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仮面浪人時代を振り返る

まず本題を読む前に、結果を伝えておこう。
私は仮面浪人に成功した。だが、人に勧める気はない。仮面浪人の成功率は約5パーセント。5パーセントの確率にかけるなんて、あまりにも無謀すぎる。だって、95パーセントは失敗するってこと…
でも、挑戦する人はそんなの気にせずに突っ込むんだ。と言いたい。5パーセントか…と諦められるのなら、きっとその大学でも何とかやっていけるさ、きっと。
それでも諦めがつかないなら、挑戦すべきだと思う。
なんでこんなに言ってるかって、あまりにも辛いから。結果はどうであれ、頑張れたという事実は変わらない。周りの大学生が楽しそうに学校生活を送る中、意志を持って頑張れた自分を褒めてあげて欲しいよ。

【現役受験期】
中学生の時から恋焦がれていた公立大学に不合格になった。

高校は1度も休んだことが無かったが、受験が近づくと予備校に入り浸り単位ギリギリまで休んで絵を描いていた。

負けたくない。受験の不安で帰り道の電車で2日に1回は泣き、恐怖で夜も眠れなくなり睡眠薬を飲む日々が続いた。
4年間過ごす場所を妥協したくなかったのだと思う。

倍率は12倍。

試験会場でほかの受験生の目を見て、これは無理だと落胆したことを忘れない。何度もトイレに行き、涙を拭った。今思えば泣き虫すぎる。ほとんどの感情が涙腺に向かってしまうくらい、気がおかしくなっていた。
試験が終わり、同じ予備校の友人と帰った。友人は横で手応えを感じたと言う話をしていた。その声が、遥か遠くから聞こえているように感じた。

結果は不合格。

私はもう一年受験勉強をする気力が残っていなかった。(そういうところだぞ)
地元の私立大学の願書を急いで書いて郵便局のポストに入れた。私立大学はなんとか合格し、春からその大学に通うことになった。

【大学一年生】

激しい受験戦争を終え、燃え尽きて抜け殻のようになった体で桜の木の下をくぐり、入学式のパイプ椅子に腰掛けた。前日の夜、特に眠れずいつもより少し多く薬を飲んだからなのか、意識が遠のいていた。周りの話し声が遠く感じる。

すると、突然会場内のアナウンスで私の学籍番号が呼び出された。塞がった耳を破って音声が入り込み、脳にぶつかった。その反射で立ち上がる。
急に立ち上がったせいで、頭がふらついた。
慣れないヒールで前の教壇に向かうと、数分前に入口で受け取ったばかりの学生証を手渡された。
入口付近で落とし、誰かが拾ってくれたらしい。
どれだけボーッとしていたんだ。

入学式を終え、会場を出るとサークルの勧誘でにぎわう中庭。腕に押し付けられる勧誘の紙を1枚1枚受け取り、鞄に突っ込んだ。

あまりにも体調が悪く、早足で帰った。誰とも話さず、写真も撮らずに終わった入学式だった。

そこからの大学生活は、体調と戦う日々だった。
相変わらず薬を服用し続けており、ひたすらに頭が痛い。大学から出される課題に取り掛かろうとすると手のピリッとした震えが止まらなくなったのも、この辺り。アトリエは、向かい合った机が並んでいた。私の苦手な「視線」を感じる空間となっていた。

何度か参考作品あずかり証を貰っていた

私の居場所は図書館や、中庭、空き教室だった。
アトリエは視線を気にしすぎてしまい、あまり近寄れない場所になっていた。

友達もろくに作らず、サークルにも入らず、ただ薬を飲んで眠り、学校に行く日々を過ごしていた。
体調は悪くなる一方。

周りのクラスメイトは、上手く課題をこなしているのに上手くできない自分に何度も腹が立って、
講評中に作品を握り潰したいと何度も思っていた。
学期末に作った作品を飾る展示があるにも関わらず、気に入らない作品をビリビリにして捨てていた。

自暴自棄に作品を作っては捨てて、自分を消耗していく姿に、体調が悪くなり続け、何も出来ない自分に嫌気がさしていた。
__変わらないといけないかもしれない。
そんなことを、何となく考え始めた。

