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#01| 私がエッセイを書く理由

エッセイ塾に通い始めた。
講師は新聞社の元編集長。

お題「私の○○」か「漢字一文字」のどちらか一つを選択して、四百字詰めの原稿用紙二枚分を一週間程度で仕上げて提出する。
それを生徒達の前で朗読する。

書きあげた原稿は添削され、コメント付きの一筆箋いっぴつせん三枚を添えられて返却される。

二年前の冬、人生の半分を引きこもりとして過ごしたある 四十代男性のエッセイ をたまたま見つけた。
十四歳のとき、統合失調症と診断され、家に引きこもるようになってしまった青年が大人になるまでの成長を描いた物語。
引きこもる現状の中、何とか社会と接点を見出そうとする姿に不思議な親近感を覚えた。

人を惹きつける文章を自分も書きたい。
けれど、エッセイ塾を通おうと決めた一番の理由は自分に向けて、棚卸しをすること。
つまり絡まった気持ちを整理し、言語化することだった。

それには丸裸の自分を直視し、格好をつけないで、現実に起きたありのままを分かりやすく人に伝えること。

長い間、しまい込んでいた何かをもう一度丁寧に見つめることで風通しをよくする。
気付けば、四十代男性が落とした産物と自分のこころを重ね合わせていた。

書けないときもある。
気分転換にイヤホンで音楽を聴きながら近所を散歩をしていると、パズルのピースが埋まっていくようになり、また部屋に戻ってラップトップの画面に意識を集中する。

何事も仕事と同時進行で進めるのは大変なこと。
みんな余裕がない中それぞれ何かをしていることに気付かされる。

自分だけが例外ではない。

仕事から帰り、ビールを飲んでただ寝るだけの生活を変えたかった。
本当の意味での毒抜きをすることで、気持ちの容量が少し軽くなる。

どんな年齢に達してもいつだって今が青春。
何を始めるにも遅いということはないのだ。
長い間モグラのように地上へ出てこなかった四十代男性は現在、精神的障害者雇用枠で働いている。
まるで成人して最初に味わう社会の洗礼と引きこもりのときには得なかった青春を同時に取り戻しているかのように。

そんな健気な姿勢を見ていると、自分だけでなく、彼をとり巻く周りも温かい眼差しを向けたくなってくるのではないだろうか。

そんなことを思いつつ、提出一週間を切った原稿に今日もとりかかる。

ポールの記事はこちら
https://note.com/popopopopaul/all

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