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「我が青春のドイッチュラント」(16)番外編 ウィーン中央駅に舞い降りた天使

1998年7月 ザグレブからウィーンへ

この列車でウィーン中央駅へ。

数字の2は二等車の意味


6時間余り乗りっぱなし。

車内の様子
車窓から


パスポート・コントロール。
クロアチア出国とスロベニア入国の審査。
「パスポートを拝見します。」
乗り込んで来たのは軍服のような制服を着た2人の係官。
列車で国境を越えるなんて、日本ではあり得ないので、ヨーロッパ横断の気分を実感できた。

夜10時過ぎ、ウィーン中央駅に到着。
待合室で夜行列車を待たなければならないが、その前に、ライゼバンク(大きな駅にある旅行者用の両替所)で、日本円をユーロに両替。

がらんとした待合室には、なぜか3人の子供達がいた。私も腰かけた。
次第に気持ちがふさいできた。
長時間の列車移動で疲れたからなのか。
何にも食べてなくて空腹だったからか。
この先、無事にドイツに辿り着けるのかという不安から?
ドイツに行ったからといって何がある?
珍しくホームシックになってしまったのだろうか。

私はずっとうつむいていた。声を出さずに泣いていた。
その時、私の目に飛び込んできたものがあった。
チョコレートだった。
顔を上げると、5歳くらいの女の子が立っていて、チョコレートを差し出していた。
これは・・・夢? 何が起きたの?
傍から少女の兄と姉が、「プリーズ、プリーズ」と言っていた。
私がチョコレートを受け取ると、少女はにっこりと微笑んだ。

やっぱり、夢をみているのだろうか・・・。
でも、板チョコは本物だった。
この子は自分のおやつをくれたのだ。打ちひしがれている旅人に。

こんな幼さで、疲れ切った人の心を感じ取り、何とか慰めてあげようと、自分のできる精一杯のことをやってくれたのだ。こんなあどけない子が・・・。

ゆっくり嚙みしめながらチョコレートを食べていると、父親らしき人が戻ってきた。
少女は私を指差し、お父さんに何か話していた。私がペコリと頭を下げると、彼は「どこに行くの?」と訊いてきた。「ドイッチュラント。」と応えると、「切符は?」と訊かれた。「まだ買っていません。」「よし、一緒に窓口へ行こう。」まあ、何て親切な。
彼がドイツ語で対応してくれたので、ミュンヘンまでの切符は簡単に手に入った。

このお父さんはポーランドからドイツへ何度も出稼ぎに来ていたそうだ。子供達にドイツを見せようと、迎えに来てもらって、一緒に夜行で帰るところだった。

まだ時間があったので、私はユリアちゃんに「せっせっせ」を教えて遊んだ。「夏も近づく八十八夜、トントン・・・・・」
ユリアちゃんはすぐに動きを覚えて、きゃっきゃと笑いながら、上手にトントンをしてみせ、しまいには「せっせっせーのよいよいよい」と歌えるようになった。

ひとりぼっちで心細かった私に、元気を与えてくれたユリアちゃん。そして、優しいお父さんと、お兄ちゃんとお姉ちゃん。
またも救われた私。

「これが君の乗る列車だよ」
アームを倒せば横になれる

いよいよ列車に乗る時間がやってきた。
私達は反対方向に向かうお互いを見送った。
「元気でねー! 写真、送りまーす!」

~エピローグ~
帰国した私をドイツからのエアメイルが待っていた。人形の医者、М氏からだった。驚いたことに、「マリンスカでの夕食代と宿代が未払いになっている。すぐに払え。」という内容だった。放っておいたら、2通目の督促状が届き、愕然となった。
あれは「招待」ではなかったのか。招待客を路頭に迷わせておいて「経費を払え」とは。М氏の言っていることはドイツでは常識で、私が間違っているのだろうか。
悩んでいた私に救いの手が現われた。広島の友人が勤務している中学校で英語を教えておられた、ドイツ人のストウ先生。友人の仲介で、その方に相談することになった。
私はストウ先生に言われた通り、招待状と督促状を友人宛に送った。それらを吟味された先生からのお返事は次のような内容だった。

「あなたはひどい目に合われましたね。Мは間違っています。ドイツ人として恥ずかしく思います。支払う必要はありません。このような手紙であなたを二度と苦しめないように、私は彼に宛てて手紙を出しました。だから、もう二度と煩わされることはないでしょう。ドイツ人がみんなこんな人達だと思わないでくださいね。お願いします。」

会ったこともない私に対して、そこまでしてくださったストウ先生と、協力してくれた友人に感謝を捧げます。
また、最後まで読んでくださった皆様にも感謝申し上げます。
ありがとうございました。


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