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社会人1日目の抱負+250日目の備忘録

社会人1日目の抱負 2022.04


社会人になる。

22年間学生をしてきて、今日から社会人。思い返せば新しい環境に身を置いた瞬間は受動でも能動でもたくさんあった。それはとっても幸福で恵まれていたことだと思う。

寝る前に大学1年生から4年生まで頭の中でずっと振り返ってみた。1年生よく頑張ったと思ったけど2年も3年も4年もその時々でよくがんばっていたなと思った。留学も勉強も奨学金もオケも友達も就活、NPO、卒論も。よく4年間で卒業できた。

髪を切った。掃除をした。髪を切ると受験や留学のはじめを思い出す。なにかができそうなワクワク感。不安は期待の裏返し。

1からはじまるんじゃなくて、今日からまた昨日までの延長線で、歩き方がちょっと変わるから、頑張って歩こう。

  • 一生懸命やることを恐れないで、まず目の前のものをがんばろう。

  • 専門性+デザインをわすれない。自分のセンスを信じる。

☆尊敬する先輩方からもらった言葉

  • 最初がんばる

  • 最初のコミュニケーション量、自分から話す

  • 成果物と自分をわけたFB

  • 自分がどう受け止めて、どう進むか、行けるところでがんばる

社会人250日目の備忘録 2022.12

有給消化で休みの深夜。ものすごく久しぶりにnoteを書いてみる。

しばらく書いていない間にnoteは上場していて、私は上場のニュースの意味が前より少しだけわかるようになって、逆にもっと調べないと、知らないといけない状況になっている。noteのブログコードは少し進化していて、私は学生の時3回くらい挫折したpythonが少しだけ書けるようになって、周りはITが当たり前の世界を生きている。

社会人になって250日が経った。正直辛い。
何が辛いかわからないけど辛い。社会は甘くない。

書きたいこと、考えていることはいっぱいあるはずなのに、うまく言葉にできない。でも、今久しぶりにブログを書いて、すごく懐かしくて少しだけ辛くないから、嬉しくて徒然なるままに書いてみた。

会社に入る前と今で、考え方は大きく変わったのか、根本は変わっていないのかよくわからなくなる。
入る前は一生懸命働いて、社会人として一人前になってバリバリ活躍したかった。
入った後は日々を平穏に過ごすことだけで精一杯で、毎日出社して、帰宅して、たまに飲みに行っての繰り返しがどんどんどんどんギリギリになっていった。人に会うのが怖くなった。

普通が何かわからなくなった。どうやって今後生きていくのかも。私の友達はみんな資格で手に職をちゃんとつけていた。どうして何にも武器を持たずに、人間で戦わなきゃいけない場所に来てしまったのだろうか。人間とコミュニケーションできるようになったと思い上がっていたのだろうか。

会社で、コミュニケーションが取れる人であると思ってもらえるように必死に明るく元気よくハキハキと、新人の3拍子を守った。それでも静かだね、おとなしいと言われることも多かった。
どれが本当の自分なのか自分でもわかんなくなって誰に相談したらいいかわからなくて苦しい毎日。全部本当の自分じゃない。本当の自分って?

お休みの日にどれだけリフレッシュするかが社会人人生をうまくやる上で大事だよといろんな人に言われて、なるべく1日はでかける予定を入れるようにしていた。でもHPほぼゼロでリフレッシュに行ったって、リフレッシュのためのHPもゼロだから楽しめなくて、ストレスが溜まる一方に感じた。おふとんで過ごす休日が少しずつ増えた。

どうせとか、だってとか言い訳がうまくなっても、別に救われない。

これからどうやって生きていったらいいんだろう。

コンサルをでた人たちの情報商材でロジカルシンキングとかExcelの使い方とかpythonの簡単な書き方とか車輪の再開発だけをうわべで繰り返して、特異なスキルなんて何にもない。自己啓発的なそういうものが一番苦手だったはずなのに、そこの世界線で今戦っている。それっぽく見せること、フレームに収まりきらないものをフレームに押し込む技術より、収まりきらないものを私はやりたかったはずなのに。
データサイエンスとかAIとかそういう今どきな分野も疎くて。独占業務ができる資格もない。
社会がパワハラにすごくうるさくなったおかげで詰められることだってほとんどない。

こうやって悩んでいる間に同期は人脈を広げたり、勉強したり、修羅場を乗り越えたりしてどんどん遠くに行ってしまう。人は簡単には変われない。1日1日の積み重ね。何も頑張れなかった1日の終わりには絶望しか残らない。

同世代が活躍しているのをテレビやネットで見ると、すごいなという気持ちと同じように生まれてきたはずなのに圧倒的な差が生まれていることにちょっと悲しい気持ちになる。1日1日をどう使うか、好きなものに出会えたかどうか。

おふとんの中で過ごした日は世間的に言えばすごく無駄遣いしているのだろうし、好きなものには出会えていない。でも限りなく守られていて、楽だ。普段だったら忙殺されて読めないもの調べられないことを有限のはずの時間をガン無視して、効率性をガン無視して人間らしく息ができる。社会的に生きているか極めて怪しいけれど。

好きなものがどんどん社会に補正されてしまっている感覚がある。伝わる資料、きれいな資料を作ることがどんどん好きになってしまっている。本質の部分はどこにあるのかわからない。

強いて言えば、優しい気持ちを守りたいってことだけ。それすら最近否定されるようなことが続いて、見失いそう。

この深い沼から抜け出せる時が早くきてほしいと願いながら、また会社に行く。
会社に行く以外で、生きるためのアンサーが見つかるまで。

最後に、1日目の抱負に丸をつける!

一生懸命やることを恐れないで、まず目の前のものをがんばろう。
→◎一生懸命250日よく頑張ったね。知らない世界に飛び込んで、よくやっているよ。一生懸命できない日もあるけど、できる日はこれからもちょっとずつやろう。きっと成長している。知っていることもずっとずっと増えたよね。

専門性+デザインをわすれない。自分のセンスを信じる。
→△専門性はよくわからない。デザインは磨く行動をほとんどしていない。センスや価値観が自分の中で揺らいでいる。もっと自分を信じてあげたいね。

☆尊敬する先輩方からもらった言葉

最初がんばる
→◎よくがんばったよ。がんばるは主観だから、人と比べるものじゃないよ。

最初のコミュニケーション量、自分から話す
→○引っ込み思案な割には徹底的に意識して質問しに行っているよね。質問することが仕事だから!取りに行かないとダメだ!って何回も自分を鼓舞して、相手の様子を伺って。足りないとは言われるし、自覚もしているけど無理してもできないからちょっとずつやっていこうね。

成果物と自分をわけたFB
→○これはすごくFBを受ける姿勢として大切だなと思う大事にしている言葉。この言葉のおかげで指摘されても凹むけどまたがんばれる。

自分がどう受け止めて、どう進むか、行けるところでがんばる
→△完全に見失っている。すごい人はいっぱいいるし、息をするようにすごい。だけど社会の厳しさをちゃんと理解したっていう意味では昔の無知の無敵な頃よりある意味成長したんじゃないかな。

おしまい。振り返るとちょっとだけ自分を認められる。気が向いたらまたぽちぽち書きたい。

ここだけは私が私でいられる空間だと思う。自分が昔書いたもの、昔スキを押したものを見返す時間に、唯一無二の幸せを感じた。




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