Cabbage6
《your side》
あれからもう2週間。
あんなに毎日顔を合わせていたのに、避けようと思えば全く会わずに過ごせてしまうから不思議。
とは言っても、2週間の半分は仕事で会社に戻って来ている。
年に一度開かれるアウトドア用品の大きな展示会があり、SOTODEROも会場内にブースを構えている。
ここ何回か私の移住記事の評判が良かったので、イベント期間中毎日出てくるようレイ編集長から言われた。
「ほらぁ〜、僕の狙い通り良い記事になったでしょう〜?君の代表作だね〜。もうずっと住んじゃう?」
ニコニコ顔のレイ編集長に(すみません、多分早めに戻ります)と心の中で謝る。
記事が評価されるのは単純に嬉しい。
一般のお客さんから同業者まで、色んな人から声を掛けていただき、名刺が足りない位。
けど「続きを楽しみにしてます!」と言われると100%の笑顔では返せない自分がいる。
続き…続きかぁ…
イベントが終わったらまた村に戻らなくては。
少し気を抜くとあの夜を思い出してしまい、涙目になる。
でもさ、あんな言い方って酷くない?
ムカムカと怒りが湧き上がるものの、それまでのギョンスさんの人柄を考えると理由も無くそんな事をする人とも思えず、きっと自分が何か重大な失敗を犯してしまったに違いないと自己嫌悪に陥る。
ここのとこずっと怒りから自己嫌悪のジェットコースター。この無限ループはツラい。
※・・・※・・・※
「ヌナ〜、あのヒョンと喧嘩したの?あんな仲良さそうだったのに?」
イベント終わりにカイに誘われて飲みに来た。
こっちでギョンスさんを知ってるのはカイだけだから、ついグチが出る。
お洒落なバーのカウンターに突っ伏してくだを巻く私に合わせて、カイもテーブルにほっぺを付ける。
至近距離で見るカイの目は甘えを含んで艶っぽい。
顔にかかった私の髪をそっと避けてくれる。
「ヌナ、じゃあさ、もう帰ってくる?」
それ、今一番よろめいちゃうヤツ。
甘くてハスキーな声で誘惑しないで欲しい。
「んーーーー…、いや、ダメ、ダメ!仕事は仕事!」
ガバッと起き上がって残っていたお酒を煽る。
そう!仕事は仕事。気まずいとか言ってられない。
私は村に帰らなきゃならない。
タクシーで送るというカイを断って電車に乗る。
もう終電も近いというのに人が多くて息苦しい。
やっと座れたと思ったら、隣の酔っ払いのオジサンにズシッと寄りかかられる。
オジサンの重い体を支えながら、ギョンスさんの家でお酒を飲んだ後は必ず「暗いから」と懐中電灯を持って私の家の玄関先まで送ってくれたのを思い出す。
ほんの数メートルの夜の散歩。
夜風にそよぐ森の葉擦れの音、遮る物の無い星空。
おやすみを言いたくなくて、どちらともなくゆっくりになる歩調が嬉しかった。
もう元には戻れないのかな…
お酒の臭いがする深夜の電車には慣れてるはずなのに、もうここは私の居場所ではない気がする。
ギョンスさんに会いたいな…
でも嫌われちゃった…
鼻がつんと痛んで涙が滲む。
※・・・※・・・※
イベントも無事終了し、今日は村に帰る日。
会社に顔を出してから出発するからエクソ村に着くのは夕方になる。
人でごった返すターミナル駅の売店でお弁当を物色する。
あ、あのお漬物ギョンスさん好きそう。
あ、駅限定のスイーツがある。ギョンスさん喜ぶかな?
