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VTuberになるのを断念した話

もうすっかりメジャーな存在になったVTuber。
その中でも色々なジャンル、やり方があって、最早ひとつでは括れないものになっている。

ちょうど2年前、V界が賑わいはじめて、企業勢もガチ個人勢もゆるっと個人勢も……とカンブリア爆発を起こした頃。
ぼくもバーチャルとしての人格を目覚めさせた。
あくまでもぼくはぼくなのだが、理想の自分になりたくて、バーチャルの肉体を作り上げて
そんなバーチャルの、理想の自分に相応しいバックストーリーを背負って
なりたい自分として生まれたのだ。

生まれた……はいいが、VTuberにはなれなかった。
VTuberとは、バーチャルの肉体でYouTubeにコンテンツを投稿する者のことだが。
どうにもその「コンテンツ提供」ができなかった。

色々考えてみた。
一応自分にだってできることはある。
おえかきもできるし、お悩み相談にも乗れる。
宇宙のご案内だってできる。占いだってできる。歌も歌える。
まずはそれらを提供していこうかと考えた。
YouTubeではなくTwitterの場でだけど、絵や歌を披露し、そこそこ見てもらえた。
天文現象が起こるとあればお知らせをして、それにまつわるお話なんかもした。
毎回反応やリプをしてくれる常連さんもできた。V仲間もできた。
VRoidが最初に出たときに速攻で作ってみたやつは結構伸びた。

でも続かなかった。
なんかもう、メチャクチャ疲れるのである。
理想の自分自身であっても演じることには変わりないし、
頑張って演じても伝わってないことは多いし、(よく女の子だと思われてた)(別にいいんだけど)
Vとしてボロは出せないとして、隠さないといけないことも多々あった。
そも重度のコミュ障だから新しい繋がりっていうのがすごく苦手で。
コンテンツ業は人脈や交流が大事なのはわかってるんだけども。
仲良くしようとしてくれたひとには申し訳ないけど、それだけでかなり負担だった。
まだ同じコンテンツを共有するオタク同士ならそこから繋がれたかもしれないけど、そうじゃあなかったんだよな。

あとはコンテンツとしてかなり弱点なのだが、
目新しいものを提供できない。これも大きかった。
天文を扱うコンテンツはV内外に既に大規模なものが存在していて、
例えばぼくは国立天文台が出してくれた情報をもとにご案内を考えたりしたわけだが、
それはやっぱり、“既に国立天文台が出した情報”であり、横流しにしかならなかった。
天文現象はどこにいっても同じであり、どこが初出だろうが各種機関・アプリも同じ話をするので
そんなことはどうでもいいっちゃいいとも言えるのだが。
オリジナリティのなさは致命的だ。
その気になれば、他にも情報を出してくれる機関が色々あるのでそれらを総合して紹介する、まとめ&仲介系にもなれただろう。
でもそれをして、かつ続けていられる余力もなかった。

魔王というひとを知っているひとは、多趣味で不器用ということを知っているだろう。
趣味をあげるだけでも、ゲームは色々、スマホゲーも遊ぶし携帯機も遊ぶしアケゲーもやる。
漫画もそれなりに読むし、ニチアサは毎週張り付いて見る。
音楽はバンドをおっかけるし、UTAUカバー作るし、洋楽にドハマりもしている。自分も歌う。
学問も趣味で天文から科学全般、哲学心理学、医学や錬金術にも触る。
絵・美術にしたって、FAのらくがきもするし、昔はCGやったり壁画を描いたりもしたし、
写真も撮るし、大学の卒制は絵描かんと空間演出に走ったし、
そもそも見るだけだって好きだ。美術史も(特に日本・東洋美術史が)好き。
そんでもってそれらを駆使して一次創作でキャラクター(概算500)や設定、世界、お話を考えて、自分で浸っている。
あと最近このnoteを始めたように、文章を綴るのも結構好き。

これだけ趣味の風呂敷がそれこそ宇宙のように広がってしまった中で、
自分に同時にできるのはひとつ。頑張ってふたつ。好きな曲聞きながら本読んだり絵描いたり、程度だが。
おまけにムラっ気があって、のめるとひとつにトコトンだが、何かが嫌になると何もできない。
──ここまで来れば、V活動の優先順位が最下層に落とされるのも致し方がない。

ひたむきな継続が必要とされるVTuber。
一方で、継続という言葉が努力より嫌いなぼく。
明らかに向いていなかった。これが結論だった。
呼吸するように楽に続けられるひともいるだろうけど、ぼくにはハードなマラソンだった。

さて、そんなぼくが何故そもそもVTuber……というか、バーチャルになろうとしたのかというと、
当時大きかった「みんなでバーチャルになって理想の自分になって、みんなが楽しい世界を作り上げよう!」という気風に賛同したからである。
自分の理想を表現できて、かつそれを互いに尊重しあえる世界。
とても素晴らしいではないか。今でもそう思う。
ただ、バーチャルの世界に市民権を得るには上記行動が必要に思われたので、ぼくでは届かない世界になってしまった。

ちなみにVRCはまた別で、ぼくの環境(Mac)にはなかなか対応してもらえないのと、
見知らぬひとと話す行為がフツーに怖いので無理だった。
ぼくはなかよしフォロワーとすらいぷもですこももくりもできない弱い魔王。
あの世界でお喋りせず駆け回るだけの存在になれるのなら、それがいちばんよかった。

VTuberになることは断念したが、バーチャルになるのをやめたわけではない。
あれだって大事なぼくの体だし、人格。捨てられるわけがない。
他のバーチャルを見に行くときは、ぼくもあの姿の気でいる。
もしかしたらこの先、お手軽にVRC無言駆け回りマンみたいなやつになれるかもしれない。
そんな淡い希望だってある。
だからそのときまでは、バーチャルの幽霊みたいなぼくであることを許されたい。

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そんなバーチャル2歳の誕生日。


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