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死神は肩に座る

 ちらちらと視線を感じるので、何だよとおれは言ったのだった。何だよ。何か用か。するとそいつは、べつに。と澄ました顔で言いやがる。何も用がねえならちらちら見るなよ。おれは言った。用はないが、気になったのでね。なにが。いやあね。そいつはニヤニヤとおれを見る。なんだよ。うーん。言ってもいいのかな。言えよ。そうかー。じゃあ言うよ。あんたの肩に死神が座ってる。
 
 おれの肩に死神が座っているという。とても驚くべきことだが、おれはもう慣れてしまった。人間、慣れという能力が備わっていて、そいつはどの能力よりも効果的生きることに対して有益であると常々思うのだ。
 死神が座っているからといっても、何か不幸なことが舞い込んでくるとか、そういったものはない。少し肩が凝る程度で生活にも特段支障はない。むしろ死神は要所で的確なアドバイスをくれるので、すごく良い感じだ。
 死神の名前はジェームズというらしい。ジェームズはおれの話し相手になった。色んな話をする。最近読んだ本の話だとか、あそこのパン屋がうまいだとか。ジェームズは日本の政治についても精通していた。日本の抱える外交的問題から議員の抱えるスキャンダルまで、話は尽きなかった。好きな政治家は?と聞いたところ、ジェームズは、山本モナと不倫した奴と答えた。なるほど、ジェームズらしい趣味だと、おれは次第にジェームズのことがわかってきた気がした。
 雨季が去り、陽射しが気持ち良い季節になっても、おれとジェームズの関係は良好だった。公園で微睡んでいたら、ふいにジェームズが初恋の話を始めた。死神も恋なんてするのかと、内心、疑いつつもおれはジェームズの話に耳を傾けた。
 あれは、今日のように陽射しの気持ち良い日だった。ジェームズは図書館で人間の文化について学習していた。ちょうど文化人類学に関する書物を二百九十冊ほど読み終えたときだった。あるひとりのうら若き人間の女がジェームズの隣の席に腰掛けた。女は植物に関する書物を数冊、机に置いて、ため息をついたという。ジェームズはその瞬間、恋をした。どんな時も慎重であったジェームズだが、感覚的に女を愛することを決めていた。
 女は持ってきた本を読もうともせずに、何か思索に耽っていた。ジェームズは女が何を考えているのか気になった。ジェームズは人の心を読むことができる。だか、その時は能力を使うことを躊躇った。恋というものはそういうことなのだ。と、ジェームズはしたり顔で言う。おれはもっともだ、とジェームズに同調した。女は最初のうちは、物思いに耽る程度であったが、次第に顔を歪め、苦悶する表情をみせるようになった。心配になったジェームズは勇気を振り絞り、女に話しかけていた。さっきから苦しそうだけど、どうかしたのかい。女は笑みをうかべ、いいえ、大丈夫ですの。一寸具合がわるくて。しかし、女の笑みはひきつっていた。ジェームズの手は女の頬に触れていた。いいから。話してごらん。きっと私はあなたの悩みを解決することができるから。女はうつむき、泣き始めた。そして、会ったばかりの男に悩みを打ち明けることを決意したのだった。
 私はダメな女です。私と同じ年代の娘たちはもっと生き生きしているでしょう。クラブで踊ったり、アクティブにその生を満喫しているわ。それなのに、私ったら、こんなところで植物の本なんか読んで。あ、ごめんなさいね。あなたも本を読んでいらしたというのに、こんなこと言っちゃって。いいえ。いつもこうなんです。私、自分に自信がないから。自信がないからこうなったのね。ええ。お話ししますわ。ここで会ったのも、何かの縁。全てお話しします。私、好きな人に棄てられた憐れな女なんです。お笑いになってくださいまし。あの方が他の女性とお付き合いしていたなんて。私、信じられなくて。そうです、私は第二夫人なのです。男に棄てられた女。喜劇ですわ。あの方と愛し合った五年という月日は、偽りのものだったのです。ただ幻想にうつつをぬかし、怠惰な性に溺れていただけなのです。私はあの方を本当に愛していました。本当に愛していたからこそ、私が第二夫人と発覚してからは、あの方を憎みました。憎んで憎んで、いっそのこと殺してやりたいと。だからこうして植物の本を持ってきたのですわ。毒のある薬草であの方を地獄に落としてやりたいと思って。どうぞ、軽蔑なさってください。私は愚かな女なのです。悪魔の子なのです。
 女は喋り終えると、再び泣き始めてしまった。ジェームズは女の涙を拭い、慰めのことばをかけた。泣くのはおよしなさい。実をいうと、私は死神なのです。あなたの苦しみはよくわかります。私に手助けをさせてください。ジェームズは愛した女の涙を見るのはこれ以上耐えられなかった。なんとしてでも、この女を救いたい。純粋な気持ちから発せられたことばだった。女は静かに頷いた。そして、ジェームズは愛する女を苦しめた男を殺す準備を始めたのだった。