あ、ギョンスさんと観たテレビで取り上げられてたパン屋さんだ。
あ、あ、あ…
右を見ても左を見てもギョンスさんの事ばかり考えてしまう。
バカみたい。嫌われちゃったのに…
お土産に有名店のお漬物と数量限定のお菓子を買う。
直接渡す勇気はないけど…。
※・・・※・・・※
新幹線から在来線をいくつも乗り継いでエクソ村へ。
村に近づくにつれてどんどん乗客が減って、ついに一人になった。
初めて来た日と同じだ。
ギョンスさんあの日、軽トラで迎えに来たんだよね。
ちょっと遅刻して焦ってたな。
僕が世話役で大家ですって言われて、こんな素敵な人が⁉︎って嬉しくて、すっごい親切にしてもらって、大好きになっちゃって…甘えすぎちゃったな。こんなことになるなんて……
また涙の膜が張り始めたので強く瞬きをして振り払う。
※・・・※・・・※
改札を出ると、遠くの空に黒い雨雲が湧いていた。
まだ遠いけど、絶対ドシャ降りのやつだ。もうここまで来たら私の居場所はあのお家だけ。グズグズ考えてないで急いで帰ろ。
駐輪場に置いてたスクーターに跨り出発した。
家までもう一息という所になって雨が降り始めた。
間に合わなかったか…
仕事道具のパソコンやカメラが入ったリュックだけは厳重にレインカバーをしたけど、自分はレインコートを着ていない。濡れた体がスクーターの風で冷やされていく。家に帰ったらお風呂で温まろ。
雨足がどんどん強くなって今や視界が朧げだ。寒さに震えながら山道を行く。
砂利道に入った。ここまで来ればあと一息。
ほっとして気を抜いたのがいけなかった。
雨で砂利が流されて出来た大きな窪みに車輪を取られる。
あっ!
次の瞬間、ハンドルはコントロールを失って手から離れ、推進力を失わないまま投げ出された体が水溜りに叩きつけられた。
衝撃で一瞬息が止まる。
数メートル先で横倒しになっているスクーターのヘッドライトが雨に烟る夕闇を照らしている。
…………びっっっっくりしたぁ〜
呼吸が戻ると心臓がバクバクする。
最初の衝撃が去って体が痛みを訴え始めた。手も脚も擦りむけて血が滲む。
いけないっ!荷物は⁉︎
リュックを探す。自分のすぐ側に投げ出されているのを見つけて立ち上がろうとすると、ズキっ!足首が鋭く痛んだ。
うわ、これは……
家まではまだ何十メートルもある。この脚で辿り着けるかな……
とりあえず少しでも雨を避けて体勢を立て直そうとリュックと脚を引きずって何とか木陰に移動する。ほんの数メートル移動するだけなのに全身の痛みで血の気が引いていくのが分かった。
木の葉が少しだけ雨から守ってくれる。幹を背にして座ると、リュックからパーカーを出して羽織った。うん、無いよりマシ。寒さなのかショックのせいなのか体が震える。少し安心したのがいけなかったのか、急な眠気が襲ってきてこのまま意識を手放したら死んでしまうかもしれないという恐怖に駆られる。
大袈裟?
でも、ちょっとヤバそう。
救急車、呼ぶ?
いざとなると勇気がいる。
ポケットに入れていたスマホを取り出してみる。濡れている上に転んだ時の衝撃で画面が割れてボロボロだ。使えるのかな……
案の定、電源は入っているもののフリーズして動かなかった。
絶望と共に寒さと痛みが増した気がした。
ギョンスさん……
こうなると、私を見つけてくれるのはこの道を使っているギョンスさんしか居ない。そろそろ帰って来る頃だけど……
また迷惑かけちゃうな……
痛みに朦朧としながらスマホを眺めていると、着信画面に変わった。
画面には「ギョンスさん」の文字。
まだ私に電話くれるんだ。嬉しい!そんな場合じゃないのに、最初に感じたのは嬉しさだった。
電話、出られるのかな?どうかお願い!恐る恐る通話ボタンを押す。
「もしもし……」
低くて優しい声。声を聞くのはあの夜以来。
こんな状況なのに胸が詰まって言葉が出ない。
「…っ……ギョンスさん」
泣きたくなるのを堪えて助けを求める。
「助けて下さい。転んでしまって。砂利道で動けません」
「ごめん、ノイズが酷くて!転んだって!?どこで?」
「砂利道です!家の近くの!」
「分かった!すぐ行く!」
ノイズが一層酷くなり電源が落ちる。でもこれで見つけてもらえる。
安心すると同時に強い睡魔に襲われて、私は意識を手放した。
※・・・※・・・※
《Kyung-soo side》
「ハァ⁉︎なに、お前、そんなひでぇこと言ったの?」
