないような田舎に住んでいた私は、仕方なく駅まで歩くことにした。これくらいの小雨だったら大丈夫。そう思っていたのだ。

1人でタオルをかぶって歩く私。地元の中学校から1人でその高校に進学して、まだ一緒に帰れるような友達もいなかった。私の気持ちはまさしくこの空模様のように、暗く沈んだものだった。さらに私の希望に反して、雨足は少しずつ強くなり、気温も次第に下がって――

いつの間にか、私はみぞれの中を歩いていた。これくらいなら大丈夫だと思ったから歩いていたのに。
――ほんとについてない。
そう思いながら私は近くの建物の屋根の下に逃げ込み、もはや意味ないなと思いながらも、びしょ濡れのタオルで濡れている制服を拭いていた。

この天気はしばらく続きそうだった。どうしようかと考えながら、何も出来ずに屋根の下で立ち尽くしていると、
――すみません。
私に声をかけたのは、若い女性だった。
――○○駅までの道を教えてください。
思わぬ展開に、一瞬とまどってしまった。今までそんな風に声をかけられたことがなかったから。その駅は私が向かおうとしていた駅だった。頼まれ事は断れない性格の私は、もちろんその女性を駅まで案内することにした。すると、
――もしよかったら、一緒に入りませんか。
その女性は、自分がさしていた折りたたみ傘を差し出してきたのだ。そのお誘いも断りきれず、私は人生で初めて、見ず知らずの人と相合傘をすることになったのだった。

駅まで歩く中で、女性は自分のことを話してくれた。大学に進学して、最近この辺りに引っ越してきたこと。方向音痴で、駅までの道もいまだに覚えられていないこと。そして、困っていたところでちょうど私のことを見つけて、声をかけたこと。
それを聞いて、この人は私と同じなのかもしれない、と思った。新しい環境になったばかりで、慣れないことばかりだったのだ。きっと不安もあるかもしれない。それでも私に声をかけてくれたことが、とても嬉しく、あたたかく感じた。

駅に着いた時、束の間の楽しい時間が終わってしまうことを少し寂しく感じた。
――ありがとうございました。お話もできて楽しかったです。
――こちらこそ、傘に入れていただいてありがとうございました。
女性と私は別の方向に向かって歩き出した。この話はなんとなく秘密にしておきたかった。ただ、雨に濡れている人に自分の傘をさしだしてあげられるような、そういう大人になろうと思った。

私はいつも通り電車に乗って、最寄り駅で迎えに来てくれた母の車に乗った。制服や髪の毛は電車に乗っている10分とちょっとでは乾くはずもなく、相変わらずびしょ濡れのままだった。
――電車の時間なんて気にしないで、バスに乗ればよかったのに。
母はそう言って笑ったけど、私はそんなことも気にならないくらい、あたたかい気持ちでいっぱいだった。

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