これは、夏休みが、始まる前の出来事だ。

夏休みが始まり、新しい環境を求め就職先を探すことにした。色々なサイトを見ている内にも、第一志望だった大学がどうしても頭によぎる。
あの場所で、勉強をしてみたかった。
気づいたら見ないようにしていたあの大学のホームページを開き、資料請求をしていた。もう、後悔したくない。ダメだったらダメだったでまた考えればいい。もう一度だけ、挑戦してみたい

この日から、2年目の受験が始まった。

大学をまだやめていなかったので、仮面浪人ということになる。というか、後期分のお金を支払ってしまっていたので、退学するのは3月で良いだろうと思っていた。

仮面浪人 成功率 と調べると、たったの5%

当時通っていた予備校に行くと、先生は優しく迎え入れてくれた。また、あの時の悪夢が蘇った。
がむしゃらに絵を描いた。あんなに作品を作ることが怖くなっていたのに、作品が作れるようになっていた。入りたての頃の順位はいつも真ん中だったが、夏休みが終わる頃には上位にいた。

気温が涼しくなり、試験が近づく。
この時期には、もう大学に行かなくなっていた。

私の受験形態は倍率約18倍のポートフォリオ試験だった。もう自分に嘘はつきたくない。ポートフォリオには、生まれてから今までの人生をありのまま書くことにした。何が好きで、何で挫折をしたのか。そんなことまで書いていた。

自分の全てが詰まったこのポートフォリオがあればもう怖くない。私を陰で支える存在になっていた。
段々、睡眠薬を飲まなくても眠れるようになっていた。

後戻りが出来ないように貰っていた

試験当日
試験の席は1番前で、私の苦手な人の視線を比較的感じなかったので落ち着いて受験ができた。
面接の部屋に入ると、憧れの教授陣が座っていた。
一気に背筋が凍った。考えたこともないことを質問される。手汗がじわり、と出るのを感じた。
合格発表の自分の番号が無い瞬間が頭をよぎる。
でも、もうトイレで涙を拭う自分とは違う。
手汗の滲む手を握って質問に答えた。

試験が終わり、またあの日の帰り道を歩く。
汗が滲む手が風にあたり、手は冷たくなっていた。
私は大丈夫。大丈夫。全部出し切った。そんなことを思いながら、冷たくなった手をポケットに突っ込んで坂を下った。

大学は留年になるほど休んでいた。留年してもう1年私立大学の学費が払えるほどお金はなかった。もう後戻りはできない状態になっていた。合格発表までの時間は、ひたすらに試験のことを考えないようにすごしていた。でも、将来の自分への不安は消えなかった。

合格発表の日。
落ちたらどうしよう、落ちたら大学には戻れない。座っていられず、リビングを震える足でぐるぐる歩きながら合格発表のサイトをタップし、震える手で自分の番号を確認する。

自分の番号を見つけた。

内蔵が全部口から出るかと思うくらい震えた。
涙が止まらなくなり、泣き崩れた。
泣き崩れるとは、こういうことを言うのか。
初めて泣き崩れる を体験した。

そして、またもう一度一年生をすることになった。
色々失うと何も持っていないからなんでもできて、どこへでも行けてしまうのかもしれない。

今まで家族は、あまりにも無謀すぎる、落ちたらどうする、という心配の声を掛けてくれていた。
お父さんお母さん、いつも近くて支えてくれてありがとう。
本当に、贅沢なことをさせてもらったと思っている。体調の優れない娘が、仮面浪人をしたいと言って信頼出来るはずがない。そんな家族にも、ちょっとだけ、恩返しができたかな。親孝行させてください。

しがない私の簡単な受験記録でした。
本当は、もっと、ドロドロの感情があったけれど、
そこまではまだ書けないと思う。
いつになったら人に自分の心の内を言えるようになるんだろう。

この記事を書いていて思ったけど、物とも人とも距離感が大切なんだなって思った。大学も中学の時から想いすぎて、近づきすぎたんだと思う。近すぎると、私はどこか狂ってしまう。最近は特に人との距離感を大切にしてる。もう大人なので、ここの塩梅はできるようになりたい。
あともうひとつ狂わせるもの、それは体調
私は睡眠薬に狂わされて、いつも助けられてた。
みんなも、体には本当に気を付けて。体調はどれだけのお金があっても買えないから。体がいちばん大切だよ

さあ、明日から大学二年生の授業が始まる。頑張るぞー

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