ベクがコーラの入ったジョッキをテーブルに叩き付けると衝撃で晩飯の焼き魚定食が少し浮いた。
あれから夕飯を作る気力も無く、外食が続いている。外食と言っても村にはこの店しか無いのだけれど……
あの日、彼女が座っていた辺りに目をやると、俺に微笑みかける可愛い笑顔の幻が見えた気がした。
あの夜はいつもより更に可愛くて、輝いてたな。なのに俺ときたら……
「なーんでそんな事言ったんだよ。らしくねぇなぁ、おい」
テーブルに身を乗り出すベクの口角が薄っすら上がっている。こいつ、面白がってんな。
「……………………」
「ほれ、言ってみ?」
「……まだだった」
「は?何が?」
「だから……、まだ皆に紹介したくなかったんだよ。なのにあんな格好させてお前が連れて来るから…」
自分でも何言ってんだって思う。
青年会なんて参加するもしないも自由だし、第一とっくに村中が彼女の存在を知っている。いくら独占したくても、山に閉じ込めておくわけにはいかない。いや、独占て何だよ。俺、こわっ。
「ほぉーん。んじゃ、何?ちゃんとお付き合いすることになって、めでたく『俺の恋人』になってから皆に紹介したかったってコト?」
図星を突かれて目を逸らす。
「マジかよ……。ちっさ!ドギョンスちっさ!」
どうせ小せぇ男だよ。大袈裟なリアクションを取るベクをジロリと睨む。
だって、あんなに可愛いんだぞ?どう考えたって皆好きになるし、俺じゃないあの中の誰かと運命的な恋に落ちるかもしれないじゃないか。そんなことになったら目も当てられない。何でそんな危険がある席にあんな格好して来てんだよ。
彼女の周りに次々やって来てはデレデレと鼻の下を伸ばす野郎共、何やかんやと手助けを申し出ていた。それは俺の役目だったのに。何で他の奴に頼んだりするんだよ。他の男に笑いかけるな。
焦りが嫉妬になって、ヤケになって酒を飲んでる内に飲まれてしまった。
あんな言い方するつもり無かったのに……
「今日、すごく可愛いですね」って褒めて、顔赤くして照れ笑いする彼女が見たかった。ぶち壊したのは俺だけど。泣いてたよな……
あぁ、もう最悪だ。自己嫌悪で自分を絞め殺したくなる。
テーブルに突っ伏して動かなくなった俺にベクの尋問が続く。
「それで?今どうなってんの?」
「仕事であっちに戻ってる。あれから会ってない。連絡も…ない」
顔を上げる事も出来ず、下を見たまたま額をゴン、ゴンとテーブルに打ちつける。こんな頭、割れてしまえばいい。
「いつ戻ってくんの?」
「さぁ…手紙がポストに入ってただけだから」
『仕事でしばらく会社に戻ります』
丁寧な文字で書かれた手紙がポストに入っていたのはもう1週間も前だ。メールじゃなく、わざわざ一方通行の置き手紙をして行ったということは、もう連絡してくれるなという意味なんだろうか…
「さぁってお前…」
ベクのため息が聞こえる。
「あ〜ぁ、かわいそ〜に。仕事とはいえこんな田舎に一人で越してきてさぁ、不安でいっぱいなとこに好青年が現れて世話役ですなんつって何から何まで面倒みてくれてさぁ、家は隣です?ご飯一緒に食べましょう?お風呂も一緒に通いましょう?はぁ〜、頼りにしてただろうな〜、信頼してただろうな〜。それをお前はよぉ。今頃、都会でどうしてっかな?カイとか言うイケメンカメラマンに慰められていい感じになってんじゃねーの?あーぁ、もう戻って来ないかもなー」
よく口が回るもんだなと黙って聞いていたけど、最後のセリフが聞き捨てならずムクリと起き上がる。
テーブルに頬杖を付いたベクがニヤニヤしながら俺を見ていた。おしぼりを投げつけてやると、両手でキャッチして真顔になる。
「電話しろよ。謝って、いつ帰って来るんですか?って聞け」
「…………」
「このままじゃ、彼女だって帰って来にくいだろ」
「……んー」
電話が怖い。気まずすぎる。
身から出たサビとはいえ、素っ気ない態度取られたらどうしたらいいんだ。
のそのそとスマホを取り出して履歴から番号を出す。最後のボタンを押す勇気が出なくて固まっていると、ベクにスマホを奪われた。
「あっ!やめろ!」
取り返そうと身を乗り出すと「ほれ!」と投げ返される。
既に発信ボタンは押され、慌てて耳に付けると呼び出し音が鳴っていた。今さら切っても履歴が残る。もう後戻りは出来ない。
ベクを睨みながら唾を飲み込む。短いコールで繋がった。
「もしもし……」
平静を装って落ち着いた声を出すものの、すごいノイズ。なんだこれ?どこに居る?