 それでこそ死神だ。興奮したおれは思わず叫んでいた。で、その男っていうのはどうなったんだ?もう殺したのか?まあ、まてよ。まだ話は終わってねえよ。ジェームズは意味ありげな笑みを浮かべた。
 その男を見つけるのは簡単だった。女から男の居所を聞き、男の行動パターンを把握するだけだった。ジェームズはすぐさま男に取り付く用意を始めた。死神とて簡単に人を殺すことはできない。一旦取り付いて、最良のタイミングで地獄に落とすことが重要なのだ。ジェームズは椅子を用意することにした。椅子といっても、この場合、四本の足がついている椅子のことではなくて、座布団のようなもの。俗に言う死神の椅子といったものだ。死神の椅子は、地獄にいる悪魔の使いに発注依頼を行う必要があった。一ヶ月で使える経費には制限があるので、経費との兼ね合いから、なるべく手頃な椅子を選んだ。
 ちょっと待ってくれ。おれは口を挟んだ。その椅子ってのは何するために必要なのか?そこがわからないと話についていけなくなる。そうさなあ。ちょうど、今みたいに人間の肩に座るためだな。一旦、肩に座って、取り付かないと死神は人間を殺せないんだ。必要なものは、鎌だけじゃないってこさ。え、じゃあ今、お前が座ってるのって。まあまあ、それは話が終わってからで良いじゃねえか。まだ、舞台も揃ってないことだし。え。舞台ってなんだ。おれは途端に不安を感じ始めた。まてよ。あいつが言ってた女って、幸子のことか。確かにおれは幸子と付き合いながら他の女に手を出した。やべえ。ジェームズが殺そうとしてる男って、おれのことじゃねえか。おれの不安は最高潮に達し、思わず失禁した。しかし、ジェームズはそんなおれに傍目も振らず、続きを話し始めた。
 人間を殺すときに使う鎌も悪魔の使いに頼む必要があった。鎌は様々な種類があるのだが、ジェームズは奮発して殺傷能力が高い鎌を選んだ。椅子と鎌が悪魔の使いから郵送されて来て、ジェームズは行動を始めた。まずはターゲットとなる男の肩に座ること。普通はここで苦労するのだが、今回の人間はぼんやりしていたのでことのほか上手くいった。そして、次の段階は、殺す人間と仲良くなることだった。話し相手になってやり、相手を油断させる必要がある。随分、手間がかかるやり方だが、この手法こそが相手を地獄に落とす、効果的なやり方なのだ。そう。目的は殺すことではない。地獄に落とすことなのだ。そして、歳月をかけターゲットの男と親密になったジェームズは頃合いをみて経緯を話すことに決めた。
 そういうわけさな。ジェームズはニヤニヤしながら言った。おれは何も言えなかった。何か言おうにも、口がからからに渇いて、ことばを発することができない。やはりそうだったのか。死神は死神だ。何もせずにただ座ってることなんてない。最初から殺す目的があったに決まってるじゃないか。おれは愚かな自分に嫌気がさした。
 さあ、舞台が整ったぞ。ジェームズは言った。
 健一さん!どこからともなく、幸子が現れた。幸子は白いワンピースに身を包み、涼しげな笑みを浮かべている。私が悪いの。私に自信がないからなのよ。ごめんなさいね。ほんと。許してちょうだい。幸子!おれのほうこそごめんよ。おれが悪かった。まじで。ほんとはお前をいちばん愛していたんだ!だからよ、やめてくれよ。こんなこと。いいえ。あなたは私を愛してはいなかった。こんな女、愛せるはずがないもの。
 おれはどうしようもなかった。逃げられるなら逃げたい。どんな無様なことになっても、死ぬのだけは勘弁してほしい。あの卑しい女のせいだ。あんな女を愛したことなど一度たりともなかった。
 最後に言いたいことはないか?ジェームズは幸子の肩を抱きながら言った。あいつ。おれは僅かに嫉妬しかけたが、そういうことはもはやどうでもよかった。ただ命だけは、命だけは助けてもらいたかった。
 どうか、おれを助けてくれ。
 そう言った瞬間、ジェームズが振り下ろした鎌がおれの首をかすめた。外れた。と思ったが、おれの首は宙に浮いていた。まじか。死ぬ。おれ死んじゃう。ジェームズは相変わらず幸子の肩を抱いている。幸子とてまんざらでもなさそうだ。ああ、なんだよこれ。たまんねえじゃねえか。眠気を誘うような陽射しが、おれの頬をなでる。おれの首はゆっくりと回転しながら落ちていった。

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小説のようなものを書いてます。
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