「…………っョンス…さ…ん」
ノイズが酷くなる。
「……たすけ……ころんで……まって……うごけな……」
「ごめん、ノイズが酷くて!転んだって!?どこで!?」
ベクがハッとして眉間に皺を寄せる。
「……ゃりみち……ぃえのちか…の!」
「分かった!すぐ行く!」
一層ノイズが酷くなって通話が切れた。
慌てて席を立つと、ベクが追ってきて一緒に車に乗り込んだ。
外はいつの間にか土砂降りだった。
助手席のベクにジュンミョン先生の診療所に電話してもらう。
ジュンミョン先生もすぐ来てくれる。
※・・・※・・・※
焦りながら山道を登り、ようやく砂利道に入ると数メートル先に横倒しになったスクーターのライトが見えた。車のライトをハイビームにして目を凝らす。大きな桜の木を背に座り込んでいる人影が見えた。車を停めて慌てて駆け寄る。相変わらず大粒の雨が降っていて、ものの数秒で全身がびしょ濡れになった。
「大丈夫ですかっ!?」
声を掛けるも反応が無い。そんな。
大声で名前を呼び続けると眉間に皺を寄せてゆっくり目を開けた。
一瞬の間があって彼女の瞳が俺を捕らえる。
「……ギョンス……さん」
「よかっ「ギョンスさんっ!」
見る見るうちに泣き顔に変わると、白い腕が伸びてきて抱き締められた。びっくりしたのと嬉しいのとほっとしたので感情がぐちゃぐちゃだ。俺の首にぴたりと着いた彼女の頬が氷みたいに冷たい。
「来てくれたぁ…来てくれたぁ…良かったぁ…」
子供みたいに泣きじゃくる。
「どこにだって行くよ」
子供にするみたいに優しく背中を擦りながらそう答えると、俺の肩に額を預けたままの彼女の腕にきゅっと力がこもった。
伸ばされたまま雨に晒されている脚に目をやると、デニムが派手に破けて血が滲んでいる。痛そうなんてもんじゃない。代われるものなら代わりたい。
事故からどの位の時間ここに居たのだろう?全身ずぶ濡れで、ガタガタと震えている。
気休めにしかならないけど、彼女を雨から守るように強く抱き寄せて少しでも俺の体温を分ける。
俺の家に走ったベクが毛布と傘を持って来てくれた。けど、俺たちの姿を見るとニヤリと笑って、無言で傘を差し掛けながら俺の肩をポンポンと叩いた。
彼女はというと震える声で毛布のお礼を言うとまた眠ってしまった。
このまま死んだりしないよな?腕の中の彼女は真っ白で血の気が無い。心配で気が狂いそうだ。
ほどなくジュンミョン先生が駆け付けて、後を追って先生が呼んでいた救急車も到着した。
「心配するな。着替えてから来い」
そう言い残してジュンミョン先生は救急車に付き添って行った。
Cabbage7に続く
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